144.グループ展

先日、アトリエつながりのメンバーでグループ展をした。
アトリエの元スタッフで、いまは抽象画家の韓美華先生と、
アトリエ現スタッフの梓先生、わたし、
土曜日大人クラスの山口さんの4名でのグループ展だ。

グループ展の会場は、横浜青葉区の瀟洒な住宅街にある
「ギャラリーカフェ リンデン」というギャラリーだった。

オーナーの近藤さんという女性が素敵な方で、
ことばの端々に(このギャラリーでイベントをする人の表現を応援しよう)という
気持ちが現れている方だった。

グループ展の作品は絵画を中心に、テキスタイルのオブジェやアクセサリーなど
さまざまな作品が並んだ。

作品のアプローチがひとによって全然違っていて、面白かった。

土曜日クラスの山口和也さんの作品は、
色合いと画面の切り取り方に特徴があって、
色々な人が足をとめているのが印象的だった。
色合いを言葉で伝えるのはむつかしいけれど、
スタイリッシュな青木繁?といったらいいのだろうか。

水曜日の先生、山口梓先生はテキスタイルから油彩まで、
自然や動植物をモチーフにしたいろいろな作品を展示していて、
彼女独特の生命観というか自然観が伺える、きもちのよい作品が並んだ。

美術に興味がある・ないに関わらず訪れたひとが親しみをもって作品を見ていて、
その世界観の懐の深さが、親しみを誘ったのかなと思った。

韓美華先生はもちろん抽象画だ。
みていると、いろいろなイメージが浮かんでは消えていく。
作品が、イメージを遊ばせる公園の入り口のような感じだなあと思った。

浮かぶイメージはみた人によっても違うだろうし、
その日、その時によっても違うと思う。
作品それぞれに、みか先生の制作意図はあるのだけれど、
それをわかって欲しいというよりは
「ここを入り口に、みんな自由に遊んでね!」
という気持ちの方が大きいように思えた。

たとえばみか先生が、夜の木々を見て、
なんとなく自分も木々も夜に溶けていくような、
一体感のようなものを感じて作品を描く。
そうすると、自分の中に深く沈みこみたいひとや、内省したい気分のひとに響く。
旅立ちだ!といった気分でみか先生が描いた作品は、
これから就職するひとや、新しいことに挑戦しようかな、と言う気分のひとに響く。

まあ、必ずそうなる、というわけではないとは思うのだが、
ギャラリーに在廊していて様子をみていると、そんな風に感じた。

自分の作品はどうだろう?とグループ展の期間中つらつらと考えた。

今回は物語を想定した4つ切りサイズくらいの水彩画と大きめの油絵を展示した。
気になったのは油絵だ。

それはアトリエの初夏に茂る雑草を描いたもので、
雑草の元気すぎる茂りっぷりや雑多な生命力のようなものを
描きたかった作品だった。

自分が描いたものなので、嫌いではないのだが、
ぐいぐい押してくるというか、暑苦しいというか、そういう印象があった。
(このひと、たぶんいいたいことはぎゅうぎゅうにあるのね。。)と
見た人が心の中でやや引く、といったような感じといったら伝わるだろうか。

茂りまくっている雑草を描いた絵なので、暑苦しくて良いといえばいいのだけれど、
その力がもっと整理された感じで伝わるように描けたらいいなあと思った。

全体目標は、いきものの生きている感じ、の「感じ」の自分なりの翻訳だ。
現在地は「表現を練り上げる」。
こつこつ制作を積み重ねて、ふりかえったときに
ぜんぜん違うものが見えるかもしれないけれど、
今はこれでいこうと思っている。

作品の内容以外でも、
「だれかに見てもらう」ということってこういうことなんだなあというのを
わざわざ足を運んでくださった方や、ふらりとギャラリーに立ち寄った方、
みか先生、リンデンの近藤さんからたくさん教えていただいた。

なんというか、定型文の「勉強させていただきました」ではなく、ほんとに勉強になった。

みか先生には、「こういうことが勉強になったんだ。ありがとう」と
対面でお伝えして、言いたいことがぜんぜんうまく言えなかったのだけれど、
みか先生はまっすぐ頷いてくださっていた。
いつもの「アトリエのみか先生」ではない、
表現で食べていこうとしている作家さんがそこにいる、と思った。

ありがとうございました。楽しかった。

またやりたいなと思う。

143.自慢

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今年の夏に学展、という学生さん向けの全国絵画コンクールがあって、
アトリエでは毎年数名が出品している。
今年は各曜日クラスから小学校3年生から5年生までの人と、
高校1年生の男の子の合わせて5人のひとが出品した。

3人が入選して、2人が賞をいただいた。
全員入選するのは毎年のことなので珍しくはないのだけれど、
入賞者がでたのは初めてで、本人たちが一番驚いていたのではないかと思う。

と、このように書くと、
「賞をとるような作品を作れるアトリエですよ、すごいでしょ~」
という自慢なのかと思われるかもしれないが、断じてそうではない。

そういう自慢に思われたらこまるなあ、と思って
なかなかコラムに書けなかったのだ。
そして、コンクールに入選することをめざして
アトリエにアクセスしてくる方がいらしたら、もっとこまると思っている。

自慢したいのはそこではない。
「全員がじぶんの力でまったく違った絵を出した」
というところを自慢したいのだ。

なので、これからみっちりとひとりひとりを自慢していこうとおもう。

まず3年生のりんちゃん。

絵の具を使うのが好きで、絵をダイナミックに描くことができる彼女は
抽象的な絵を描いた。
ジャンルとしてはアクリル絵具を用いた抽象画だ。

3年生で抽象表現が理解できるの?という疑問を持たれる方も
おいでかもしれないが、それはアプローチ、紹介の仕方なんだと思っている。

彼女は音楽を聴いてそれを色と形に置き換える、
アルケミストでは定番のWSが好きだ。
ふだんの制作でも「りんは今日音楽きいて描くやつをやるね」と
自分で自主的に描いたりしているため、
「何も具体的なものを描かなくても、色や形、線のリズムで表現はできる」
ということを感じとして理解している。

今回は「気持ちのいい配色をしてみよう」といいながら描いていた。
丈夫で大きい紙を使い、大きな刷毛で思い切って腕を大きく動かして
描いてもらった。
りんちゃんは集中力があるし、新しいことを知るのにも貪欲なので、
異なった色を重ねると響きがきれい、ということを
新しく知ってもらうためにアクリル絵の具を使って
グレーズという技法をやってもらった。
油絵で使われることが多い技法だ。
タイトルは「希望の虹」。
本人がつけた。

3年生のたいしくんと4ねんせいのしょうちゃんは、
実際のものを目で見て的確に表現するのが好きだしとても得意なので、「
見て描く」ことをやってもらった。
何を描くかはもちろん自分たちで決めてもらった。

しょうたくんは上野の博物館に出かけて、ワニを見ながら描いたものと、
自分のなかの「格好いいベスト空想ワニ」の二枚を描いた。
空想ワニは油絵で、見て描いたワニはアクリルで描いた。
形を把握することが本当に好きで巧みなので、いつも感心してしまう。

知的に理解する力がとても高いひとなので、
そこは5人中もっとも気を使った。

技術的な面でこちらが言ったことを、
スポンジが水を吸うように全部覚えてしまうのだ。
ともすると「じぶんで見ないで」覚えたテクニックで
描いてしまうことになりかねないので、
「これってこうしたいんだけどどうやったらいいの」と聞かれた時だけ
答えるように慎重にやりとりをした。
空想のワニは入選、
博物館でスケッチしたワニをアクリル画にしたものは入賞した。

たいしくんは3年生にして初めての油絵に挑戦した。
大好きなクジラを描いたのだが、目にこだわりがあって、
クロッキー帳には100以上の目を集中的に下描きしたものが残った。
別にコラムを書いたので、ここではあまり描かないけれど
彼の制作は興味深かった。
四角四面なまじめさでは決してない、
彼独特の物事に対しての誠実さが作品の完成度につながっているのだと思う。

小学校5年生のまゆこちゃんは、
アトリエは1年生からのベテラン組だ。
キャンパスにアクリル絵の具を使ってアトリエのテーブル上の風景を描いた。

彼女は何をかくか迷ったので、
カメラを持ってアトリエ内を探検してもらい、
撮った写真の中から描くものを選んでもらった。

制作スタイルとしてはどんどん自分で進める、というよりも、
まずスタンダードな手順や基本の構造を理解した上で
そこから応用していくひとなので、
色を重ねるとこうなるよ、とか、
絵の具に加える水分量で透明にも不透明にもなるよ、というような
細かい「こうやったら、こうなる」ことを
実際に試してもらいながら進めていった。

彼女の制作は、瞬発力のある応用力と粘り強さが特徴だ。

今回は色鉛筆がたくさん入った陶器の鉛筆立てをアップで描いたので、
とくに粘り強さは必須だった。
学校の授業作品ではないものを、
何週間もかけてコツコツ描いていくのには、
完成させたいという気持ちだけでは挫折してしまうひともいるだろう。
一本一本色鉛筆を描いていくまゆこちゃんをみながら、
「これってまゆちゃんだから描けるんだよね。。。」とスタッフ同士で
よく言い合った。

高校1年生のけんと君は、独特の強さを感じる筆跡が特徴的だ。
空想よりも実物を見ながら描くほうがよいとのことだったので、
まゆこちゃん同様、まず写真を撮りながらテーマを「取材」してもらい、
そこから自分で何を描くか、何を表現したいかを選んでもらった。

彼が選んだのはアトリエの廊下だ。
いつも自分がデッサンをしている部屋から入り口へと続く廊下を、
明るい玄関窓を遠くに見るような構図を描いた。

手法は油絵。油絵としては小さめのサイズの絵を描いた。

アトリエの廊下は暗くて古くて狭い。
わたしはそのように美しいとみたことがなかった。
だから、けんとくんの見る世界ってこんなに美しいんだ、と
ちょっと感動してしまった。

タイトルは「光」。
古い木造のアトリエなので、基本は茶色と黒くらいしか使う色はない。
決して派手でもきらびやかでもない色彩だ。

でも展示会では、堂々とした大きなサイズの作品が大半を占めるなか、
伝えたいことにまっすぐ向き合った、
小さなけんとくんの作品の横に「賞」の札がついた。
その様子はちょっと嬉しい光景だった。

アルケミストでは、ちびっ子だろうと大人のひとであろうと、
いらしたひとと会話で相談しながらやっていくことを決めていく。

話して、決めて、やってみて、
「何か違う」と思ったら変えたり、
完成したものと制作した実感から「じゃあ、つぎはこうしよう」となる。

今回も全員、実際の絵の具や画材の使い方をレクチャーはしても、
「何を描くか」はほぼノータッチだ。

それでもこんな素敵なものができる、ということが嬉しくて、
たいへんながながと自慢のコラムを描いた。

私自身はみんなと同じくらいの年齢の時には
ヤマモモの樹に登って実を採って食べることにはまっていた。
文化度がもうぜんぜん違う。

いやー。。。。みんなすごいよなあ。
そんなことを5人の制作を一緒に過ごして思った。
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142.豊かな感性

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大学生のひとが書くレポートを添削するときによく出てくるフレーズで
「感性を豊かにしてうんぬん」というものがある。

図工の時間の授業案をつくる、という課題のレポートなのだけれど、
制作のある段階にくると「感性を豊かにして〇〇をさせる」と
書くひとがすごく多いのだ。
それにどうしてもひっかかってしまう。

まるで、どこかにスイッチのようなものがあって、
「よし!今から感性を豊かにするぞおー」と切り替えられるような
イメージを持ってしまうからだ。

第3者が誰かの「感性を豊かにさせる」ことはできないと思う。
「感性が豊か」かどうかは目では見えないし、判断基準もないからだ。

それに、だれかの感性を豊かにさせる、
なんて、それはなんだかおこがましいよなあとおもう。
そうなってくれるといいなあ、と期待して、
「そのひとなりの感性を練り上げる、ベース作りにちょこっと協力する」
ことはできると思っている。

けれども、それで相手がかならず「感性が豊かになる」かどうかは
わからないし、
本人にとってはよけいなおせっかい、かもしれない。

そもそも感性ってなに、という話がある。
感性は、昔からみんなが考えてきた、
いろいろな捉え方と切り口がある言葉だ。

含みの多い言葉なので、学問では定義が必須になるし、
真逆の方向で話をふわっとまとめるために便利に使われたりもする。

辞書だと「物事を心に深く感じ取る働き」
「外界からの刺激を受け止める感覚的能力」と説明されているけれど、
ふつうの感覚としては、
ものごとをよく感じることを「感性が豊か」っていうのかなと思っている。

はらはら落ちる桜の花びらを「いっぱい落ちてるなー」と眺めるのか、
「雪みたい」と思ったりするのかの違いと言ったらよいだろうか。

個人的には
「感性」はふたつの軸でできてるんじゃないかなあと考えている。

ものごとを

●「どうまとめているのか」
●「どうえらぶのか」

が感性なんじゃないかと思うのだ。

同じものごとを見たり聞いたりしても、
そこからより沢山のことを感じ取って自分の判断、
まとめかたに使っていくことができるひと、
その判断を意識しないで一瞬でやってのけるひとが
「ゆたかな感性があるひと」なのだと感じている。

では、どのようなことが「ゆたかな感性」につながるのだろう。

これが正しい答え、とかではまったくないと思うのだが、
今までの経験から3つくらいのことは言えるなあと思っている。

①身体の感覚そのものを鋭くすること

たくさんの感じることがあれば、
「どうまとめるか」のバリエーションも増える。
もともと感覚が鋭い人ももちろんいるけれど、
脳の神経細胞は使えば使うほど発達するので、繰り返しでけっこう磨ける。

②入れる情報を増やす、体験や経験をたくさんすること

経験はプライスレス。。じゃないけれど、
そのひとなりの「まとめ」を練り上げるために経験って大事だなあと思うし、
これは様々な人がそう思っていらっしゃるだろうなと感じる。

③繰り返したり、ねかしたりする場所と時間を設けること

これが感性が豊か、の秘密なのではないかなと思っている。

教育熱心なおうちの方がいろいろな経験をさせてあげようと、
ちびっこのスケジュールをびっしり埋めていたりするときがある。

その本人の話を聞いたり様子を見たりしていると、
体験の数が多すぎると、体験を流していくというか、
消費するようになる感じがするのだ。

沢山のメニューを楽しむけれど、それを深く味わったり、
他と連動させたりする時間や場はない。
メニューを作るのではなく消費するので、
「ほかにおもしろいものないの?」と相手に聞いてくるようになる。

感覚にしても同じことが言えて、いくら五感が鋭くても、
それをつかっていく力、ゲットした感覚情報を
上手に統合していくことができないと、
それはただの沢山の情報の羅列になってしまう。

実際にそういう病気はあって、
そういう場合は積み木のブロックが心にたくさんあるだけで
形がつくれないというか、
見えるもの、聞こえるものの情報のばらばらの状態があるだけで、
そこに何かの実感や意味は見出せないし
身体をうまくつかうことができない。

逆に五感が鋭すぎるひとは上手にコントロールする術を学ばないと、
例えば学校に行っただけでへとへとになってしまう。
情報量が多すぎてパンク気味になってしまうからだ。

体験も、感覚も、使ってから、じゅうぶんに寝かせてあげて、
熟成するまで待つ。

そうするとそのひとなりの接続やまとめかたができてきて、
その「自分オリジナルまとめかた」を使うことでさらに
バリエーションが増えたり、内容が磨かれていく。

そんなイメージなのではないかと思うのだ。

日々、そのようなことを感じたり考えたりしながら
暮らしているせいかもしれない。

もっとあっさり流していいのだろうけれど、
レポートを添削するたびに「感性をゆたかにしてうんぬん」が沢山出てきて、
毎回ひっかかってしまうので、
そのフレーズがでてくるとたいへん厳しく添削するようになってしまった。

なんかすみません。。。。と、ちょっと思う。

141.映える写真

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土曜日のアトリエは朝の10時から夜7時まで開講している。
スタッフはオープニング(開講準備)からクローズ(後片付け)まで含めると
ほぼ丸1日アトリエにいることになるので、
お昼だけではなくておやつも食べてその一日を過ごす。

テーズルを囲んでもぐもぐと口を動かしながら
どうでも良いよもやま話から仕事の話までが話題にのぼる。
わたしはけっこう好きな時間だ。

先週土曜日は、「インスタ映えとは何か」という話になった。
誰かに見せる想定で写真の見栄えが良くなることを考えるということだけれど、
自分で経験したことのおしらせじゃなくて、
反応をもらう目的でわざわざ経験しに行くっておもしろいよねという話になったのだ。

そこから「とりあえずインスタ映えするとは何かを実践してみよう」
ということになり、スタッフ3名がいつもの賄いおやつを、
どれだけ格好よく盛り付けられるかの勝負をすることになった。

いつものちびっ子時間と大人時間の間の
人の往来が途切れるわずかな時間に、
タイマーで時間をはかって勝負することにしたのだ。

仕事中なので長い時間はかけない。
15分の時間制限を設けて、同じ賄いおやつを格好よく配置し、
写真撮影をしてその写真を女子大生の方に判定してもらうことにした。
お皿は併設のカフェ、小鳥喫茶室の備品をお借りした。
おやつは手作りのドライフルーツのライ麦パンと
クリームチーズ、ナッツ、はちみつだ。

バタバタとアトリエの内外を駆け回って、
小物を集めたり草花を摘んだりしながら各自思い思いの盛り付けをした。

スタッフの深谷さんは、パンとドライフルーツをサンドイッチ状に積み上げて、
低いタワーを作っていた。
そのタワーを取り囲むように小さな石膏像やワニのフィギュアが並んでいる。

「。。。深谷さん、なんですかそれ」

「。。崇めよ!ってテーマなんですけど」

「。。。。。。。」

もう一人のスタッフ、まっちゃんは「アトリエのおやつ」を意識して、
画材を背景にしたりしていた。
きれいなだけじゃなくて、写した人や写した場所の情報が入るということで、
なるほど!と思った。

私はなにも考えず、小鳥喫茶室の写真を撮る時のように
目できれいだなあと思うように配置して撮ったのだが、
「映える画像」と行っても色々解釈が違うのだな、と思っておもしろかった。

写真を撮ったら、おやつに興味はなくなってしまった。

きれいな写真を目指したら、
食べたくないものまで盛り付けることになったので、
できあがったものは
「自分が食べたいものセット」ではなくなってしまったからだ。

判定の結果、「崇めよ!」がテーマの深谷さんの作品が
第一回アトリエインスタ映え選手権の優勝者となった。

盛り付けたおやつは審査員をしてくださった方に差し上げて、
改めて出したおにぎりをもぐもぐ食べながら、

(アトリエではインスタ映え、大事かもしれないけれど、
プライベートでは、私はなんにもはえなくていいや)と思った。

やっぱりおやつは、食べたいものを食べたいと思う。

140.小学校の掃除

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最近1年生の人がちびっ子クラスに増えて、思ったことがある。

このひとたちは、「暮らしていく」ということの全体性を体験する機会が
あまりないのではないだろうか?

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先日、アトリエを始める子がいて、初めての制作と掃除をした。

アトリエでは、掃除を制作と同じくらい重要視していて、
自分のしたことを自分で片付けること、
次の人のことを考えてきれいに現状復帰することを徹底している。

その子は水彩絵の具を使っていて、
初めから巧みに筆を使うことができていた。

掃除の時間になると自分から「どうやったらいいの」と聞いてくる。
ほうきの場所や手順を説明すると
「わかった、学校でもやってるから、おんなじにやればいいんだね」と
その子はほうきを使い出した。

どう言ったらよいのだろうか。
通常ほうきで掃除をするとき、
自分から見て数字の1のように見える向きにしてほうきを動かすのだが、
その子は漢字の一(いち)になっていたのだ。
これでは掃除にはならない。

ここまで極端ではないけれど、ほうきの使い方がわからない、
ということはよくあるので、
こうやってほうきを使うんだよ、と説明した。

うんうん、とうなづいて掃除を再開し始めたその子をみていておどろいた。

動きは完璧にできていたのだが、全くごみを見ていないのだ。
丁寧なレレレのおじさんのようなもので、
ただ動いているだけなので、ごみは集まらない。

ごみを集めてその場所を綺麗にするのが掃除、という
根っこの部分を理解していない、ということだったのだ。
もしくは、頭で掃除がどういうものかを理解していても、
どうするときれいになるかを自分で考えていない、ということだろう。

「。。。◯◯ちゃん、掃除はごみを集めてその場所をきれいに
することだから、ごみがどこにあるかを自分で見て、掃いて集めるんです。
そうやってごみを減らしてきれいにするんだよ」

その子はこくん、とうなづくと、再び掃除を始めた。
制作中とは全く違って、糸の切れたマリオネットのような動きだが、
とにかくやっている。辛抱強いひとなのだと思う。

そうこうしているうちに一応、自分でごみがないかを探して、
それをちりとり担当の子のところまで持っていく動きだけは出来始めた。
しかし、今度は床にほとんどごみがない状態になって、
皆が雑巾掛けを始める頃になっても律儀にほうきを動かし続けているのだ。

「。。。◯◯ちゃん、掃除はごみを集めてその場所を
きれいにすることだから、自分でごみがなくなったな、と思ったら
やめていいんですよ。
もしかして、いつもは学校の先生が終わりー!って言ってる?」

うん、とその子はうなづいて、ほうきを片付けに行った。

学校では掃除を「やらせる」ことはしているのだろう。
でもそれは、掃除という名の「ほうきを持ってなんとなく動く時間」で、
「『自分で』ごみを集めてきれいにする行動」ではない。

なぜそれをするのか。
実際にはどうやると良いのか。

理由や結果は伝えずに、自動的に「ただやらせる」ことは、
その子のそのほかの部分に何の広がりも持てないし、応用もきかない。

ごみがなくなっても床を掃き続けるその子を見ながら、
なんとも言えない気持ちになった。

実は、その子に限ったことではなくて、
「汚いから」と絵の具で汚れた雑巾が絞れなかったり、
そもそも握力が弱すぎて絞れなかったり、
他の子とやりとりして自分がやることを交渉できなかったり、
自分の状態だけを優先し、
ちょっとでも誰かが自分の持ち物にぶつかったりすると
「あやまってよ」と言い続けるわりには、
自分は床に寝転がって掃除を全くしないなどなど、
掃除ひとつとっても見えることが色々あるのだ。

アトリエは学校と違い、成績がつくわけではない。
だからその子の素の状態が現れる。
だからこそ見えることがある。

ちびっことの会話の中で見えてくるのは、
例えば宿題をやらせる、とか、
「行きたい学校のために勉強させる」とか、
「学校のルールを守らせる」ことには一生懸命だけど、
もっと根っこの方にある、誰かとやりとりすることで自分の振る舞いを学んだり、
生活するのに必要なことができたり、
ということを相当おざなりにしている周囲の大人や学校の姿だ。

もちろん個人差はある。自分も大人だし、学校で長く授業もしているから、
学校の先生方がどんなに忙しいかも痛いほどわかっている。
そして大人はみんな忙しい。お母さま方に至っては
「どうやってやりくりしているのだろうか」と思うほど
タイトスケジュールの中を毎日過ごしている方がほとんどだ。

でもあえてここは主張したい。
あんまりはっきり主張することはないのだが、これは強調して言いたい。

暮らしをおろそかにすること、
私たちは生き物だ、という大前提をおろそかにすることは、
ちびっこの可能性を狭め、彼らを打たれ弱くする。
断言できる。
17年アトリエをやってきて、ちびっこの様子を見続けてきた上での感想だ。

去年、2016年から学校の健康診断で「四肢の状態」という
健康診断科目が増えたことをご存知だろうか。

まっすぐ立っていられないで体が揺れてしまったり、
しゃがめなかったり、同じ姿勢を続けられなかったり、
「自分の意思で自分の体をコントロールすること」ができない子が増えたためだ。

特定の特殊なスポーツをすることで全身の運動感覚のバランスが崩れている子も
多いのだと言う。

スポーツが悪いのではなくて、毎日の中で様々な要素を「自分で」考えて、
身体を動かす体験が少なすぎるのだ。

洗濯物を干したり、欲しい形の箱を作ろうとしたりといった、
実際のものに触れながら手と頭を同時に使っていくことが少ないのだと思う。

ひとは生き物なので、使えば鍛えられる。
腹筋をしてお腹の筋肉を鍛えるように、
全身の感覚も、全身を自分の意志で使うことで整っていく。
その時間が少なすぎるのだ。

お母さま方には、ちびっこにどんどんお手伝いをしてもらうことをおすすめする。
これは昔風の「お手伝いをしたほうがいいよ」という話ではない。
AI等「自分で」考えて動くことができるものが激増している今だからこそ
考えて欲しい話だ。

どんなにたくさんの「体験の記憶」があっても、
それを組み合わせることができなければ、
バラバラの「体験の記憶」を並列して持っているだけになってしまって、
考えることのバリエーションが限定されてしまう。
何かあった時も、違うものの見方ができづらいので打たれ弱くなる。

普通にお皿を洗ったり、掃除をしたり、料理をしたりといった、
「生活すること」ができるようになることの、
切実な大切さを、ぜひ、考えてほしいと思う。

139.たいしくん

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月曜日にたいしくん、という男の子が来ている。

クジラが大好きで、今はF15号という
大きな座ぶとんくらいのサイズのキャンパスに
油絵の具を使ってクジラを描いている。

今は準備や後片付けも含めて手順が分かってきて、
絵の具を重ねるとどうなるか、
オイルをどの程度加えるとどうなるかなどの
経験値をかさねながら進めることができているけれど、
はじめのうちは大変だった。

クジラを描く、ということはわりあいにすぐ決まったのだが、
下描きにとても時間がかかったのだ。

たいしくんは、じぶんのクロッキー帳(制作ノートのようなもの)に
下描きを描いていて、持って来たお気に入りのクジラの画像を見ながら、
丁寧に形を追っていた。
でも描き進めてゆくうち、たいしくんは「うーーん」とうなりながら
制作の手を止めてしまった。
「クジラの目が気に入らない」とのこと。

消しては描きを繰り返したので、クロッキー帳は
表面がバサバサになってしまっている。
「新しいページにして、描いたものを全部残しておいた方が
あとで選べますよ」と伝えると、
たいしくんはうなづいて、ぺらりとページをめくると、
再びクロッキー帳に向かってクジラの目だけを描きだした。
ひとつひとつ、何かを確かめるようにしながら目を描いていく。

「もうちょっと優しい」
「もうちょっとおおきい」
「形がちがう」
「うまくいえないけどこうじゃない」

ぶつぶつといいながらたいし君は目を描きつづけた。

何度も何度もやり直して、描いたクジラの目は50ほどだろうか。
あまりに描き過ぎて疲れた様子のたいしくんに、
「油絵はね下描き消えちゃうんです。今描いた線は絵の具が上に塗られて消えますし、
上からどんどん描き直せるんですよ」と話すのだが、
彼は「でも目は大事だから」と黙々を試行錯誤を続けた。

目だけを描き続けて1時間ほど経ったろうか。
妖怪百目のように目だらけになったクロッキー帳を眺めたたいしくんは大きく息をついて、
「できた。。。。。これかな」とひとつを指差した。

同じように、クジラのフォルムもこだわり、
大きさも色々試してようやく油絵の作業となった。

興味深かったのは、油絵の具を重ねることで鉛筆の線が消えてしまうことには、
たいし君がほとんどこだわらなかった、というところだ。意外だった。

「たいしくん、あんなに苦労したのに、描いた目は消えてもべつにいいんですね。。。
不思議だ。。。なんでですか?」そういう私に、
たいし君はクジラの絵から目を離さず、首をかしげながら答えてくれた。

「うーーん。。なんか。。。
こういう形なんだ、っていうのが描ければそれでいいから。
だってちゃんと描ければ、消えてもまた描けると思う。
あ、ちょっとは違っちゃうかもだけど」

「。。。なんかびっくりすること言いますねたいしくん」

「。。。え。。そうかな」

「何歳ですかたいしくん」

「小3」

うーーーん。

人類は進化しているとしか思えない、と、よく思う。

138. はさみん

アトリエでは制作中に手を動かしながらよもやま話をすることが多い。
何がどういうルールでそうなるのかはわからないけれど、
波がひいては返すように、皆がしん、とそれぞれの制作に没入するときと、
手を動かしながら他愛のないよもやま話になるときが交互に入り交じる。

先日の土曜日のちびっ子クラスでは、「この道具は何歳だと思うか」で盛り上がった。
細い針金をハサミで切ってしまうひとに
「ハサミじゃなくて、ニッパーで切るのだ」と伝えようとしたことが話の発端だった。

その日は、絵画制作をするひとと手芸のペーパーフラワーをするひと、
樹脂で小さな立体をつくるひとがいた。
そのなかでペーパーフラワーをつくっているひとが、
花びらをまとめあげるために使う針金をハサミでどんどん切ってしまっていた。

「○○ちゃん、針金はねハサミで切っちゃだめです。ニッパーわかる?アレで切らないと」
「ニッパーはわかるよ。場所もわかる。
でも道具置き場まで行くのめんどくさいんだもん。ハサミで切れてるし」
「いや、切れるは切れるんですが、
彼らは針金を切るようには作られてないので痛んじゃうんですよ」
「彼らって?」
「いま○○ちゃんが持ってる山田くんですよ」
「山田くん?」
「はさみの名前」
「何それ」
「私の中では30代男性なんですよねそのハサミ」
「なんで」
「頑張って働いてる!って感じが」

えー、と言いながら周りのひとたちも
「自分は何歳だと思う」ということを口々に言いだした。
50代男性から2歳赤ちゃんまで色々な説が出たが、
そのうち、件の針金を切っている子がきっぱりと言った。

「わかった。このハサミは女子高生だよ」
「そのココロは」
「だってさ、アトリエって17年?やってるんでしょ?
このハサミは最初からあるんでしょ。だったら17歳」

おおー、なるほどー。と思わず皆が納得してしまった。

「それにこの、持っている所がまるっとしていて、
切る所がシュッてなった形の感じが女子っぽい」

おおー!さらになるほどー。

「じゃあ、はさみんはJKですね」
「じぇーけー?」
「はさみん?」

「J(女子)K(校生)ですよ。今、はさみんと名づけました」
「え、じゃあ山田はさみん?なの?」
「名字はわからないんですけど」

「多分ですね。はさみんはいま、こんな感じだと思います」

ちょ。。。まじでありえねえわー
うちらワイヤーとか切るのマジあり得ないんだけどー
お肌が荒れるんですけどー
ほんとやめてほしいんだけど

「。。。。。。。。。」

皆優しいのではさみがしゃべるわけがないじゃないかと指摘する人もなく、
その後は各自がそうだと思う年齢と人柄での
はさみんのアテレコ大会となった。

ペーパーフラワーを作っている子は笑いながら、
「ありえねえとか言われたくないわー」とはさみんの口まねをしつつ、
今度はニッパーを使っていた。

137.アクセス2017

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アトリエは色々な意味でアクセスが悪い。

場所も最寄り駅から歩いて8分という微妙な距離だし、
ホームページも検索一位!とかではない。
一番よろしくないのは、
お問い合わせをいただいたとき、タイミングよくお返事できないことがある、という点だ。

お問い合わせを頂く端末のメインがPCから
スマートフォンや携帯電話になって、
早朝や夜中にお返事ができなくなってしまったのが理由だ。

理想は、お問い合わせをいただいた翌日の日中、
10時から15時くらいの間にお返事できるといいなあと思っている。
でも、理想通りにメールを送信できることはなかなかない。

いま、メールのお返事は、僅かな隙間時間などに
えいやっとお返事を差し上げている。

それでも大きな行事があったりすると、どうしても時間がとれない。

日中の適度な時間にメールを出そうとすると数日後のお返事になってしまう、というときは、

●お返事が遅れたお詫びを添えて数日後にメールさしあげる

●非常識であると思われる可能性が大なのを承知で
お詫びを添えて失礼な時間帯にメールさしあげる

の究極の選択をしないといけなくなる。

数日後のお返事は、お待たせする間(どうしたのかなあ)とモヤモヤさせてしまうだろうし、
夜のお返事はやっぱり失礼だと思う。何より(えっ、なんでこの時間)とびっくりさせてしまうだろう。
ほんとうに究極の選択だ。

半月ほど前、急ぎでお返事が欲しい、とのお問い合わせで、
その日中に返事を出さねば!ということがあった。

そのときは、究極の選択で夜の10時半に
お返事を差し上げたところお返事はなかった。あたり前である。

先日は、ちょうど机に座ってPCに向かっているときにお問い合わせ頂いた。
その時は(よかった!お待たせしないで済むぞ)と嬉しくなり
すぐにお返事を出したところこれはこれでお返事はなかった。
お返事をお出しするのが早すぎたのだと思われる。

それよりもっと大前提で、何かの理由で、私が送信したお返事メールが届かない、
というケースがあった。
その方は自力で電話で「お返事がこないけど、お問い合わせのメール、
届いてますか?お返事、送ってくれましたか??」と
確認の問い合わせを下さったのでことなきを得た。

お問い合わせのお電話だって、授業中に頂いた電話はとることはできない。
アトリエ中にかかってきたって、対応に真剣だったりすると
そちらに神経を集中させているので、とり遅れることがとても多くて、
気づいた時には切れている、ということが多い。

初対面の方の携帯電話にメールを差しあげても
失礼ではない時間帯にお問い合わせのお返事を差し上げられないのは
かなり心苦しい。
うーん、どうしたらいいんだ。。。。。。。。と、悩みは増すばかりだ。

そんな訳で、現在アトリエに通われている方は、
それらの苦難をものともしなかった猛者ばかりである。

タイミングも含めて、縁ってあるのかもしれないと思ったりもする。

しかし手をこまねいているばかりではいけない。

不本意なメール対応で、やりとりが途切れてしまったとき、
(きちんとした対応ができていれば、制作をご一緒できて、
いい時間を過ごしていただけたかもしれない)とよく思うのだ。
だからできることはしたいと思う。

最近メールを書いておいて、指定した時間に送る方法があるらしい
ということがわかったので、現在調べ中だ。

極端な情報弱者なので、企画倒れになる可能性もあるけれど、
その時はお問い合わせのところに
「この時間帯にお返事を書くことになります、すぐにお返事できなかったらすみません」
とお詫びの一言を添えようと思っている。

136.ラリー

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アトリエでは、さまざまな年齢の方が、それぞれに興味がある制作をして頂いている。

同じ部屋のなかでこちらでは絵を絵の具で描いていて、
あちらでは粘土を使っていて、
ここではのこぎりを使って木を切っている。。。といったような風景は、
ここアルケミストでは日常の風景だ。

普段は皆、ばらばらの制作をしているアトリエだけれど、
ちびっ子クラスには月に1回、「テーマ制作」という時間を設けている。
スタッフが持ち回りで「こんな制作があるよ」という紹介して、みんなでそれを作ってみる時間だ。

「やってみたい制作をしてごらん」と言われても、
どんな制作があるのか知らなければ選択肢にあげられない。

知らないものは選べないし、やったことがなければそれが好きかどうかもわからないはずだ。

なので、まずは「こんな制作があるんだ!」と分野を知ってもらい、
実際にやってもらって、経験の引き出しをつくってもらおう、という考え方だ。

皆で同じ制作をするのだけれど、
学校と違う点は、テーマ制作があくまで個々の制作のきっかけであり、
純粋な「紹介」だというところだ。

だから、テーマ制作の日は、時間の前半は皆で同じものを作るのだけれど、
後半になるとそれをもとに各自が色々な工夫を加えたり、
そこから別のものを発想して作品をつくったりしている。

それは、ある完成作品を目指して「教える」というよりも
テニスのラリーやキャッチボールのイメージに近い。
こちらがこういうボールを投げたら、こう返してきたか!という驚きが毎回ある。

紹介した手法や制作をこういう風に使ったのか!という驚きのほかにも、
イメージやアイデアが出る段階自体も側でみているとおもしろい。

まず本棚にいくひとや、今目の前にある作品をにらんでじっと沈思黙考する子、
アトリエ内をうろうろと動き回って
材料を物色してアイデアのきっかけを得るひともいる。

そういうときの私たちは、
投げたボールがどう返ってくるのかわくわくしながら待つ、といった状態だ。

ぼーっと待ってはいなくて、ちびっ子の様子を感じながら、
自分でも同じ制作をすることが多い。
ベテランのスタッフだと、自分自身がやりたい制作をいつも持っていて、
それをやりながらちびっ子とやりとりしたりしている。

この、静かだけど熱のこもった雰囲気の時間が私は大好きだ。

桜子さん、という大学生のスタッフのひとは、ちびっ子へのラリーがとても上手い。

みんなのアイデアが入り込む余地があって、
なおかつちびっ子が「やろうかな」と興味を持ってくれる制作の提案をしてくれる。

先日桜子さんは「デカルコマニー」を提案した。

紙に絵の具をたらして二つ折りにして開くと左右対称な絵柄が出来る、
というごく単純なもので、
幼稚園や小学校では定番の技法だと思っていたのだが、
その日アトリエに来ていた小学校4年生と5年生のちびっ子2人に聞くと
「いままでやったことがない」とのこと。
盲点だった。

桜子さんが紹介したデカルコマニーの手順を見て、
1、2枚やってみたあとは、こんどはちびっ子がそれを元に作品を作る番だ。

二人とも、しばらく考えていたが、
アイデアが決まるときっと早く形にしたかったのだろう、
ハサミを取りにいったり、ボンドを手元に置いたり、
材料を集めたりといったことをちょっと小走りになりながらやっていた。

出来上がったものはいままでと違って具体的な形はないけれど、
不思議な色の響き合いがあった。

二人はその作品を、掃除中もなんども見直したり、紙を立てて並べて見たりしていた。

「お友達の作品のいいところをさがしましょう。それをカードに書きましょう」
というせりふは図工の観賞の定番だ。
そうやって言葉にすることで、はじめて自分の気持ちに気がつくこともあると思う。

でも、すぐ言葉にはならなくても、なんだかわからないけどいいな、
なんだろう、これいいなって思っているこの時間もすごく大事で、
むしろこちらが「感じている」っていうことの
コアなんじゃないかなあ。。。。と思っている。

ところで、アトリエの入り口には植木鉢でつくった苔庭があって、
その庭にはオレンジ色の人形がいる。

誰がはじめたのかわからないが、スタッフ間で何となく、
その人形の配置をどんどん変えて遊ぶのが習慣になっている。

バタバタと忙しく働くオープニング作業のなかでちょっと配置を変える、
ただそれだけのことなのだけれど、
その人の機転やあそび心が伝わっておもしろい。

季節もそこで表現していて、
クリスマスの時期は白く塗られたミニチュアの樹木が追加されていたし、
新年は酉年だからだろう、紙粘土の小鳥が追加されていた。

自分が思いもよらなかった配置の苔庭を見ると、(おっ!やるなあ)と思ったりする。

これもラリーだよな、と思ったりしている。

135.みか先生

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アトリエには曜日ごとに担当のスタッフの方がいて、
月曜日は○○先生、水曜日は○○先生。。。。といった形で日々の制作を進めている。

私は全ての曜日に出ているのでわかるのだが、
のんきでゆったりしているところや、掃除をしっかりしてもらうところは同じでも、
曜日クラスごとにまったく違う雰囲気になっている。
担当して下さっている方と、集まっているちびっ子との組み合わせで
違いがでるのだと思うけれど、同じ「制作がすきなひとの集まり」でも
こんなに違うんだなあ。。。と感心してしまうことは多い。

水曜日を長く担当して下さったみか先生は、抽象画をこつこつと制作・発表されている方だ。
インターネットのスタッフ募集に応募して下さってアトリエのメンバーになった。

小学生のお子さまがお二人いらっしゃるお母様でもあるみか先生は、
すば抜けた瞬発力で限られた時間のなか、めいいっぱい仕事をしてくださる方だ。

そんなみか先生が、このたびアトリエ水曜クラスをいちど卒業することになった。

長らく続けてきた制作活動が実って、
西麻布にある画廊さんと作家契約を結んで職業作家さんとしてデビューが決まったからだ。

画家としての絵画制作に加えて、
もちろん二人のお子さんの子育てや家事もするわけで、制作の時間を確保するには
いま来ているアトリエ水曜日クラスの時間を使うしかない。。となったのだ。

みか先生と一緒に仕事をさせていただいてきた身からするとよかったなあ。。。。。。
としみじみ思うばかりだ。

出会いに恵まれていて、とご本人はにこにこしながらおっしゃるが、
横で見ていると、お忙しい中でほとんど2、3ヶ月に1度は何らかの形で
グループ展等の発表をされていて、ああ、忙しくて制作が出来ないなんて
言い訳なんだな、ということを肌で学ばせて頂いた気がしている。

と、書くと、いかにも気丈で目を三角に吊り上げて頑張る、
バリバリとした方をイメージするかもしれないが、
実際のみか先生は、なんともいえない明るくてふんわりした雰囲気の方だ。

自分に与えられた仕事のなかで、何かできないかと常に考えておられるのだろう、
よく水曜日のちびっ子の工作に使えると思って、と、
お家にある手作りの本や集めた貝殻など、役立ちそうなものを見つけてはお持ちくださっていた。

そういった、頑張りすぎないけれど前向きにものごとに向き合う姿勢の積み重ねと、
こつこつ自分でできること(=制作)を続けられたことが、
みか先生にとっての素敵な出会いを生んだのではないかと思っている。

水曜日の勤務最終日、アトリエの玄関先を掃除しながらみか先生はうつむいて何か考えておられた。
(やっぱり感慨深いのかな。。。)と思って拝見していたら、

「さとう先生、さつまいもって、のどにつまりますか?」と私に尋ねられた。

「? 。。。。そうですね、今はつまりませんけれど、小さい頃はよくつまっていました」

「息子がよくのどにつまらせるんですよ、さつまいも」

「はあ」

「あれって、とくに男子がいもをのどにつまらせる気がするんですよね、
息子の幼稚園のお友達とかを見ていると」

「はあ」

「唾液が少ないんですかね?もしくはのどが細いのかなあ。。。。」

「男子のほうが小さい頃は身体が弱いっていいますものね。
のどが細いとか、のどの筋肉が弱いとか?そういうことがあるのかもですよね」

「不思議ですよね」

ニュアンスのある抽象画を描くみか先生と、
いもについて考えているみか先生とのギャップがおかしくて、ニヤニヤしてしまった。

これからのことを、みか先生ご自身は緊張の面持ちで
「いまが頑張り時だとおもうのです」とおっしゃっていたが、
きっと、このバランスなら素晴らしい結果がでるのではないかと思う。

アトリエは、作家生活のリズムがつかめるまで
ワークショップを中心に参加して下さるので、ご縁は続く。

水曜日のみか先生にかわり、
水曜日を担当して下さることになったのは山口あずさ先生だ。

彼女は長く土曜日に通われていた方で、学童保育の先生を8年間なさっていた方なので、
ちびっ子との付き合いには相当のキャリアがある。
ちびっ子対応だけではなく、絵画も工作も、とくに手芸も得意な方だ。

拝見していると、自然に彼女の周りにちびっ子が集まって、
白雪姫と7人の小人のようになるのでなんだかかわいらしい。

新生水曜日クラスがどのような雰囲気になるのか、これからとても楽しみだ。

みか先生の絵画作品を取り扱っている画廊さんは
東京・西麻布にあるクローゼット、というギャラリーだ。http://www.gallery-closet.jp/
気になる方はぜひ、ご覧下さい。

2月には、香川県のあーとらんどギャラリーさんの企画で
名古屋のアートフェアにも参加予定とのこと。こちらもよろしければ、是非*
あーとらんどギャラリーさんのページはこちら http://artland-gallery.jp/

134.その後(2)

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土曜日にきていたももちゃんが美大生になって半年が経つ。

アトリエちびっ子チームから持ち上がりで今年の4月に美大生になったのは3名だ。

ももちゃんはそのうちの一人で、染織を専門に勉強している。
他の二人はアトリエに通い続けているけれど、
ももちゃんは勉強が忙しすぎてなかなか来れない。

先日アトリエのクローズ(最後の後片付け)に人手が足らず、
ももちゃんにメールで助っ人と要請したところ来てくれて、
実に久しぶりに顔を合わせた。髪の毛を長く伸ばして、
うっすらメイクもして、きびきびと立ち働くももちゃんはかなり頼もしかった。

小さい頃から居ただけに、仕事内容も
物品の細かい配置も勝手が分かっている分、仕事が速い。
工作の端材を揃えたり、鉛筆を削ったりと、
休みなく雑事を片付けながら顔見知りの後輩たちに気軽に声をかけている。

「カホちゃんひさしぶり、いくつになったの?」
「中3です」
「もう中三かあ~。。。高校は?」
「美術系の高校にしようと考え中なんです」

ほんと?と私を振り返るももちゃんに私がうなづくと、
「もう8月だよ?急いでデッサンしなきゃじゃん」
と口を引き結んだ。
「そうなんです。もし、受験するなら今からデッサンを始めるのは
かなり遅い。今までの蓄積があるとしても。。。。
だから、まだ受験決定じゃないんだけど、
一応カホちゃんは今日からデッサン本格始動しようと思っているんです」

「先生最初は何描いてもらうつもり」
「今日は様子をみるつもりでりんごにしようと思っているんです。
ももちゃん、できそうだったら一緒に描いてあげてくれますか」

「いいよ」
軽く返事をすると、
ももちゃんは早速イーゼルを用意して鉛筆を選び始めた。

鉛筆を選びながらカホちゃんに色々とアドバイスをしている。
数分後には二人はもうバリバリとりんごを描き始めていた。
いつもはじっくり取り組むタイプのカホちゃんも、
ももちゃんの勢いに押されてスピードが上がっている。
1時間半から2時間というところだろうか、みっちりデッサンに取り組んだあと、
二人は皆がお茶を飲んだりお菓子をつまんだりする休憩テーブルに戻ってきた。

「いやー久々だった」
「。。はー。。」

まだ頭から湯気が出ていそうな二人に冷たいお茶とお菓子を勧めてたずねると、
作品を見ながら具体的にアドバイスをする講評までしてくれたようだった。

カホちゃんが帰り、夕方の大人クラスになると、
ももちゃんは古株スタッフの深谷さんと
今勉強している染織のことについて色々と話をしていた。

授業の課題以外にも興味がある展覧会に出かけたり
文献を集めたりしているとのこと。
その日も近所で行われていた布の博覧会で売られていた
古い染め見本がついた古い染め物の本や、
色巻き、先染めの絹の糸などを買っていていて、
嬉しそうに見せてくれた。

もともと利発な性質の上に勉強家なので、
私も深谷さんも染織に関してはもう、知識も経験も全く追いつかない。
ももちゃんの頼もしさにほんのり嬉しくなった。

制作を通じてそのひとの変化を感じながら一緒に居られることって、
すごく貴重で贅沢だよなあといつも思う。

さらに、そうやって一緒に過ごしたひとたちが
成長して手伝いに来てくれるのは、さらに嬉しいことだよなと思う。

もちろん長いだけがよいということではないし、
中には短いおつきあいとなる人もいるけれど、
ここでの時間がよい記憶として残ってくれるとよいなあと
思うのは誰に対しても同じだ。

「また手が足りなくなったら言って。行けそうだったら、くるから」

どこまでも頼もしいももちゃんは、
元気にカンカンカン!とサンダルのかかとの音を響かせて帰っていった。

133.大人と子どもの制作

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アトリエ・アルケミストでは大人と子どもが一緒に制作をすることがめずらしくない。
特に土曜日は、小学生から社会人までの幅広い人が
同じ空間で制作をすることがままある。

1時から3時のちびっ子クラスの子がお休みした分も長く制作するときは、
夕方の大人のクラスに混じって制作するからだ。

制作も個々で異なる制作を進めているため、あちらでは日本画を描いて、
こちらでは粘土で塑造を作っていて、
別の場所では手芸作品を作っている。。。といった光景が広がる。
こればかりは実際にその場に身を置いて頂かないとわからないと思うのだが、
皆さん「つくることが好き」という共通点があるため
思ったよりも不思議な空間にはならない。

「こんな制作あるんだなあ」とお互い何となく見あったりして
刺激しあいながら制作が進む感じだ。

振り替えで居残り制作をしているちびっ子が、
自称「ガンダム」と称した鎧。。のようなものを一生懸命作り、
身につけて走り回っているのを、
塑造をしているひとが横目でみてちょっとリラックスしてくすりと笑ったり、
緻密で美しい彩色をしている大人クラスの女性の手元を、
正座して見入っている中学生の男の子がいたり。。

時には、ひとりの人の制作を皆で手助けしたりすることもある。
彫刻を石膏取りするときに使う強度をあげるための補助材を
巻いたりするのをみんなでやる、等だ。

先日は、大人の男性の作品をちびっ子がすごく気に入ってしまい、
どうしても自分のつくった紙粘土のカービイ(ゲームのキャラクター)と
一緒に写真を撮りたいと言ってきた。
大人の男性の作品は、磨くとつやの出る石粉粘土、
というもので作った兵馬俑を模した立体である。

「壊さないから!!ねー、先生、いいでしょ?」

「いや、壊さないのとかって当たり前だから。。。。
いいか悪いかは、私は決められませんよ。作者に伺ってみないと。
一応伺ってみますけど。。。どうしてそんなに一緒に写真撮りたいの」

「だってこれ、かっこいいじゃん」

男性は「?別にいいですけど、なんで一緒に写真撮りたいんですかね」と
不思議そうな顔をしながら快諾くださった。
翌週ちびっ子は意気揚々とカメラ小僧のように沢山の写真を撮っていた。
並べ方もいろいろ変えて、自分のベストが見つかったらしい。
大満足で帰っていった。
私も画像を分けてもらったが、
凛々しい兵馬俑が孫をひざにのせたおじいちゃんみたいに見えている。

(。。。。これが少年の心を掴んだベストショットなのか。。。。。。)

好みってほんとうに人それぞれで面白いな、と思った。

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132.その後

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アトリエでは小さい頃から通って来ている人が少なくない。
小学校2年生くらいで通うようになり、今は大学生。。
というひともめずらしくはない。
もちろん数年でアトリエを卒業するひともいるけれど、
大人のひとも、ちびっこも、基本的には通い始めると長い。
やめるパターンとしては、ちびっ子は受験がからむ卒業が多い。

はじめに出会った時の印象がいつまでも尾を引くので、
「あのときのあのちびっ子」が受験デッサンをするようになったり、
大学生になって手伝いにきてくれたりするのは嬉しいやらびっくりするやらだ。
これだけはいつまで経っても慣れることができなくて、
毎回感心してしまっている。

つい先日、受験のためにアトリエを卒業した男の子が
夏休みということでアトリエに遊びに来た。
毎週同じ曜日に通うのがアトリエの本来の通い方なのだが、
そのひとはアトリエをすっぱり止めてしまうのではなくて、
時間が出来たときにちょっとでも制作に来たい、という事で、
不定期の単発で制作することになったのだ。

「おお~はるわ!良く来たねえ」
「今日はお母さんに送ってもらってきた」

久しぶりなので少し照れるのか、
眩しいような目の細め方をするはるわくんと私は、
お互いにやにやと笑いあった。

アトリエを卒業する日に、はるわくんが
「あのさ‥アトリエやめても、たまに遊びに来ていい?」
と涙目でうつむいて言ったことを
二人とも思い出したのだと思う。

「塾はどう」
「最初は大変だったけど、今は慣れた」

そんなやり取りはほんの少しで、あとは制作の話ばかりだ。

今日はレアキャラのはるわが来たから、
みんなでいっしょのもの作りたいね、と話し合った末、
小学校2年生のみき君が「すごろくとか作ればいいんじゃない」と提案してくれた。

大きな紙を皆で囲んですごろくを作るのは楽しくて、

「ここ!ここにはまると抜けられない地獄をつくった」
「ここはね空港!飛行機で一気に5個すすむ」等々
いつもの3倍くらいの賑やかさで制作が進んだ。

よもやま話をしながら各自がアイデアを絵と文にしていくのは
思いのほか楽しくて、皆ギリギリまで制作を続けた。

制作する時間を地道に重ねることで、はじめて可能になることというのは結構ある。

単発だと気晴らしがメインになってしまうことをひそかに心配していたのだけれど、
大きな声で楽しそうに周囲とやり取りしているはるわくんの様子をみていると、
昔なじみが沢山いる空間で制作しながらホッとするだけでも
すごくいいのだな、と思った。

いつもみんなでする後片付けもしっかりやって、
汗びっしょりになるまで昔なじみとじゃれ合ったあと、
玄関先で「次来れるのは冬休みかなあ。。。。。。」
とつぶやくはるわくんに「いつでもおいで」と声をかけて見送った。

131.うわのそら

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昔から考え事をしていると他の事がおろそかになることが多くて、
小さい頃は「あんたはちょっとだけ地面から浮いていた」と言われていた。
考える、といっても何か難しいことを考えているのではない。
むしろ妄想に近いくだらないことばかりを考えていたように思う。

以前にもコラムに描いたけれど、タオルケットにくるまって、
毎夜「洞窟に住む小人の話」を自分でねつ造しては大興奮いたし、
飼っていたセキセイインコとは努力すれば
話せるようになるんじゃないかと思っていた。
(小鳥とお話できるといいな)だったらまだ夢があってかわいらしいが、
真剣に話そうと努力していたのだから救いがたい。
想像ではなく妄想である。

妄想癖は夜だけに留まらず、ほぼ24時間態勢で発動していた。
早朝の町の遠鳴りは「地球が回る音」だと思っていたし、
強い風は地球の呼吸だと思っていた。
おそらく自分が暮らしている場所をお話風にして、
気持ち的に納得出来るように捉えたかったのかもしれない。

最近再び考え事をする機会があって、
それはまだ継続中なのだけれど、久々に全力で考え事をすると
予想以上にうわの空になることが分かってちょっと困っている。

今まで決してなくさなかったものや落とさなかったものを
どんどん落として行くのだ。

わずか10日間の間にオートバイの鍵を落とし、
大事な書類一締めをまるまる置き忘れ、
携帯電話を講師先の学校に置き去りにし、
トイレには鍵束を置き忘れた。

結局オートバイの鍵以外は、
数時間から数週間のタイムラグを経てすべて見つかったから
よかったようなものの、今回の忘れ物は本当にひどかった。

一番大きな被害を被ったのは夫である。
せっかく仕事が早く終わって帰宅しても、
連日出迎えるのは「○○なくした!いっじょにざがじでくだざい~。。。」
と泣きつく妻なのだ。可哀想なことこの上ない。

忘れ物騒動が落ち着いたある朝、
主人が笑いながら「夢を見たよ」と言った。

なんの夢?と尋ねると、「由樹子(私の名前)が
トイレ掃除の時に便器をどこかに置き忘れて、
そのせいで僕が漏らしてしまって『なんで便器忘れてきちゃうんだよ!』
って怒る夢をみた」とのこと。

夢にまで追いかけてくる、妻の落とし物の恐怖。

お世話をおかけしてほんとにすみません。。。。。

と、深々と反省した一件だった。

130.きれいな顔

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木曜日のちびっ子クラスは大人しい女の子が多いクラスで、
いつも静かな時間が流れている。

そんな女の子のひとり、なぎちゃんはかわいいものが大好きだ。

アトリエでのなぎちゃんは口数は少ない。
話したい事がないわけではない。
ごく親しい人以外に、気持ちを言葉にして押し出すのに
少しエネルギーが要るのだと思う。
だから、話には表情で参加しているし、大好きなものの話題になると、
ためらいを忘れてぱあっと話しだしたりする。

なぎちゃんは今、自分でデザインした服を作っている。
今回は実際にある服を分解したりつなげたりして服にしてもらっている。
これをすると服のつくりがなんとなく分かるので、
一枚の布から服を仕立てることが理解しやすくなるからだ。

なぎちゃんが今回デザインしたのは、爽やかな白いスカートと、
ブルーのシャツを縫い合わせたワンピースだ。

ブルーのシャツは大人のサイズなので、
ウエスト部分を手縫いで縫い絞ってプリーツが出るようにしてある。
デザイン画はいつも使っているクロッキー帳に描いた。

なぎちゃんの、イメージを形にしようとする気持ちの強さはたいへんなものだ。
すごいよなあ。。。といつもちょっと感動してしまう。

例えば、1時間半かけてつなげた部分のプリーツが
偏って縫い上がってしまったことに気がついたときがあった。
ウエストの片側にはギャザーがたっぷりと入り、
もう一方はほとんどプリーツが入らないシャツになってしまったのだ。

それに気がついたなぎちゃんはちょっと口を尖らせて黙考したあとに
「やりなおす」とぽつん、と言った。

その後2時間かけてミシンの糸を切ってスカート部分とシャツ部分を分離させ、
再び手縫いでシャツのプリーツを作り直した上でミシンで縫い付け直したのだ。
大人だってギブアップしそうな、地味な作業である。

今は形は出来上がったワンピースに色々な装飾を施しているのだが、
ここでも驚異的な粘り強さを発揮している。
スカートにつけたい、ネコのアップリケの口元の表情が、
どうしても布ではできないからと手縫いの反返し縫いをまず練習して、
刺繍でくるん、と口角のあがったネコの口元を作ったのだ。

言葉ではうまく伝わらないかもしれないけれど、
ほんとにすごいよなあ。。。と思う。

学校の成績にかかわる訳でもないし、
誰かに褒められたいというのだけではこんなに集中は続かない。
本当に、こういう服があるといいな、と思って、
作りたいと思っているからできることなのだと思う。

その気持ちでなぎちゃんはミシンを覚え、半返し縫いを覚え、かがり縫いを覚え、
きっとまだまだ様々な技術を覚えていくのだと思う。
そうして覚えたことはきっと、彼女の身に付いて、
次回以降の彼女の制作を助けてくれる。
頭ではなく、気持ちと身体で覚えていったものだからだ。

膨大な手間をかけたネコのアップリケは、
先日ついにスカートに縫い付けられはじめた。

さすがにこれで終わりにするかな、とおもっていたのだが、
次は「ウエスト部分にハートのボタンをつける」のだそうだ。
材料はすでに選び済みである。

なぎちゃんは焦らず、デザイン画を見ながら制作を進めている。
その顔は本当にきれいだ、と思う。

129. 続ける

129 続ける

先日、PCを持って、最寄り駅の駅前にあるコーヒーショップで仕事をした。

レジで注文をとってくれる女性に見覚えがあったので瞬きをしたら、
以前私立の学校で授業をしていた子だと分かった。
向こうもすぐ分かったらしく、もう大学2年生です、と照れ笑いをした。

ご縁があって授業をさせていただいている私立学校は一貫制の大学部まである学校で、
いつの間にか10年近く授業をしているため、こういうことがよくある。

「ねえねえ、おかあさん。あっ!間違えた、せんせい」
なんて呼び間違えをしていた男子が180センチ近い身長になっていて、
女の子と手を繋いでいたりしているのを目撃して大衝撃を受けたこともある。

レジの女性は彼女が小学五年生の時に美術の授業をしたので、何年ぶりになるだろうか。
久しぶりですね!と言葉を交わしたあと、コーヒーカップに口をつけながらきびきびと働く彼女を見た。
すらりとしてきれいだ。

入り口で聞き覚えのある声がするので目をやると、
パーカーを着た男性とジーンズ姿の女性のふたり連れが入って来た。
女性のほうは髪が長く、長い睫毛に薄く透けた茶色の瞳が特徴的だ。
これまた、五年生と六年生の時に授業をした女の子だとすぐ分かった。

当時の彼女は大変ボーイッシュだったので、外見は激変していたのだが、
声の響きと会話のテンポ、特徴のある瞳ですぐわかった。
久しぶりに見る彼女はすがすがしく健やかな魅力を全身から発散していて、
見ていてすごく嬉しくなった。

美術の授業は制作と作品があるためか、
心の癖、というかその人の雰囲気というものを身体が覚えていて、
相当年数が経っていても、あ、あの時の子だ、とわかることが多い。

にやにやしていたら向こうも気づいて、肩をすくめて笑った。

おそらく恋人であろう人と一緒なのが照れくさいようだ。
店を出る時に「きれいになりましたねえ!」と話したら、
ありがとうございます!と、ぱあっと花が咲くように笑った。

一瞬だったけれど、なんだか嬉しい時間だった。

128. 七輪

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土曜日クラスで受験が終わった人がいたので、七輪でおつかれさま会をした。
今年は三人が大学受験、二人が高校受験だ。
大学受験組は、美大を受験したひとは全員合格だった。
前のコラムに書いたももちゃんも、無事に春から多摩美生である。

アトリエには玄関に七輪が常備してあって、ちょっとしたイベントによく使われている。
大したイベントでなくても、「寒いから焼き芋をしよう」とか、
「じゃがいもがたくさん手に入ったから焼いて食べよう」など、わりあい気軽に使っている。

準備は基本的に、アトリエに通う年数が長い、お兄さんお姉さんが中心でやった。
ちょっと年下の子はお兄さんお姉さんに教えてもらいながらお手伝いをして、
通い始めたばかりのちびっ子はまわりを走り回って楽しみながらちょこっとお手伝い参加をする。

いつもやるクロッキーは全員が描くし、各自の制作もしたい人はするので、
この日のアトリエは外も中もとても賑やかだった。

アルケミストは「つくることがすき」というくくりで
色々なひとが集まって制作しているアトリエだ。
だから、色々な制作ができるように種々雑多な道具や材料を用意している。
色々な道具や手法と出会って、試して、これだ!と思う制作を見つけてくれるといいな、
という気持ちがあるからだ。
ちびっ子にはさらに、経験の引き出しをたくさん作って欲しい、という気持ちもあって、
それは私だけではなく、今ではアトリエみんなの総意になっている。

材料や道具の種類が増えるとそれだけで掃除も準備もコストも大変になってしまうけれど、
そんなことは関係ない。いろんなものに触ってよ、と皆が思っているので、
アトリエのスタッフや年長者のお兄さんお姉さんは日々黙々と道具と材料の整理整頓をする。

七輪はもちろんイベントで、遊びだ。
でも、経験の引き出しを増やして欲しいという気持ちの延長線上にある遊びでもある。

皆で何かしているときに自分は何ができるかな?とお手伝いのために頭をめぐらせたり、
雑巾が絞れたり、火をおこせたり、怖さを知って火の始末ができたり……
食材ひとつとっても、無駄にならないように使えたり、
使いかけの包丁の刃は人のいない方向に向けることを知っていたり……。

そういう、「ほんのちょっとしたこと」が出来るって、ひととして格好いいよなあと思ってしまう。

今回はスタッフが殆ど手をかさなくっても、大学生になる子達を中心に、
みんなで片付けまで美しくやった。それぞれが周りをみながら手分けして準備をして、
楽しんでもりもり食べて、片付けもワイワイいながらやった。

制作したい人は、上手に合間を見つけて抜けて制作もした。
夕方からの大人クラスに来られた社会人の方に、「焼いたのでどうぞ」と
ジャガイモやソーセージを振る舞う場面もあったりした。
小学3年生から大学生までが一緒にそうやって楽しめるのは、なんだかいいよなあと思う。

「木炭の火がついてる音っていいよね」
「燃えてる時のにおいも好き」
「そうそう、なんかいいんだよね」

そんな事を話している年の離れた同士の会話を聞いて、なんだかすごく嬉しくなった日だった。

127. ももちゃんの受験

127
アトリエではあんまり受験デッサンだけをお受けする、ということをしていない。

小さい頃からアトリエに来ていて、高校生になったひとたちのなかに、
美術大学を受験する人が出ると、お手伝いしますよ!といったスタイルを取っている。

彼等は小さい頃からクロッキー、といって短い時間で人物を見て描く、という
ことを毎回のアトリエの制作時間にしてきている。だから、ものを見る事には慣れている。

どこを見るひとなのか、どのようなところに注目するたちなのかは、枚数を重ねてきた
クロッキーを見ればわかるので、デッサンのレッスンはそれを元に個々でメニューを組んでいく。

受験デッサンで見られるポイントというのはある程度は決まっている。
それをクリアしつつ、本人の持ち味を維持することを目指すのが
アルケミストでの受験デッサンの基本だ。

受験や大学は数年の話だ。卒業してからの制作や人生の方が、ずうっと長い。
受験のために必死になりすぎて、
本人が持ち味がすり下ろされてしまったら勿体ないよね、と思うのだ。

ももちゃんはおおらかなものの見方と、
持ち前の知的な理解力が面白いバランスで入り交じったデッサンをするひとだ。

実技試験のひと月ほど前、今年の大学受験生に
アトリエの仲間やスタッフが一本ずつデッサン用の鉛筆を削り、
プレゼントすることにした。
今年は美術系の大学を受験するももちゃんと、
工学部系の大学を受けるつっちーのふたりに鉛筆を贈った。
さとちゃんという女子も受験生だったが、彼女はすでに受験は終わっている。
来春から晴れて美大生に決まっているので、鉛筆は削る側だ。

ももちゃんへは、男性陣の青木っくすが
革でペンケースを縫ってくれ、そこに皆の削った鉛筆を入れて贈った。
つっちーへは、女性陣の深谷さんとさとうが
ペンケースをミシンで縫い、お手製のバッジをつけたものに鉛筆を入れた。

鉛筆が受験で実際に役に立つかは分からない。
ただ、皆が彼等のことを気にしている、ということを、
触れるかたちで伝えたかっただけだ。

ひとりひとり、鉛筆の削り方は違う。

(おさだはめちゃくちゃな削り方だなあ)

(すごく先を尖らせるのがあおきっくす)

といったように、触って、少し笑ってもらえたらいいなと思ったのだ。

ももちゃんのすべり止めは先日合格となった。

ふたりともまだ本命の結果は出ていない。

上手く行くとよいなあ、と思っている。

126. ふたりの時間

126
今日から春だな、と思うときがある。

それは朝アトリエに来て窓を開けた時の空気の香りともいえない香りだったり、
眠そうに間延びした調子の鳥のさえずりだったりする。

「何がどうだから今日から春である」という基準はないけれど、
春だなと感じる瞬間は確かにある。不思議だなあ、と毎年思う。

先日から土曜日の夕方のクラスに
ご夫婦がお二人で制作にいらしている。

アトリエで出会ってご夫婦になり、お二人で通うようになる。。。
といったパターンはわりあいよくあるのだが、
ご夫婦でご見学にいらして、そのまま制作をされているのは今回が初めてだ。

ご主人は人物画を描いておられ、
奥さまは植物をていねいに見て描くデッサンの連作を制作している。

アトリエではご主人、奥さま、といった呼び方はしていない。
お二人ともお名前で呼ばせて頂いている。
たしかにご夫婦なわけなのだけれど、個の肌理がしっかり立っているような、
ひとりの人の隣に、ひとりの人がいる、といったお二人の存在感がそうさせるのかもしれないと思う。

ご主人はしばらく、アトリエのスタッフをモデルに描いたり、
「あまり気を使わなくてよいから」という理由で自画像を制作されたりしていたが、
ある日「妻をモデルにしてもよいでしょうか」と言われた。
やはり気を使わないでよいから、との理由からだ。
奥さまは「じゃあ、あまり大きく動けませんね」と微笑んでいた。

それは気がつかなかった、と私たちは話しながら、イーゼルを並べて立てて、
真ん中にちいさな机を置いた。机には奥さまが選んだモチーフが乗った。

彼女は懐かしいものを見るように、いとおしむようにモチーフを描く。
何度も確かめるようにモチーフの植物を見て、
ていねいに紙の上にそれを再現していく様子を、ご主人が見て、描く。

そこには言葉ではどうしても伝えられない、
とてもよい空間が立ちのぼっているような気がしてならなかった。

純粋に作りたいものを制作するとき、私たちはある部分がむき出しになる。
私たちが普段働かせるある気遣い、
学校や会社、近所での会話ではたらかせるようなある気遣いはそこにはない。

そのように、純粋にそのひとが感じたことが出たものを見た時、
私はいつもすみません、とひれ伏すような気持ちになってしまう。
まるで、そのひとそのものに触れているような気がするからだ。

それは何十時間もの会話や、どこそこで生まれて、だの、どこで働いて、だのといった
自己紹介を飛び越えて、私たちをある親密さに連れていってくれるように思えてならない。

お互いをよく知らない者同士でもそのような空間が出来るのに、
ご夫婦は好きで結婚し、一緒に暮らしているのだ。
こんなにも親しい、濃やかな空間があるだろうか。

デッサンの部屋に行ってお二人の制作を見て来た20代の男性スタッフが、
「うらやましいですね」とうつむいて言った。
「すごく、うらやましい」

今朝アトリエのオープニングのためにバルコニーに出たら空気の香りが変わっていて、
咲き始めた梅の花に2羽のメジロがとまって盛んに花をついばんでいた。
今日から春だな、と思うと同時に、ご夫婦お二人の制作が思い浮かんだ。

125. 遠足

125
アトリエのちびっこクラスでは、時おり制作時間を外で過ごす。

春、桜が咲いたらスケッチをしに行く。
冬の寒い時期には七輪で焼き芋を焼いて過ごす日がある。
夏は制作を早めに切り上げてしてスイカ割りをする日がある。

先日は、同じ町内にある玉川大学まで出かけて、
彫刻の教授の作品展を見てもらう鑑賞会のようなことをした。

大学の個展会場までは徒歩で25分ほど。ちょっとした遠足だ。

アトリエのスタッフが2名同行し、その日「行きたい」と
言ったちびっ子が出かけていった。
制作をしたいひとは留守番の私と一緒にいつも通りのアトリエでの制作である。

今回は彫刻作品を生で見てみてもらって、作者と会話してもらいたい、
ということと、大学をちょっぴり覗きにいこう、という主旨の遠足だった。

遠足に参加した小学校5年生のはなちゃんは、絵が大好きだが、
彫刻はそもそも接点がないため好きでも嫌いでもない。
彼女はどんなものを見てくるのか、帰ってきたら話を聞きたいね、
と残った人と言いながら留守番をした。

制作時間の、1時から3時までの時間をギリギリまで使って
遠足から帰ってきたはなちゃんは興奮で息を弾ませていた。

バラの形をした松ぼっくりが山盛りに入った紙袋を抱えている。

「あのね、大学でレアな松ぼっくりがすごく落ちてるところを見つけた!
すごいいっぱいあった。。。。!!」

この松ぼっくりは、アトリエでは「すごくレアな松ぼっくり」として貴重視されているのだ。

「おおー!!すごいですねー!!」
「でしょ」
「あんなに沢山のコレが落ちているとこ、見たことなかったですよ」
「いやあ興奮しましたねえ」

同行した2人のスタッフ、まっちゃんと深谷さんもすごく嬉しそうだ。
彼女たちも実は木の実拾いが大好きなのだ。

「...。。。。。あのさ、個展は行ったよね?」

「もちろん行きましたよ。はなちゃん、高橋先生とけっこう話せて、
先生からお菓子もらいました。」

「それより、この松ぼっくり!帰り道に学内で見つけたんです。
すごい短時間で、こんなに拾えました。いやあ、すごかったですよ〜」

「。。。。。。。。」

ほどなくお母さまがお迎えにいらして、
はなちゃんはパンパンになった紙袋を誇らしげにお母さんに見せた。

「ねえ、すごいでしょ、こんなに拾った!!」
「え、はな、彫刻は見たの?」とお母様は首を傾げている。
「行ったよ。ねえ、これ持って帰っていい?」
「いいけど。。。。。。」

私とお母様はきっと同じような顔をしていたと思うが、
とても嬉しそうなはなちゃんはそれには頓着せず、何度も紙袋をのぞき込んでいた。

「はなちゃん、彫刻の先生とお話し出来たみたいです。お菓子をもらったそうで」
フォローのつもりでお母様にそう話すと、「いろいろ楽しんだのですね」とお母様は眉尻を下げて笑った。

ふわり、とおおらかな空気をまとったお母さまのもとで、
今の彼女の伸びやかな制作のベースができているのだろう、と感じる。

二人が帰ったあと、スタッフのまっちゃんが笑いながら言った。

「はなちゃん、松ぼっくりのぞき込みながら
『。。。こんなに楽しくって、いいのかなあ。。。。』て何度も言ってました」

「あ、はっちゃん、彫刻もすごく見ていたんですよ」
深谷さんも笑いながら言った。

「先生ともかなり話しましたし。おもしろい体験だったんじゃないかなあ。
ま、その後の松ぼっくり拾いで印象は吹っ飛んだと思いますけど。」

私は思わず頭をかいてしまった。
「。。。。楽しんでくれたんだったらよかった。。。のか?なあ。。」

何がおかしいのかよく分からなかったが、なんだか面白くなって、3人で笑ってしまった。

124. ハロウイン騒動

124
先日、都内のイベント会社からアトリエに「ファッションビルの装飾として
ハロウイン向けオブジェを作りませんか」
というメールが届いた。

場所は町田の駅近くにあるファッションビルで、
案が通れば仕事として発注する、とのことだった。

地元のそのビルでディスプレイの仕事ができるとあって
興味のあるスタッフは色めきたった。

それから2週間ほど、ああでもない、こうでもないと言いながら案をまとめ、
試作をし、完成予想図を描き、先方にメールで送信した。

結果から言うと、結局(アトリエでオブジェを作る)お話は流れてしまった。
イベント会社の方は喜んで下さったけれど、実際に仕事の発注先になるファッションビルとは予算が合わなかったのだ。

こうやったらいいだろう、とか、ああやったらどうなるだろう、と
直前までやり取りをしたり、試作をしたり、まるで学園祭の前夜のようだった。

後日実際に飾られているオブジェを見たら、私たちが考えたものよりも
もっとずっとシンプルで、カボチャの造形物が二つ、
ころんと造花の中に置かれていた。

なあんだ、こういう簡単なもので良かったのか!と笑ってしまった。

急に降って来た話に皆で全力であたっていくのはとても楽しかった。
いい夢みたなあ、と思っている。

123. すいか割り

123
アトリエでは毎年、気温が高い8月の土曜日にスイカ割りをするのが恒例になっている。

アトリエの前にはほんの少し駐車できるスペースがあるので、
そこをつかってスイカ割りをするのだ。

この日は30分ほど早く制作を切り上げて片付けをして、部屋に大きなビニールシートを敷く。
思いっきり食べて、思い切りこぼしても大丈夫なようにだ。

あとは道路ですいかが転がっていかないように、
染め物用の大きなアルミ鍋にスイカをどん、と入れて、
材料の角材をみつくろって消毒すれば準備は万端だ。

毎年参加しているちびっ子は
「棒はこれでいい?」
「消毒終わった?」
などなど、てきぱきと準備をしてくれる。もう慣れたものだ。

アトリエアルケミストのスイカ割りで、
スイカを割ることより皆の関心を集めるのが「今年は鍋がどのくらい無事か」ということだ。

アトリエの、スイカ割り兼染め物用の大きなアルミ鍋は、
毎年のようにみんなが振り下ろす渾身の一撃を一身に受けてふちがボコボコにへこんでいる。
取っ手はとっくに吹っ飛んでしまっていて、もうついていない。

今年は小学生から中高生、大学生までが8人ほど集まっただろうか。
スタッフを含めて十数名がジャンケンで順番を決め、
タオルで目隠しをして、10回ぐるぐるその場で回ってから順にスイカを割って行った。

「 右!右!」「あーもうちょっと後ろ、下がって!」とか、
思い思いにナビをしていくのを見ると、
ああ、夏だなあと思う。

みんな正直にナビをするので、大きくはずれる人はいなかった。
しかし、力が足らないのだろう、当たることは当たるのだが、なかなか割れない。

そのうち、中学1年生のけんと君の番がきた。
彼はクールな物腰とは裏腹に、恐ろしくパワフルな作品を作るため、アトリエでも一目置かれている。
皆からは「けんちゃん」と呼ばれている。

「けんちゃん、左!左!」
「ちょっと下がって!」

けんと君はぴたり、と静止するとやにわに角棒を振り下ろした。

「あーー!!」

丈夫なはずの角棒はすいかから逸れて地面に当たった。
アスファルトの地面によほど強く当たったのだろう、
角棒の先は鈍い音とともに、粉砕してしまったのだ 。

「けんちゃんどれだけ力があるんですか!」
「うわー角材、粉々だ。。。」
「鍋にあたらなくってよかったよねえ」

結局、小学5年生男子のたくと君が、新たに用意した角材でスイカをまっぷたつにした。
そのあとはみんなで大きく切ったスイカをどんどん食べた。

大きなスイカがまるまるひとつ、一気に無くなっていくさまはなんだか壮観だ。

何故か今年は全員がナイフとフォークを使って食べていた。
正座までしている人もいる。

「なんで?」と聞いても、本人達もわからないらしく、「さあ」と要領の得ない答えが帰ってきた。

今年は猛暑が続き、連日35度を超えている。
暑いとみんな、ちょっとづつ変になるのかもな、とスイカにかぶりつきながら思った。

122. エビフライで山をつくろうリターンズ

122
アトリエではよく、通われている大人の方がなんとなく集まって
ごはんを食べたりどこかへ出かけたりということをする。

毎回行く人が決まっているわけではなくて、たまたま都合がよくて、
しかも気分が乗ったひとが行く感じだ。

制作のあとにお腹がすいたので近所のカレー屋さんへ行く、といった、ただの寄り道から、
浅草に出かけて落語を聞いてもんじゃ焼きを食べる等の遠足的なものまで内容はいろいろだ。

以前のコラムにも書いたのだけれど、
そのようななかでも「いい大人がくだらないことにどこまで真剣に取り組めるか」
に集中したイベントをやる時があって、アトリエでは通称「大人の自由研究」と呼ばれている。

「エビフライで山をつくろう」というイベントは、3年ほど前の自由研究企画だ。

土曜日スタッフの深谷さんがエビが好物なので、
年末のささやかなボーナス代わりに1万円分のエビフライを買って、揚げて山にし、
それをボーナスとする、というイベントだった。
現金ではなくエビフライになったのは本人の強い希望だ。

結果からいうと、この企画は当時は実現しなかった。

そんなにも深谷さんはエビがすきなのか、と思ったので
その年のクリスマスに甘エビを2キロプレゼントしたところ、
彼女がエビに飽きてしまったのだ。

よく考えれば、2キロも一人でエビを食べたら飽きるにきまっていたのだ。

深谷さんはイラスト入りのポスターまで掲示してはりきっていたのに、
甘エビ以降、企画がまったく進まなくなってしまった。
せっかくの好物を食傷させてしまい、悪いことをしたなあと思っている。

ポスターはそのままアトリエの玄関に貼られ続け、
「これ、どうなったんですか?」と伺う度に「はあ、まあ。。。」とか、
「そのうち。。。」とかお茶をにごし続けていた。

今回は、ごく近所の文化センターで
調理道具が完備の広い会議室が使えることがわかったのがきっかけで、
一気に企画が実現することになった。
深谷さんのエビ欲も復活したとのこと、構想3年、満を持しての開催である。

2015年6月13日土曜日、17時半より、
アトリエから徒歩8分の文化センターにてエビフライを調理したのち山にして、
写真を撮り、美味しく頂く予定だ。

予算の上限があることがかえっておもしろくて、いろいろ工夫のしがいがあり楽しい。
今のところ、おおよそ230尾程度のエビフライが買える見込みになっている。

スタッフの深谷さんと企画の相談のためメールのやりとりをしていたところ、
「エビフライだけだと飽きますよね、コロッケとかも揚げましょう」とメールが来た。

エビに飽ききった者だけが語れる実感がそこにはあったように思えた。

・・・深谷さん、すみませんでした。。。。と思った。

“””

121. シトロン

121
月曜日のアトリエ終了後、いただきもののお菓子を食べることにした。
ふたを開けると、箱の中にはカラフルなマカロンがころころと並んでいる。

のんびりが身上のアトリエだが、
開講準備から制作時間、後片付けのクローズ作業までスタッフ同士が話し込む、ということはほとんどない。

別に不仲なのではない。
全員、愚直なほど真面目に仕事に取り組むからだ。

オープニングは集中して、大忙しで働く。

階段に落ちた落ち葉の掃き掃除から玄関の水拭き、
花を飾り、トイレや廊下の掃除、お茶淹れ、その日の制作の下こしらえ等々、
きびきびと2人掛かりで進めても1時間はかかる。

月曜日は女性メンバーの松っちゃんと男性メンバーのあおきっくす、私の3人で担当しているので
他の曜日よりやや作業量に余裕があるが、のんびりできるほどではない。

雑巾を畳んだり、材料を整頓したりしながら
「○○ちゃんは風邪でお休みです」とか、「○○くんは今日どうしよう?」等々の
業務連絡的な事を話しているとあっという間に開講時間になる。

アトリエの制作中になれば制作をしている方やちびっ子との会話が中心になるし、
後片付けのクローズ作業は主婦のスタッフの方もいらっしゃるので、
可能なかぎり早く終わらせてあげたくて、やっぱり大忙しになる。

たまにこのように終わってからほっとする時があって、
そういう時によもやま話に花が咲く。

土曜日は昼休憩があるので、休憩中にくだらない話もできるが、
平日にこういった時間が持てるのはなんだか贅沢で嬉しい。

あまり馴染みのないお菓子だったのだろう、
女性メンバーのまっちゃんがひとつつまんでいる横で、
男性メンバーの青木っくすがお茶を淹れながら箱を珍しそうにのぞきこんだ。

「これなんですか」

「いただきもののマカロンです」

「マカロン。。。初マカロンです。何味なんですかね」

「マカロン味なんじゃないですか?」

「。。。。。いや、色がみんな違うじゃないですか。」

「ああ、そういう。。ええと、箱のなかに確かお品書きがはいって。。あった、これです。」

青木っくすはお菓子の説明が書いてある小さな紙片をじっと眺めた。

「ピスタチオ。。。って何ですか」
「ナッツの種類だと思います」
「フランボワーズって」
「いちごの親戚だと思いますよ」
「。。シトロンは?」
「柑橘系だから、レモンとかのことですね」

「じゃあこれ、チョコ、ナッツ、いちご、レモン、ってことですよね」

「まあそうですね」

もぐもぐ口を動かしながら、青木っくすは「これからはレモンをシトロンっていいます」と言った。

「あ、そこのサンマにシトロン絞って、とか言うことにします

ああ、今日はおしゃれになってしまった。。とつぶやいて青木っくすは帰っていった。

さんまにシトロンを絞るのがおしゃれなのかどうかはよくわからないけれど

やっぱりよもやま話はおもしろいな、と思う。

こういう話が贅沢で楽しいのだ。

120. 桜をみる

120
今年は花見に真剣に取り組もうと思い立ち、やってみた。

ここ何年も、「ああもうちょっとしっかり桜を見たかったな」と思っていたので、
今年は桜見物を全ての最優先にする、ときめた。

桜は待ったなしで、自分の都合では咲いてくれない。仕事だから。。と言っていては、
いつまでたっても桜はしっかり見られないぞ、と思ったからだ。

咲き始めの夜桜はアトリエいらしていた皆さんと一緒に見物した。

思い思いの飲み物を手に、立ったままの桜見物だったけれど、
ふっくらとしたつぼみが自分が知っている桜よりもずっと濃い紅色をしていて、
波飛沫が頭の上から降ってくるように見えた。

枝から月が透けて見えて、
日が落ちたばかりの街の夜景もきれいで、いいなあと思った。

5、6分咲きの桜は、夫婦で休日に見た。
「さくらめぐりフェア」と称して近所の桜を探してねり歩いたのだ。
小学校や団地の公園だけでなく、ふつうの住宅に見事な桜があったりして、
自分が思ったよりもずっとたくさん桜があるのだなあ。。。と思った。

近所の川沿いの桜は川に向かって手を差し伸べているようで、とても素敵だった。

夜桜もみようと思い、平日アトリエクローズ後にスタッフ3人で花見をした。

超特急でつくった花見弁当を芝生に座って食べながら、降るような桜を見た。
7分咲き位だった。
じっくり見ることができるはずだったのに

仕事後で腹をすかせていたせいか、弁当のほうに集中してしまった。惜しかった。

しっかりみなかったくせに「夜桜がきれいでしたよ」と家で自慢をしたところ、
翌日夫は早く帰ってきた。桜を見ようとのこと。

そのまま二人で川沿いの夜桜を見物に夜の散歩をした。
平日の夜だったので人が殆どいない、とても贅沢な桜だった。

川のさらさらと流れる音を背景に、桜が視界いっぱいにひろがっていた。
花で向こうが見えない位で、二人でいるのにしん、とした気分になった。

生姜をたっぷり入れた熱い甘酒を飲みながら、「いいねえ」といいあった。

それぞれ好きな樹の下で桜を楽しんでいたら、
「うおっ」と声がした。
何かと思ったら暗いので、夫が犬の糞を踏んづけたらしかった。

ずりっ

ずりっ

と、川の音と、桜のひそひそした葉ずれのような、花びらが触れあうような気配と一緒に、
糞をふんづけた靴底をなんとかきれいにしようと片足をひきずる夫の歩く音が耳に残った。

何度も桜は見たけれど、やはり一人で桜に取り組みたいと思い、時間を作って桜をみた。

一人で見る桜は、桜とわたしの二人きりだ。
下に立って桜に包まれる気配を楽しんで、
スケッチしてじっくり細部に入り込んで楽しんで、
樹の幹の力の入り具合を楽しんで、桜の下をゆっくりと歩く見物客を見て楽しんだ。

写真を撮ると、もう桜を集中して味わっているのとは違う気がする。
飲み食いしたり、誰かと一緒は楽しいけれど、会話やたべものに注意が行ってしまう。
ちびっこと一緒の時は無事全員が帰ることが一番になる。

ただ桜が見たかったのだ。

そういう意味でも、今年は桜に真剣に取り組んだ。

散り始めは朝に早起きして見た。
まだ足跡がついていない遊歩道は雪が降ったみたいだった。

がくだけになった桜の木のそばで、こんどは他の樹の芽がたくさん出ていた。

119. ふるさと

119
師が定年退職を迎える。
大学に通っている時も、社会人になってからもお世話になっていた、大切な恩師だ。

教えていただかないとどこの国のものなのか、何の為に使うのかさっぱりわからない道具が
ところ狭しと置いてある先生の研究室は、見た目はおそろしく乱雑なのだけれど、
そこへ飛び込むとどんな時でも心の底からほっとしたものだった。

先生はたいてい、それまでしていた作業の手を止めて、
お茶を煎れて下さる。

先生が煎れて下さるお茶は本当においしくて、
いつもどうしてこんなにもおいしいのだろう、と不思議でならなかった。

じんわりと心の底から嬉しくなるような、美味しいお茶で、
口に出そうになった日常のささいなぐちや困りごとも、すうっとどこかへ消えていくような気持ちがしたものだった。

今、アトリエの方がいらした時に「まずはお茶をどうぞ」とお茶を差し上げているのは、
少しでも先生の真似をしたいと思ったからだ。

先生の研究室があった校舎は、耐震強度の問題だとかで
すでに数年前に取り壊されて、なくなってしまっている。

退官まであと少し、という時期に引っ越しをしなければならなかった先生は、私のいらない心配をよそに
飄々と、「新しい研究室」を見事なまでに乱雑にしていった。

なじんだ古い道具達や材木を持ち込み、窓際に古畳を一畳敷き、文机を置いて、取り壊された
校舎のがれきから「救出した」元・究室室のドアノブを取り付け、すっかり先生の空間にされていた。

引っ越しお祝いに「新しい研究室」へ伺った時、すごく嬉しい気持ちでそれらを眺めた事を覚えている。

先生の研究室に、ひんぱんに通っていたわけではない。
数年間伺う事ができなかったことだってある。

そんなときでも、わりあいいつでも心の隅で、「自分にはあそこがある」と思っていた。

仕事の合間をぬってはバイクで駆けつけて、
研究室の片付けのお手伝いに伺ってどれくらいになるだろうか。

あと少しで片付けも終わる。

研究室で先生が煎れてくださるお茶も、もう飲めなくなる。

今度こそ本当に、私がお茶を煎れる番なのだろうか。

アトリエも、通われる方の何人かにとって、
「いいさ、アトリエがあるもんね」と思ってもらえるような場所になれるだろうか。

と、つらつら考えつつ、
アトリエの庭に咲いた桜を眺めながら、やっぱり今日も、やかんから直接、お茶をどぼどぼ注いでいる。

118. スピード

118
そろそろ苗を植える時期がやってきた。
3月になると、色々な場所で植物苗が沢山出回るので楽しい。

草が好きでいろいろと育てているけれど、
種類によってこんなにも成長するスピードが違うのかとびっくりすることがよくある。
はじめてローズマリーを苗から育てたときもそうだった。

何ヶ月経ってもまったく変化が見られず、伸びる気配もないので(。。大丈夫なのか?)
と思いながら世話をしていた。
他の植物達はどんどんと花が咲いたり実を結んだりするなか、
ローズマリーだけは気絶しているのではないかと思うくらい微動だにしなかった。

(まだかな、まだかな)と変化を待ちわびながら毎日様子を見るのにも飽きて来て、
ぼんやり世話をするようになった1年後くらいのある日、気がつくとローズマリーは伸びていた。
伸び始めると今までは何だったのか、という位ぐんぐん成長して、
はじめは20センチのほどだったのが、一気に8、90センチくらいになってしまった。

置かれた環境に慣れるのにはとても時間がかかるけれど、
慣れてしまえば内弁慶?を発揮する。。。というスピード感とリズムがまるで自分のようで、

とても親近感が湧いてしまった事をよく覚えている。

ことり喫茶室、というお茶を飲むところをつくろうと思ってけっこう時間が経ってしまったけれど、
先日おかげさまでようやく保健所の申請許可をいただくことができた。

自分が美術の講師をしていただくお給料から改装費用を捻出していたので、
ひと月に使える額が決まっていたことと、経費節減??のため、
自分たちでできることは何でもやったせいで、本当に時間がかかった。

時間はかかったけれど、スタッフの皆だけでなく、
古くから通ってきてくださっている方はちびっこまで力をかしてくださった、手作りの場所となった。

あとは実際に運営してくださることりチームのお二人の、
ご都合の調整が終わればスタートだ。
もうすっかり周囲の人が「進んでるの?」なんて聞く事にも飽きて、
忘れた頃にスタートすることになる。

そうして、気づくとすごくいい感じに成長しているとよいなあ。。。と思っている。

117. きよしの夜

117
ちびっこと制作していると、制作そのものが楽しいということはもちろんで、
加えて会話がものすごく面白い、ということがままある。

話してくれる内容はさまざまだけれど、
ああ、よそゆきでない状態でリラックスして制作してくれているのかな
と思うことはけっこうあって嬉しい。

先日、小学2年生の男の子と一緒に制作をしていたときもそうだった。

男の子は木で作品をつくるためにのこぎりを使っていた。
のこぎりをひきながら気分が良くなったのか、
「♪き~いよし~、こ~のよ~る~♪」と鼻歌を歌いだした。

ご存知クリスマスの「聖しこの夜」のメロディーだ。

(・・・2月になぜクリスマス?)と思い、なぜその歌なのかと聞いたところ、
意外な答えが返ってきた。

「だって、おれのハムスターの歌だもん」

「?」

「おれのハムスター、きよしっていうんだ」

「??」

そう言うと、彼はまた「♪き~いよし~♪」と歌いだした。

・・・「きよし」の夜なのか!!

どうやら彼は、この歌を「きよし」を全面的にプッシュしている歌だと認識していたようだ。

「あの。。。これ聖なる夜、っていうイメージの歌でね。たぶんきよしの歌じゃないと思うんですよ」
「?!」
「きよしは名前じゃなくて、聖なる、の言い方がちがうやつなんだよ。きよい心、とかいうでしょ」
「・・・・ええー!!そうなの?!」

ショックを受けたのか、彼はしばらくのこぎりをひく手を止めて下を向いていたが、
顔をあげるとにっこりして、こう言った。

「でもいいや。おれにとっては、これはきよしのテーマソングだからさ。
世の中では、ちがうんだってわかったけど、
おれにとってはきよしの歌なんだからいいの」

年齢にしては達観した感想だな、と思ったけれど、なんだかそういう考え方、すごくいいなあ!
と嬉しくなってしまった日だった。

*****

別の曜日で「家出したことがあるか」という話になった時も面白かった。

「おれは家出っていうか、出されたことある」
「家出されかよ」
「出るときギリギリおこづかいひっつかんでさ、
とりあえずコンビニ行ってお菓子買って、公園で時間つぶして、
超悩んで夜中の1時半くらいに帰った。ポケットにお菓子あるのが見つかって、また怒られた」

「おれなんか、家出なんてしょっちゅうだぜ!」

「えー、すげえなあ」

「大体7時くらいに帰るようにしているんだけどさ(ちょっと得意げに)」

いや、それは家出じゃないかもしれないぞ。

と思ったけれど、黙っていた。

116. メールが沢山

116
アトリエに制作しにこられる方やちびっ子と一緒の時間を過ごさせて頂いていると、
本当にリズムやスピード感って人それぞれだなあ。。。とよく思う。

ぐうっと短期間に集中して、ぽかんと休む人も入れば、
なかなかテンションはあがらないのだけれど、集中の波がくると集中しっぱなしの人もいる。
淡々とひとつのものを制作しつづけるひともいれば、
制作ジャンルも技法もどんどん変えて平行して制作することが自然な人もいる。

何がよくって何が悪いというよりは、そういうものなんだよなあ。。。と思ってみている。

先日、つくづく自分のペースの遅さを実感することがあった。

すごくメールの対応が早い方お二人と、同時平行でお仕事をすることになったのだ。

加えてふつう(?)のメールのペースの方お二人ともそれぞれ別件のやりとりがあり

その週は合計4方向とのやりとりをすることになった。締め切りはほとんど同日だ。

予定がずれて平行する事になったのだけれど、
IT偏差値が低い自分にとってはものすごい体験だった。

短いスパンだと10分おきくらいにメールが来てやりとりをしていく。
ひとつのメールのお返事にけっこう考えて時間がかかってしまうので、
最後はメールがマシンガンの弾に思えてきてしまった。

締め切りが重なってしまったせいで、
各方向からどんどんメールが増えて最後は10分間に10件を超えるメールが来るようになった。
スパムではなく、全部用件があるメールだ。

完全にパニックになりつつ仕事はなんとか全部校了したのだが、
大変に失礼ながら、最後までやっていた仕事のお相手にはまだ、ご挨拶のメールを出せていない。
入稿だけして雲隠れした状態である。

社会人として問題外なのは重々承知だし、
メールでなげかけられたよもやま話に類する質問にも答えたいし、
何よりお世話になりました、と伝えたいのだけれど、
メールを出してしまったら最後、
またもんのすごいことがはじまるのでは。。。。。と思うと、
もうどうしても一歩が踏み出せないのだ。

考えてみると、このペースはいまの「ふつう」なのかもしれず、
もしそうであるならば自分はまったくスピードについていけていないんだな、とつくづく思う。

コラムを書いていて、ようやく少し勇気が出てきたので、
おなかにぐっと力を入れて、謝罪とお礼のメールを出そう。。と思っていたら、
先方の方が手作りのジャム持参で、アトリエまで訪ねてきて下さった。

。。。。ああ自分、残念。。。。。。と思って空を見上げる2015年の年明けだった。

ササマさん、すみませんでした。。。。。。。。。。。

115. 会話

115
休日出勤のはずだった夫が休みになったので、
二人で散歩に行くことにした。
一緒にのんびりぶらぶら歩くことは、とても贅沢なイベントだと思う。

忙しいとき、家では二人ともあまり沢山話さない。
夫は会議で、私はアトリエで、会話に使うエネルギーや神経は充分使っているからだ

一日の終わりに、今日なにがあったよ、とか、そこの角の梅が咲いた、とか、
ぽつん、ぽつん、と話してあとはまた、静かな空間に戻っていく。

でも、散歩になると違う。

同じものを見て、ゆっくり歩いていると会話がころがりはじめる。

内容のある話はあまりしない。
なんでもないことを、小咄のようにどんどん内容を膨らませて話して遊ぶことのほうが多いからだ。

「そういえば、わたし一昨日の朝にUFOをみましたよ。」

「え?」

「最初は飛行機雲だと思ったんです。でも朝の5時半だし、すごく近いのに音がしないのね。
それで(あれ?音がしない?)と思って見直したら、途中で飛行機雲がふっと消えたんですよ。
あれはUFOだね。」

「・・・・・それはね、違うね」

「?」

「消えたんじゃないんだよ。」

「??」

「それを見た瞬間、君は宇宙人に連れ去られたんだよ。
それで何かされて、UFOは去っていった。
町田に戻されて、時間がまた動き始めたから、(消えた)みたいに見えたんだね。
今日からは、すごいことができるに違いない。」

「・・・」

「・・・すごいことって?」

「くつしたを重ねたまま脱がないとか」

「・・・・・・・・・・・」

音がしない飛行機雲を見たのは本当なのだが、あとはもちろん小咄だ。
何がどう負けたのかわからないが、今回は自分の負けだと思った。

*****

ちなみに、アトリエでもう一度同じ話を土曜日スタッフのまっちゃんに話してみたら、
今日はもう帰ってええで、と言われた。

「熱あんねやろ?無理しいなや」

そのままくじけずにアトリエに長く通っている女子高生の女の子に同じ話をしたところ、

哀れみの目で、とうとうきたか。。。。と言われた。

「いつか来るとは思ってたけど。早かったよねボケ始まるの」

3度目の正直だ、と思い、アトリエ暦が一番長い深谷さんにも話をした。

彼女はすぐに、ぱっと顔をかがやかせて、
「えーー!いいなあ!!いま、ちょうど未確認生物関係の本、読んでいるんですよ。
そういうのがある、というのでも、ない、ていうのでもない中立の本なんです。
これがまた、いい本なんですよ。。。。」

話す相手をよく考えて話題を選ぶ。

会話の基本だな、と思った。

114. 大菩薩峠

114
大阪に住んでいる母が遊びにきたので、妹とアトリエの長田くんと映画を見に行った。
都内の映画館で市川雷藏フェアをやっていて、ずっと興味があったからだ。

昔の漫画で、「じゃりん子チエ」という大阪の下町が舞台の漫画がある。
ホルモン焼き屋を経営する(?)小学生女子が主人公なのだが、
その女の子のお母さんが市川雷蔵が大好きだというくだりがある。
もの静かで控えめなお母さんが大好きな市川雷蔵って、
どんな人なんだろうなーと子ども心に興味を抱いていた。

大人になってから知った市川雷蔵は、思ったよりもワントーン声が低い、大人な声の人だった

映画「大菩薩峠」は敵討ちものだ。
市川雷蔵はおそらく悪役で、腕がたつのをよいことに、
大して用もなくてもどんどん人を斬り殺してしまう。
試合で雷蔵に兄を斬られてしまった、心正しい剣士の若者が相手役だ。

予備知識はなしだったのだが、とても楽しめた。
色々な人間模様がからみ合って、物語はどんどんもりあがっていく。

巨人の星で言えば、飛雄馬が足を高くあげて、これから大リーグボールを投げる感じだろうか。
色々なところで出て来た人物やエピソードも、
ここからきっと、すっきり一つに集約して落ちがつくのだ。。というまさにその時、
「完」という文字が入った。

え?
今?

終わり?

ものすごくびっくりしているのは我々とあと数名の比較的若年層の客だけで、
あとのお客さんはやれやれ終わった、という表情で帰っていく。

よく調べたら、3部作の一番最初を観たのだった。

消化不良になった妹は、帰宅途中で雷蔵が出ている、
眠狂四郎シリーズという時代劇DVDを借りてきた。

皆で夕食を食べながらDVDを観つつ、
「さっきの雷蔵は敵役だったから目のくまどりがすごかったんだね」
「くまどりないほうが格好いいね、やっぱり美男子なんだね」等々話していた。

母も一緒に夕食を食べていたのだが、妹が家に帰ったあと、
「あんたたちなんで片岡さんを「雷蔵」って言ってたの」と聞いた。

え?
今観てたの、雷蔵じゃないの?

よくよく聞いてみると、
「眠狂四郎シリーズ」は柴田錬三郎作の小説をもとにした
大人気時代劇で色々な人が演じているとのこと。
映画、テレビを合わせると6、7人の人が演じているらしい。

その夜、私たちがみていたのは片岡孝夫さんという俳優さん主演のものだったようだ。

無知は恐ろしい。

市川雷蔵を色々にまちがえた一日だったが、
雷蔵、雷蔵と連発している横で会話にノータッチだった母にも面白さを感じた一日だった。言ってくれよ。

113. 南塚先生

113
いつも通る川沿いの道は、日が暮れると虫の声がうるさいくらいで、
目をつむると音が身体にしみこんでくるような気がする。

昼間はまだ、思い出したように蝉が鳴いたり、けっこう暑かったりするのだけれど、
夕方にはすっと涼しくなって、空気も香ばしいような独特のにおいがする

秋がきましたね、と思う。

いつもは地縛霊のようにアトリエの近所をぐるぐるまわって暮らしているのだけれど、
今月は色々なところへ出る機会が多かった。

知人の個展が4件と、恩師の個展が2件、
音楽を聴きにいったり落語にいったり、知らない場所や人に触れることも多かった。

新しい場所や人に会うと刺激を受けて元気になる時と、
エネルギーをやたら使って消耗する時があるように思う。
私はどちらかというとずうっと後者のほうだった。

変にしゃっちょこばってしまったり、緊張したりして、無駄に疲れるのだ。
すいすいと出会いを楽しめるようになったのは、ごく最近のことのように思う。

人と会いたくないときというのはあるものなので、無理をすると疲れる。
そういう時期はむりしなければ良かったんだよなあと今になって思うけれど、
過ぎてしまったことなので別にもう構わない。

そんな風ならば、アトリエなんて人と沢山会うことをなんでやるの、という感じなのだが、
アルケミストで出会う人はみな何だか遠い家族のような気がしていて、
まったく平気なのだ。そのあたりの差が自分でもよくわからない。

20代からおつきあいさせていただいている絵本の先生がいて、真鶴まで行って来た。

彼女の絵本との出会いは高校生のころだった。
何かでしょんぼりしている時にふと立ち寄った本屋さんで、
笑わないでいただきたいのだが、ほんのり光ってみえた絵本があった。
お店の照明のせいなのだろうけれど、本当に光っているように見えたのだ。

手に取った「うさぎのくれたバレエシューズ」という本は、ほんとうにきれいな絵で、
その絵本にしんしんとなぐさめられているような気がした。

私はその夜からすっかりその作家さんのファンになってしまった。

その作家さんとお会いしたいなあ。。とぴったり10年思い続けて
ふとしたきっかけで先生のご住所を知る事ができた。
そこで熱いファンレター(?)を送り、南塚先生とのやりとりがはじまったのだ。

その頃わたしはまだ、大学で働いていたのだが、その後数年してアトリエを始めた。

アトリエをはじめて間もない頃は、
開講日以外は赤字埋めのためのアルバイト三昧だったので
、時間の都合は自分でつけることができた。
だから、先生から「佐藤さん、お手伝いして下さる?」とお電話をいただくと、
アルバイトは即放り出し、嬉しくて、どきどきしながら出かけていった。

南塚先生の絵本の挿絵は殆どが銅版画だ。
その刷りのお手伝いや、個展のお手伝いをさせていただくことができたこと、
先生の、信州の工房に泊まりがけでかんづめで仕事をしたことなど

先生の仕事を間近に拝見できて一緒に時間を過ごさせていただけたことは
ものすごく自分にとっては大きなものだと思っている。

真鶴で久しぶりにお会いした先生は、以前よりもさらに少女のようで、
世界に対しての好奇心全開!といった感じで元気いっぱいだった。
ありていな表現で恐縮だが、本当に目がキラキラしていて、こちらまで嬉しくなってしまった。

30年続けた銅版画で絵本をつくることから、
陶器の板に絵付けをする陶板画をあたらしくはじめられたとこのと。
一年ほど前から京都の大学に陶芸を学ぶために東京から新幹線通学の毎日だとは伺っていたけれど、
こんなに新鮮な作品ができているとは。。と驚いた。

しばらくよもやま話をして、退出した。
帰りの電車のなかでも、外の景色を見ながら、
ギャラリーの壁いっぱいに飾られた先生の絵から受けたよい気持ちと、
先生の温泉のような元気の余韻でふわふわしていた。

やはり先生と先生の絵は本当に素敵だなあ。。。。と思った。

帰ったら主人は風邪で寝ていた。
作っておいた主人のリクエストのカレーを二人でゆっくり食べてお茶を飲んだ。

112. あおきっくすが降りてきた

112
4月から新しいメンバー体制になって4ヶ月が経とうとしている。
新しいメンバーでのアルケミストも落ちついてきた感じだ。

仲間に加わったメンバーは、男性がふたり、女性がひとりの 計3名だ。
偶然が重なって、アトリエにいらして下さることになった方ばかりだ。

そのうちのひとり、青木くんが参加することになった経緯も
そうだった。

青木春平くんは小学校高学年から中学校までアトリエに通ってきてくれていた人だ。
当時は「あおきっくす」と呼ばれていた。

デッサンの技術が高く、
純粋にものを見て、ていねいに考えるひとで、同じ時間帯に来ていた社会人の男性と
よく芸術話や人生話(?)に花をさかせていた。

4月のある土曜日の夕方に、新しい男性メンバーが
予定が変わり平日来られなくなる、ということが分かった。

平日に人が減ってしまうことになるので、
「どうしようか」と皆で話していたところ、
突然あおきっくすがアトリエにたずねて来たのだ。

玄関に出た深谷さんが爆笑しているので何だろうと出てみたら、
白い長袖Tシャツ姿のあおきっくすが半笑いで立っていた。

小学生だったころはいがぐり頭だったのだが、
目の前にいるあおきっくすはふわっとした長めの髪で、
背丈も伸び、体つきも顔つきもがっしりしていて、
一瞬誰だか分からなかった。

あまりの変貌ぶりに私も大笑いしてしまった。

7、8年ぶりに会うのだから変わっていて当然だし、
久々にたずねてきてくれた人を爆笑するのもどうかと思ったが、
なぜかお互い笑ってしまったのだ。

ひとしきりお互い笑ったあと、
「お茶でものんでいってよ」ということになった。

制作している方に混じってお茶を飲みながら、
あおきっくすはぽつりぽつりと話をした。

これまでのこと、今の暮らしのこと、
色々考えて、考えすぎて動けなくなっていたけれど、
何かアクションを起こしたい、というのが主な話だったと思う。

皆でふむふむ、と聞いていて1時間くらい経ったときだろうか。

「とにかく何かしたいんです」
「うーん、、今までの話をまとめると、
色々なひとと接することができて、身体を動かして働くところですよね。。。
何かないですかねえ」

とお互い見合った時に、その場のスタッフ全員が気がついた。

「。。。。あっ」
「あっ!」
「あー!」

「あおきっくす、アトリエに参加してみますか?」

「えっ」

「いや、今さっき、佐吉くんが平日来れなくなってしまって、
どうしようって話をしていたんです。
あおきっくす平日水曜日と月曜日って大丈夫ですか」

「大丈夫ですけど。。いいんですか」

「アトリエの仕事は、環境づくりが8割なんです。
あおきっくすは見習いの状態からスタートすることになると思いますし、
文化的な仕事っていうよりチームプレーの肉体労働なんですよ。
逆に、それでもいいですか」

「やります」

こういった経緯を経て、現在あおきっくすはアトリエで日々階段を掃き掃除したり、
ちびっ子と一緒に制作をしたりしている。

はじめはどうしたらいいかわからずフリーズしている場面もあったけれど、
今は、いっしょにいるとちびっ子がすごくリラックスする人として活躍中だ。

わたしたちは、あおきっくすが降臨したかと思ったくらいありがたかったが、
あおきっくすにとっても、アトリエに参加することがよいことであるとよいなあ、と思っている。

111. 草刈り

111
梅雨明けと大暑がいっぺんにやってきて、急に夏本番になった。

夏はけっこう好きな季節だ。

夏休みも花火もあるし、お祭りもある。

ふだんは学校にいる小学生が自転車でうろうろしていたりして、
街全体がなんとなく非日常な感じになるのが楽しい。

先日は、昼過ぎからスタッフ3名が集まってアトリエの草取りをした。

夕方には他のスタッフや大人クラスに通われている方も集まり、
たこ焼きを焼いて食べる会を予定していたので、それを楽しみに集合した。
とても暑い日で、じっとしていると日差しが痛いくらいだ。

蚊取り線香を10本ぐらい一気に焚いて蚊よけをし、
皆で水を飲みながらばんばん草を刈って行った。
1時間半くらい集中して草を刈って、
さらに1時間かけて刈った草を集め、きれいに掃き掃除をした。

草刈りは、アトリエを気分のいい場所にするには必須の作業だ。

古いふつうの住宅を「アトリエです」と言っているので、
放っておくと草が生い茂り過ぎて、廃墟のようになってしまうのだ。

むんむんする草いきれのにおいを嗅ぎながら作業をすると、
なんだか心が落ち着く。

あまり暑いと、途中からむつかしい事を考えられなくなって、
思考が極端にシンプルになるので、それもちょっとおもしろい。
今年初めて草刈りに参戦したメンバー二人は、
顔を真っ赤にして、汗をぽたぽた流しながら頑張っていた。
草刈りが一段落すると3人とも全身汗びっしょりになったので、
シャワーを浴びて着替えてから、みんなでスイカを食べた。
屋内に入ったとたんに夕立のような激しい通り雨が降り出して、
水のにおいが強く香った。

スイカは大きく切って、塩をかけて食べた。

労働の後の冷たいスイカは本当に本当においしくて、夏!という感じだった。
 
夕方からは人が増え、たこ焼きを焼いて宴会となった。

アトリエでは、通われている社会人の方がなんとなく集まって
このようにごはんを食べたりすることがよくある。
たまたま都合がついて、行こうかな、と思った人が集まる感じだ。
その日は全部で7名が集まった。
メンバーや通われている方が、のんびりお酒を飲みながらたこ焼きを焼いたり
よもやま話をしたりしているのを見るのは楽しい。

そこでもスイカは出したので、少しつまんだのだが、
草刈りのあとのスイカには全然かなわなかった。

究極のスイカを食べたかったら、また草刈りをするしかないな!

110. ワープ

110
つい先日大雪だと思っていたら、
いつの間にか桜が咲いてゴールデンウイークも過ぎ、
今は梅雨だ。

今年はとくに、あっという間だなー!と思う。
喫茶の準備がはじまったり、
長く勤めてくれていたスタッフの男の子が結婚→寿退社をしたり、
思いがけず新しい仲間に恵まれたり。。。

目まぐるしくアトリエの周辺が変化した半年だった。

ちいさな喫茶室をやりたいなあ、と思ったのは4、5年ほど前からだ。

アトリエでアレルギーがある子が年々増えて、
うーん、コレ、何かできることはないのだろうか。。。。と思ったのがきっかけだ。

社会人の生徒さんや、お迎えにいらっしゃるお家のかたのために、
一息つけるスペースが欲しいと思ったのもある。

やろう!と決めて、実際に準備をはじめたのは去年の夏だ。

場所を借りて、アトリエの合間に壁を塗ったり階段のセメントを塗り直したり、
ホームページをデザイナーさんに頼んだり、図面を引いたりお菓子を焼いたりしている間に
あっっ!という間に時間が経っている。
アトリエはふつうに開講しているので、日々の業務のすきまにぐいっとこれらの仕事を入れ込むかたちだ。

もちろん自分ばかりが頑張っているわけではない。
カフェ部門を担当して下さる木村さん、
アトリエスタッフのみなさんや、アトリエに通われている社会人の方、
ここで出す料理を学んだ教室のお友達、ちびっ子も手伝ってくれたりしている。
きっとほかにも、
自分が気づかないところで色々な人にお世話になっているんだろうなあと思う。
 
それでも、思ったよりも何倍もやることと、やりたいこと、知らない事はあって、
毎日がびっくりの連続だ。

認識が甘かったと言われればそれまでなのだけれど、
友人知人に
「?
まだオープンしてないんだ?」と半笑いで聞かれるたびに
身を縮めてあやまっている。

 
以上、コラムが半年も更新していませんでした言い訳です。。。。。。。

109. 大雪の日

109
東京で、十何年ぶりかといわれる大雪が降った。

その日は朝から雪だったけれど、とにかくアトリエは開けておこうと思った。

「振り替えはできますので、どうぞお休みくださいね」とホームページとFBでお伝えし、
こつこつとオープニング作業をした。

雪で帰れなくなったりすると困るので、
土曜日のスタッフの宇都宮先生と深谷先生にはお休みしてもらった。

土曜日はいつも、基本的に一人で開講準備(オープニング)をするので、
いつもと同じようにお茶を入れ、植物の水を替え、2階や廊下と制作部屋の掃除をし、
トイレ掃除をし、雪かきをし。。。と過ごした。

雪のせいか、いつもより周囲が静かで、気持ちがよかった。
ほとんどの方はお休みだとは思ったけれど、
休講にしなかったのは、ごく近所にお住まいの方もいらっしゃることと、
休講に気がつかず、何かの拍子でいらした方が、雪の中立ち尽くすのではなあ。。。と思ったからだ。

アトリエの建物そのものが気になったのもある。

予想通り朝からお休みは相次ぎ、
お車でいらっしゃるお家には道路が悪路の旨を連絡したりで午前は終わった。

アトリエの制作部屋は、壁面一つがガラスサッシの連続でパノラマのように
庭の風景を眺めることができる。
ひとりでお弁当を食べながら、
この雪景色は得がたいなあ。。。。とほっこりしてしまった。
午後も全員お休みだったので、 また20センチほどつもった雪を除雪して、
集まり過ぎた雪でかまくらとゆきだるまを作った。

あまりに誰もこないのと、かまくらづくりで中指を突き指してしまったのと、
吹雪いてきて視界が悪くなってきたので
アトリエは早じまいすることにした。

2時半頃に撤収して歩いて自宅へ戻った。
「ただいまー」といってすわり込んだ時に、
携帯電話に「いまアトリエの外にいるのですが、開いてないです。。」
というメールが入った。

!!!

高校生のつちや君がきているとのこと。
「雪がすごいですから無理はしないで下さいね!」
とメールをし、返事がなかったので来ないのかと早合点していたのだ。

慌ててやり取りしながらまた歩いてアトリエまで戻り、
土屋くんには平謝りをして許してもらった。

お家の方が近所に買い物があり、ついでに送り迎えをしてくれたのでこれたのだと言っていた。

たしかに、びしょぬれのヤッケ姿のわたしとはだいぶんちがうなあ、
とは思っていた。なるほど。
雪の日にわざわざいらしてくださった方用に、
チョコレートケーキを作っておいておいたので、それをつまみつつ、
クロッキーをした。
つちや君は小学校3年生くらいからアトリエに通ってきてくれていて、
今年4月で高校2年生になる。口数は多い方ではない。

通っている期間は長いけれど、わたしと二人だけ、などということはついぞなかったので、
しずかな雪景色を眺めながら、ぽつりぽつりと話をした。
進路のことや、先日つちや君がやったライブのこと、
いまつちや君が興味があること、
アトリエのこれからのことなど、いろいろと話をした。
外をみながら、
「きっと、つっちーが『大学入りましたから』って、アトリエを卒業する日がくると思うのですけれど、
その日まで、もうたぶん、こんなにサシで話せる日はないでしょうね」
というと、
そうですね、とつちやくんも外をみながらつぶやいていた。
そのうち暗くなってきて、つちや君のお迎えも来た。
「今日はなんにも制作させませんでしたね。。。申し訳ない。待たせましたし。」
と言うと、
「いや!クロッキーをしました」とつちやくんはちょっと笑って帰っていった。

そのあとクローズをして、最後の雪かきをして帰宅した。
帰りは吹雪いていて、傘がおちょこになったりして、
歩いていてちょっとテンションが上がってしまった。

私が生まれた新潟県の十日町周辺は、
冬は積雪4メートルと言われていたところなので、すごく懐かしかったのだ。

(これですれ違う車に、しゃんしゃんしゃん。。。
というチェーンの音がすれば完璧なんだがなあ)と思った。

疲れたけれど、いい一日だったなあ、と思った。

108. 羽菜ちゃんのデッサン

108
羽菜ちゃんは、小学2年生の女の子だ。
アトリエには一昨年から通うようになった。

アトリエに通ってくるひとは、大抵つくることが好きではいってくるのだけれど、
はなちゃんはその好き、の度合いが半端ではない。
恐ろしくつくることが好きなのだと思う。

アイデアが浮かんで、作りたいもの、描きたいものが定まると、
もうそこからはノンストップだ。

あるとき、はなちゃんはケーキの絵を集中して描いていた。

突然「ぶはっ」というような音がしたので振り向いたら、
息をするのを忘れていたのだらしい。
顔を真っ赤にしていた。

ある日は別の部屋で行われている、
お兄さんお姉さんの受験デッサンに興味をもったらしい。

「はなも描く」というので、
受験生のひとに描いてもらっているモチーフをそのまま、同じ場所で描いてもらった。

「デッサンってなに?」と聞かれたので、思わず語ってしまった。

「それは。。。すごくむつかしい質問なんです。
鉛筆で、よーーーく見てものをえがく、っていうことなんですけれど、
形や長さとかがそっくりなことが大前提っていう考え方があったり、
あ、建築、お家とかを作る人や大学の試験はこれです。
今日のお兄さん達が描いていたのはその考え方のやつです。
ほかには、このビンがある、ということや、描いたひとの気持ちなんかが
しっかり紙から伝わればいいよね、という考え方があったりするんです。。。」

小学校2年生の女子にこの説明はどうなんだと自分でも思ったが、
羽菜ちゃんは、ぽかん、とした顔で途中まで聞き、
そして真面目に「そっくりならうまい?」と言ってきた。

「いや!!それもけっこうむつかしい問題だと思うんです!!
また話がながくなっちゃうからやめますけどね。
あ、でも絵の「うまい」は「おいしい」といっしょで、
いろいろあると個人的に思ってるんです。
はなちゃんは、とにかく、このビンと布を、よーーーーく見て、
鉛筆でこの紙の中につれてきてあげて欲しいんです。」

理解をしてもらえなくても、まじめに自分の所見を答えるのがアトリエの習いだ。

はなちゃんは首をかしげて聞いていたが、
「鉛筆たくさんつかうよね」と言って、芯の濃さが違う鉛筆を数本持ってきた。
受験デッサンで描いているひとを見て覚えたのだろう。

鉛筆の芯の濃さの違いをクロッキー帳に描きながら説明し、
そのあとは実際の制作時間となった。

目線がモチーフと紙をひっきりなしに行き来していて、本当によく見てくれているのがわかる。

そのうちはなちゃんは急に立ち上がると、がっ!!とワイン瓶をわしづかみにした。

細かいところをよく見たい、ということなのだろう。
うーーんすごい、わしづかみか!

はなちゃんはビンをわしづかんだまま、椅子から立ち上がった。
身体ごとのりだすようにしてビンをひねくりまわしながら、
裏をみたりラベルをじーっと見て自分の絵のラベルに文字を書き加えたりしていた。

小一時間ほど描いたろうか。
描き過ぎて見た目の仕上がりは納得できる出来とはならなかったようだった。
それでも私は、すごい一日だ、と思った日だった。

余談になるが、そんなはなちゃんも、アトリエに通いたての頃は滑舌がかわいかった。

はなちゃん来たねー! 今日はなにをつくりますか」
「うーんとね、チェーチ」

ちぇーち?

「いちごとかの」

いちごとかの?

私よりも宇都宮先生が先に理解して、
「ああ、ケーキね。誕生日ケーキ?絵の具で描く?クレヨン?」
等々話をついでくれた。

。。。うっちゃん、なんでわかるんだ。。。。。
と思ったことと合わせて、記憶に残っている。

107. スキップ

107
お正月のお休み中、よく夫婦で散歩をした。
家から歩いて2、3分で遊歩道のある川に出るので、川沿いをずっと歩くのだ。
なんの話の流れなのか、私がスキップがうまく出来ない、という話になった。

「スキップって、出来ない人っているの?」
「いやなんか。。リズムを取るのが決定的に下手なのかもです」
だってさ、といって主人がスキップを実演してくれた。
「これだよ?できるでしょう。ちょっとやってみたら」
しぶしぶ久々のスキップをしてみると、
「。。。それは村の豊作の踊り。スキップじゃない。」
とのこと。
その後、川沿いで
①スキップの見本を示してもらう

②実演してみる
をしばらく繰り返したところ、
意外にもわりあいそれっぽいステップが踏めるようになってきた。
自分では上手にできないとあきらめていたので嬉しかった。
大人になってからのスキップデビューだ。
声でリズムをとりながらスキップを繰り返していると、夫がぽつんと言った。
「あのさあ、たのしい。。?」
「いや楽しいけど。楽しそうに見えないですか?」
「なんか必死な感じなんだけど」
「?」
「あのさあ、なんで『おし!』『おし!』『おし!』ていいながらスキップするの」
ああそうか、なるほど、と思って無言でスキップに取り組んだ。
夫はそれを見て何かいいたそうにしていたが、
そのあとは黙って自分のスキップに取り組んでいた。

人としては相当楽しかったのだが、
あんまり楽しそうには、見えなかったみたいだ。

106. ミラクル

106
アトリエをリニューアルしようと準備をつづけて、半年ちかくがたった。
今のアトリエの子供のような位置づけで、
もう一つ、夢のアトリエを作ろう、という発想だ。
スタッフの結婚や、数年前に自分が体調を崩したりして色々考えたたことがあって、
そうしよう、と思ってはじめた。

今度のアトリエは、小さな小さな喫茶室を併設したものにしようと思っている。

十ウン年、ちびっ子のお迎えにきてくださるお家のかたを、
いつも玄関に立ちっぱなしでお待たせしているのがずーっと心苦しかったのと、

ちびっこのアレルギーが年々、ものすごい勢いでふえていくのを間近でみていて、
何か自分でもできることはないのかなあ。。とずっと思ってきた結果だ。

アトリエアルケミストでは、頂き物やどなたかがつくったお菓子などを
みんなで分けあって食べることも多い。

夏にはスイカわりをするし、寒くなったら七輪で焼きいもをする。
そこでもいろいろな持ち寄りのたべものが出ることになる。
そういうイベントのたび、
「ぼくはチョコレートだめなんだ」
「くるみが入っているとぽつぽつ出ちゃうの。アーモンドは大丈夫なんだけど」
などなど、「みんなと一緒にたべられない」ひとの姿を目の当たりにする。

嫌いならばしかたがないよなあと思う。

でも、そうではないのに、みんながおいしそうに食べるのをぽつんと待っていたり、
別のものを出してもらって食べるのは、ちょっとせつないよなあとおもっていたのだ。

どんなに小さくたって、喫茶室はお茶を飲むところだ。
アトリエなのに邪道じゃん、とか、本業とずれてるのでは?とかは
さんざん自分でも考えた。

でも、やっぱりみんなで楽しく制作して、
おいしいものがあったらみんなでおいしいねって言ってほしいのだ。

まだ椅子もテーブルも揃ってない。
画材も本も足らない。
喫茶室に必要な食洗機や調理器具もまだだ。

必要なものやクリアしなきゃいけないことは山のようにあるし、
むしろ足りているもののほうが少ないのだけれど、
ま、なんとかなるだろう、と思っている。

足りているのは、やる、という気持ちだけだ。
 
腹がすわると何か風向きが変わるのか、お披露目のためのイベントに恵まれたり、
併設予定のカフェをやってくださる、すごい方に恵まれたり、
必要な機材が手に入ったりと、何かとラッキーな日々が続いている。

先日は思わぬところからイーゼルを手に入れることができた。

大学生長田くんが、大学の払い下げのイーゼルを大量に確保してくれたのだ。
搬送はアトリエの月曜日クラスの鈴木さんがご協力くださった。

「イーゼルがある」という連絡から、
現実にイーゼルが手に入るまで15時間くらいだったので、
なんだか白昼夢を見ているような感じだった。
 
アルケミストはまったく何もない状態から、
ぎりぎりと狭い場所に手をねじ込むようにして現実化した場所だ。

でも今度のアトリエは、
もっと無理なく現実化できるのでは、と思っている。

タイトルに「ミラクル」なんて書いたけれど、
ほんとうはミラクルなんかじゃないこともわかっている。

アルケミストっていう、街のちいさなアトリエでの制作時間を、
なつかしいように大事に思ってくれる人がいて、
その方がイーゼルあるよって言ってくれたり、協力するよって
言ってくれたり、遠くでちょっと気にしていてくれたりするからできているのだ。
そういうことを忘れないでやっていきたい。

新しいアトリエは、「アトリエ小鳥」という名前だ。
HPは現在制作中で、まだアップはしていない。

とくに喫茶室のほうは、ニュースでお知らせしたよりもオープン準備に
時間がかかっている。
気にしてくださっている方には 『まだなのかい?』と聞かれたりしている。

お待たせしてしまいそうだけれど、
あったかい場所にしたいなあー、と思っている。

そして実際の稼動も、あったかくなったら、になりそうだ。

105. 日本映画大学

105
アトリエに「映画を撮らせて欲しい」というメールが届いた。

なんだろう、と思ってちゃんとメールを読んでみたら、
日本映画大学の学生さんが、課題のショートムービーを作るため、
アトリエを撮影場所として使いたいとのことだった。

なんだかおもしろそうだぞ、と思って快諾し、撮影当日を待った。

前もってまとめ役の方とはお会いしていたけれど、
当日に10人近くの10代後半~20代前半の人たちが
次々入って来たのには、なんだか静かにおどろいた。
アトリエでは大学生さんはわりあい小数派なので、
大学生集団の雰囲気におどろいたのだ。

社会人でもない、ちびっ子でもないひとたちの集団の
雰囲気は独特で、慣れればなんということはないのだろうけれど、
自分には新鮮でおもしろかった。

たくさんの機材が運ばれてきて、明るさを計ったり、
撮影の打ち合わせをしたりと、どの人も忙しそうだ。
役者さん役の学生さんと、撮影班の学生さんではまた専攻が違うらしく、
拝見していてもまとう雰囲気が違っていておもしろかった。
撮影班の学生さんは男女ともに文学青年のようで、
役者さん役の学生さんは、より普通っぽい感じの印象だった。

映画は色盲の女の子が絵を描くという話だった。

ひとたび撮影が始まると、しん、とした中で物語が進行する。

準備や、やり直し、といった現実のつづきで「スタート」と声がかかると、
物語がすすむ。
その物語は「カット」という声でたち切られて、また現実に戻る。

映画がシーンの切り貼りでできていることは、頭では知っているけれど、
近くでそれを見ていると、
現実のなかに宙ぶらりんのもう一つの現実があるみたいで、
すごく不思議な感じだった。

完成するまでは作品は監督の頭のなかにしかないのに、
それをチームでつくっていくのだからなんだかすごい。

映画製作のなかで、
どのあたりが一番おもしろさを感じるのかなあ、
と聞きたかったが、忙しそうなのでだまって見ていた。

学生さんはみなさん礼儀正しくて話がおもしろく、
むんむんと元気だった。

中休みの食事時に、アトリエを
「なんだかジブリっぽい場所ですねー」と口をそろえて言っていたのも印象的だった。

どのあたりがジブリなのだろう。

「また改めて、ご挨拶に伺います」と去っていったので、
その時に映画づくりはどこが一番楽しいのか?という質問とあわせて
どこがジブリなのかを伺おうと思っている。

104. あとかたづけ

104
先日、アトリエでクリスマスリースを作るワークショップをした。
以前はクッキーを焼く会を10年近く続けていた。
今年はリースづくりに切り替えてから2年目だろうか。

この日は通っている方のお友達やお家の方も自由にいらして頂くので、
ご一家でご参加下さる方、親戚の子と一緒のひとなど顔ぶれも様々だった。
決まっているのはいらっしゃるお時間だけだ。
ベースと飾る素材、道具を用意しておき、あとはお好きにどうぞ、とお願いしている。
今年は材料にどんぐりや松ぼっくり、バラの実、トネリコの実、サンキライなどなど、
実ものが充実していた。グリーンも、種類も量も豊富で、自然材の多い年となった。

造花でキラキラした感じにするひと、丸いリース全体にみっしりグリーンをあしらうひと、
シンプルなもの、かわいいもの、それはもうさまざまで、見ていて楽しいことこのうえない。
ご家族で参加くださった方は、
めちゃくちゃシックで大人な作品!をつくるお家、三者三様のお家、
収穫祭?テイストのリースのお家、などなど、
何か共通の空気のようなものを感じたりして、それもすごくおもしろかった。

現役で通っている皆さんは、
どんぐりでトナカイを作ったり、羊毛できのこを作ってリースにあしらったり、
ポプリで小さなリースを沢山つくってモビール仕立てにしたりと、
工夫と個性満載のリースが続発した。
大人の生徒さんに至っては、
全員がつるでリースの土台そのものを作ったクラス(!!)もいらっしゃった。
 
約2時間が一回のワークショップの時間で、一日のうちに何回かやるのだけれど、
ちびっこは時間がおわると自然とほうきを持ち出して床をはき、
片付けをして帰るモードになっていた。
仕上がらない子は自然にそのまま制作するし、早く終わったときは
「さきにかたづけよっか?」という人がいたり。。
作品を拝見するのも楽しかったけれど、
そういうかたづけけっぷりを拝見するのもまた嬉しかった。

「制作後は必ずかたづける」

となると、ただ散らかったものを片付けるだけだから、
やらされてる感があるし、面倒になってしまうと思う。
でも、そうではなくて、


制作したら道具や材料、場所にお礼をいう=それが掃除」

というのがアトリエの考え方だ。
そういう考えかただとやらされている感はなくなるし、
複数の人間で片付ける時も自然とフレキシブルに動ける。

アトリエの人なら誰でも、
「時間になっても作品が完成しない、キリがつかない!」という経験はある。

だから、他のひとをみていてそうならば、あいつ掃除さぼってる、なーんて思わないで、
「じゃあ先に自分が片付けやってやろうかな」となる。お互いさまだからだ。
終わらない人は焦って終わらせず、納得するまで作って
次回の片付けにがっつり参加すればいい。

そういうフレキシブルさがあると、
ゆるやかにすすめられていいよね、と思っている。

なんだが説教くさくてアレだが、
ワークショップで掃除について物思う2日間だった。

103. すきなひと

103
仲間内の集まりで、こんど結婚する人の話がまったく出なくて、
いろいろと考えたことがあった。

ひとをすきになる、ということほど
内容と意味が千差万別なものはないなあ、と思う。

誰かをすきになって、そのひとのためにすごいパワーが出せるときもあれば、
ひまつぶしに好きになったり、
好きという気持ちを自分の支えにしたり。。

好き、という気持ちが、毎日のなかに穏やかにとけこんでいるひともいると思う。

しっくりと馴染んだ好きもあれば、
ひりひりするような好き、
自分の都合を整えるための好き、
ほんのりと、後から振り返ると好きだったのかな、という好き、
もう本当に色々だ。

彼女にとっての「好き」はどんなものだったのだろう。

ひとりの人を好きになることで色々なことが変わって、
周りにいた人々がいなくなってしまった、なんてことは、きっとよくある話だ。

それでも、置いていかれた側の、軽い驚き混じりのさびしい表情をみていると、
幸せな本人の顔をあまり見れていない分、よくわからない気持ちになる。
 
いつか、笑い話になるといいなあ、と思っている。

102. カンパネルラの孫

102
かつての職場だった大学の金属工芸研究室が引っ越しとなった。

耐震性に問題があるとかで、同じ学内にある、
かつては食堂だった建物に引っ越す事になったのだ。
それを聞いた時はけっこうショックだった。

所属は全く違う研究室だったのに、何かあると飛び込んでぐちを聞いてもらったり、
お茶をもらったりしたのは金工の先生だったので、とても愛着があったからだ。

先生が受け取るお土産セット(焼酎「いいちこ」、ミックスナッツ、オイルサーディン)は
欠かさなかったけれど、けっこう急にたずねることも多かったので、先生には迷惑な客だったと思う。

先生は「またきたのか」とか、「今日は忙しいから帰んなさい」とか、
わりと暴言の限りを尽くすのだが、そう言いつつかならず手を止めて、お茶を一杯入れて下さる。
そのお茶がじんわりとおいしくて、それを飲むと
のど元まで出かかっていた困った事やぐちもどこかにいってしまい、
あとは延々と先生の民具についてや道具のルーツの話を聞くことになったものだった。

その研究室がなくなってしまうなんて、
ふるさとがダムに沈んじゃう村に生まれた人ってこんな気持ちなのかなあ。。
と思ったりしていたのだが、
いらしているお二人の先生はすごく飄々としていらした。

先日、引っ越し先の新しい研究室を訪ねると、
新しい食堂だった建物も、みごとに先生方が住み心地がよいように散らかしていて、
お二人とも快適そうにすごしていらした。
さすがのしぶとさだ。。と、思わずにやにやしてしまった。

新しい研究室の窓辺には1畳の畳が敷かれていて、先生の古い茶箪笥や棚がならび、
箱の上に板を渡した書き物スペースが作られていた。
その書き物スペースの上には本とスタンドが置かれていた。
ここで先生のは窓の外を見ながら本を読むのだな、と思い嬉しくなった。

「先生どうですか新しいところは」と聞くと、
「孫が来るようになりましてね、驚いています」とのこと。
「?先生、お孫さんらっしゃいましたっけ?息子さん、大学生だったのでは?」
「いや家にいた猫の孫です」
「猫。。。」
よく聞くと、次のような話だった。
十年ほど前に、ひどい怪我をしている猫を拾って、
「カンパネルラ」と名前をつけた。
しっぽに特徴がある縞模様があり、先がかぎ形に曲がっている猫だった。

助からないと思ったが、元気になって家に住み着くようになった。
春のある日にふっと居なくなり、一生懸命探したが、
ひと月ほどしてまた大けがをして戻って来た。
「今回こそは助からない」と獣医に言われたが再び回復し、
半年ほど家に居たがふらりと出て行ったまま戻らなくなった。。。

もう帰らないな、と思って半年ほどだろうか、
近所の知り合いのところにいる雌猫に赤ちゃんができて、
いらないか、と言われた。
見に行くと、カンパネルラと同じ顔つき、
同じしっぽの仔猫で、カンパネルラの子供としか思えない。
何かの縁だと思い、今はその仔猫を飼っている。

そしてここからが本題なのだが(と、先生が言った)、
新しい今の校舎へ移ってからはじめての夕方、校舎の外で猫をみた。
自宅の猫にそっくりだったので、うちの猫が来たのかと思ったが、
ちがうらしい。野良猫でなかなか近よらない。
それでもえさをやっていたら、すこしずつ人慣れしてきた。
夕方にしか出てこないが、明かりの下で見てみるとどう見ても
見覚えのあるしっぽ、見覚えのある顔つきをしている。
うちの猫より若いので、カンパネルラの子孫だと仮定すると孫あたりだろう。
自宅から研究室は3キロほど離れているが、
カンパネルラは方々に子孫を残し、
その孫が他でもない、わたしの新しい研究室にやってきた、と考えると何だか楽しい。
「それにですね」
と先生は内緒話をするような声で話した。
先日、旧校舎の解体作業跡を見に行ったら、靴底に刺さるものがある。
何かと思ったら、ウン十年間使っていた、旧校舎の研究室のドアノブだった。
文字通りの、山のような瓦礫のなかで、偶然にもこれが見つかったのも縁だと思って、
少しつぶれていたけれど、持って帰ってきた。今の校舎のドアに付け替えている。
「そんなわけで、この場所にもご縁はあるのだなあと思いましてね。
楽しくやっている次第です」
といって、先生はおいしそうに焼酎を飲んだ。
先生が楽しいと思っている「ご縁」が
どんなものなのかはわたしにはわからない。
でも、偶然を偶然でなく感じられるって、
きっとすごく楽しいことだなあ。。。と思って聞いた話だった。

101. ゆうたろうくん

101
先日、月曜日のちびっこクラスに通っていたゆうたろう君という男の子が、
アトリエに遊びにきてくれた。
シンガポールに引っ越す、ということでアトリエを卒業となったのだけれど、
日本に一時帰国するついでに寄ってくれたのだ。
ゆうたろう君は、小学校2年生から6年生まで通ってくれていた。
現在は中学2年生だ。
とにかく銃が好きで、絵でも銃、紙粘土でも銃、木工でも銃。。。
という銃三昧の制作をするひとだった。
クラスではお兄さん的存在で、
年下の子や新しく入って来た子のお世話をよくする人だった。

ゆうたろう君の制作はちょっと見ると、同じ銃ばかりをつくっているように見える。
でも、そうではない。
それまでは動かなかった部分を動くように工夫してみたり、
色にこだわりが出てきて何色も混ぜて納得する色をつくったり。。。
すきな「銃」を軸に、毎回工夫やこだわりが加わって、
制作の密度が上がって行くのだ。

わたしたちスタッフは、こういう時、
なるべく繰り返して制作する人の邪魔はしないようにする。
そのひとのなかで何かが発酵している可能性が高いからだ。

他の制作が思いつかなかいから同じものを繰り返し作ったり、
他のジャンルをやってみるのが怖いから得意分野を繰り返す、
みたいなマンネリ制作なら別だけれど、
本人が喜んでやっている「繰り返し制作」は横で見ているのが一番よいと思っている。
こういう時は待つのが仕事だ。

そういう意味では、何年も銃ばかりを持ち帰るゆうたろう君を
笑顔で待ったお母様はすばらしかったよなあ。。。と思っている。

頭でわかっていたって、「今度は他のものつくったら?」って
言いたくなるのがお母さんの人情だもの。。と思うからだ。

辛抱強く折々に色々な制作を提案し続けたスタッフの宇都宮先生もえらかった。
ひとつの銃が完成するたびに、
ゆうたろうくんに銃のバリエーションと、他の制作を提案していたからだ。

そんなゆうたろうくんは、ある日ふっと、画家のセザンヌの作品を模写して
以来、銃の他の制作もどんどんするようになった。
自分で納得するまで銃を作り、
その制作の中で色々な制作手法も身につけていったせいだろうか。
銃以外の作品も、ひとつひとつがとても完成度が高かったのが印象的だった。

*******

ゆうたろう君が遊びにきてくれた曜日は土曜日で、
彼を知っている人は少なかったけれど、スタッフはすっかり色めきたってしまった。
「おお~!ゆうたろう君久しぶり~!!」
「元気だった?」
「なんかすごくたくましい感じ。大人っぽくなったんじゃない?」
「背が伸びたんだよ」
「顔も大人っぽい感じだよねえ」
等々、一斉に話しかけるなか、
「あの。。。つまらないものですが。」
とゆうたろう君は静かにお菓子の箱を差し出してくれた。

みちがえるような大人の口上で、びっくりするやら
笑ってしまうやらで、制作時間だというのに大盛り上がりとなってしまった。
 
スタッフ以外は(?誰だろう?)という感じだったのだけれど、
以前ゆうたろう君と同じ月曜日に通っていた中学1年生の女の子、のんちゃんが、
土曜日クラスに移動になっていて、たまたま会えたので、ちょっと旧交をあたためられたみたいだ。

といっても、お休みが多くて生徒さんが少なかったのを幸いに、
彼等が小さい頃、アトリエの後片付けが終わったあとによくやっていた遊びの
割りばし鉄砲大会をしただけだ。
でも二人とも、割りばし鉄砲を持ったとたんにすっかり昔に戻ったみたいに生き生きして、
とてもおもしろそうだった。一緒に居た土曜クラスの子も参戦して、大盛り上がりだった。

深い話などしなかったし、きっと互いの近況も満足に話していないかもしれないけれど、
なんだかこういうのいいよな、と思う。

100. なかまになれ

100
公募でスタッフを募集することにした。
アトリエでは初めてのことだ。
今までは、ずっと知り合いだった人や、
ずっと水面下でお手伝いしてくださっていた方が
時間を経てスタッフになる、という形だった。
アトリエの雰囲気やコンセプトを理解してくれていることが
一番大事だと考えていたからだ。
いつまで経っても何故か貧乏なアトリエは、スタッフだけは増えていって、私を含めると
現在は5名のスタッフで運営している。

やっぱり、やることをフリーにして、材料を全部揃えるから貧乏なんだよなあ。。。
とわかってはいるけれど、
制作が好き、をくくりにして色々な制作の応援をしたいと思って続けているので
そこは譲れない。

アトリエには、偉い人は誰もいない。
ついでに言うならすごい人もいない。
通ってくる方も、スタッフも、どちらかというと「普通な」ひとばかりだ。
ただ制作がむやみに好きで、
そういう場所がないとやっていけない、みたいな人が集まっている。

そんなアトリエに、どんな方が応募してくるのだろうか。

「誰も応募してこないってオチもありますよね」

と言われたが、それも含めて、さて、どうなるのかなあ、と楽しみにしている。

099. 一緒に制作する理由

099
アトリエでは色々な制作をしているひとがいる。
同じ空間、同じ時間の中でまったく別の制作が進んでいて、
ついでに制作する人の年齢も違う、という風景は、アトリエでは当たり前の光景だ。

制作は、基本的には一人の作業だと思う。
それなのに、わざわざアトリエまで出かけてきてくださって、
集まって制作している。どうしてだろうか。

場所がない、時間がなかなか作れない、など理由は沢山あるだろうけれど、
きっと、一番の理由は、違う事をする人と一緒の空間で制作することで、
「ちがう」をしみじみ感じる事ができるからなんじゃないかなあ、と思っている。
自分と違うアイデア、自分と違う興味の持ち方、
自分と違う描き方、自分と違う感じ方。。。
それがすごくいい刺激になるのかな、と思う。

自分の制作に没頭して、ふと一息ついて顔をあげたとき、
他のひとが自分の世界に入りこんで制作している。
ちょっと覗かせてもらうと、自分とはちがうけれど、いいなあって思う。
長々おしゃべりなんかしないかもしれないけれど、
すごくその人と仲良くなっちゃったような気すらする。

そんなやりとりを横で見ていると、皆さんすごくいい顔をしていて、
私はそれを見るのが大好きだ。

そういう顔をみるたび、ぱちぱち写真を撮ってうっとうしがられるのだけれど、
あんまりいい顔なので思わず撮ってしまう。

一人でこもって制作するのは、すごく濃密な時間がすごせていいけれど、
こういうのは得がたいよなあ、と思っている。

098. 制作ではないけれど

098
5月後半に、横浜にあるこどもの国、という大きな公園でドロケイ大会をしてきた。
ドロケイ大会は2回目だ。

今回は小中高生を中心に10人ほどが集まった。
大人の参加ももちろんあった。
違った色のタオルを身につける事でチーム分けをして、
ドロケイを数ゲームと、だるまさんころんだを2ゲームほどやった。

タオルはたくさん同じ色のものがある、アトリエのトイレ用タオルを使った。
もちろん洗ってあって、これから使用するものなので問題なしだ。

いつもは部屋で制作している人たちが野原をかけ回っているのを見るのは
新鮮でおもしろかった。

大人しいめの性質の人や、最近学校のことで悩んでいる、なんて子も、
ばんばん走って、へんな格好限定のだるまさんころんだをするあたりになると、
それぞれが晴ればれした顔になっていくのが印象的だった。

先週末は、アトリエのユスラウメと桑の実が大豊作だったので、
土曜日のちびっ子クラスの有志で実を収穫し、ジャムにした。

これは大丈夫なのかとか、これは傷が大きすぎるからダメとか、
お互いに相談しながら実を選り分けてから
鍋で煮つめて、ハチミツで甘みをつけた。

アクを取る、なんてことが初めてだった子は、なめてみて
「。。。にがっ!」と叫んでいた。

基本的には、ロウソク制作やガラス制作で火の扱いに慣れている子たちが
やったので危険はない。

横で見ていてはいるものの、スタッフが実際に手を加えるのは、
飛び散ったジャムの汁で汚れたガス台をふく事くらいだ。

「去年はこれで染め物したよね」

「でもさあ、ジャムは制作じゃないよねえ~(笑)」

などと言いながら楽しそうにジャムを作る子を見ていると、
いやいや、制作じゃないですけれど、
いいと思いますよ、と心の中でつぶやいてしまう。

きっと、この人たちが次回ユスラウメを描くことがあったなら、
とても豊かな絵になるだろうと思えるからだ。

摘んだときはこんなにやわらかくって、
実はどんな風に木になっていて、
味はこんなで、煮るとこんな香りがして、
手で潰すとこんな色になって、
冬はただの枝になっちゃって、木にはクモの巣が張っていて。。。。

ということを知って描く絵は、技術的にどんなものだとしても、
スーパーで買って来た果物を、ラップをぺりぺりはがして描いた絵よりも
どれだけ豊かかわからない。

そんな風に、ジャムづくりも、ドロケイも、遠回りかもしれないけれど、
回り回って制作にすごくプラスになるのではと思っている。

むだなことをしゃかりきになってやったり、
人間がつくった予定ではないリズムを感じる経験を重ねることは、
生活を生き生きさせると思う。

そういう気持ちで身の回りを見回すと、
普通の毎日のなかでも、驚くほど沢山の、
きれいなものや楽しいものがみつかるはずだ。

単に自分たちがおもしろいからやっているイベントのいい訳なのかもしれないけれど、
非常におもしろいのでよいのです。。。。と思っている。

097. 朝活

097
深谷さんはアトリエの土曜日にいらしてくださっているスタッフさんだ。
専門は木工だが、大学は彫刻科を出ている。

スタッフさん、なんていうと偉そうで、ほんとうは、アトリエが
全然形になってない時からいらしてくださっている大恩人だ。

わたしがアトリエの準備のために一軒家を借りて、内装をひとりで整えていたころ、
深谷さんは学生さんだった。

借りたばかりの時のアトリエは床はむき出しで庭も草ぼうぼうで、荒れ放題だった。
資金がなくて椅子や机もなかったので作って用意した。
平机も、私が働いていた大学の先生の好意で、学校で伐採した材木と研究室の機材で作った。

休みで人がいない工芸室で作業をしていたら、女子学生がいつの間にか手伝ってくれていた。
それが深谷さんだ。 それ以来、ご縁があったのかアトリエをお手伝いしに来てくれ続けている。
本業は別にあるので、わざわざ土曜日にいらしてくださっている形だ。
ありがたいよなあ。。。と思う。

先日いつものように出勤してきた深谷さんが、「今朝、古墳にいって来ました」と、
がさがさするビニールに入っただんごを持って来てくれた。
「?」
「狛江にいい古墳があって、駅前にみよしってだんご屋さんがあったんで、
お土産にと思って」
「古墳?ですか?今朝?」
「そう、立派な鍵形古墳だったんですよ~!これ写真です」
と、古墳の写真を見せてくれたのだが、
どう見ても畑の真ん中に丘がある写真にしか見えない。

なんで朝の出勤前に古墳なのかとか、
そもそもなんで古墳なのかとかは聞いてはいけないのだろう、と
大変嬉しそうにしている深谷さんを見て思った。

「狛江、いいとこでしたねー。都心に近いのに緑が多くて。いいなあ」
「。。。。。。」

ちなみに、古墳の場所は「全国古墳マップ」という本があるそうで、
そこに載っているとのこと。
「色んな古墳が載ってて便利ですよ。
でも、もし行くなら、詳しい情報は同じように古墳が好きな人のHPを
チェックした方が確実です。」と教えてくれた。

うーん。

なるほど。

096. 日比谷3月11日

096
もう10日以上経ってしまったが、地震からまるまる2年が過ぎた。
用事があったので、日比谷の追悼イベントに出かけてきた。

当日に近くなるとテレビで特集が組まれたりして、
ああそうだ2年経ったなあと思った。
 
いきなり店頭から色々なものが消えた、ということが印象に残っている人、
とりあえず帰れなかったりして困ったんだよなあ、と思い出す人、
親類縁者が地震が起きたところにいて、もう気が気でなかった人、
大事な人を亡くした人、
全然関係なかった人、
心を痛め続けている人、
すっかり記憶の彼方になった人、
ボランティアに通っている人、
気にはしている人、
自分でいっぱいいっぱいの人、
放射能が気になる人、
全部人ごとの人。。。。
 
自分はどれかなあと思う。

日比谷は平日だったせいか、思ったよりも人が少なくて
ちょっとびっくりした。
うそ泣きをしている、テレビの女性レポーターの後ろの池のふちで、
おばあさんがぬいぐるみを抱いて一人で座っているのが印象的だった。
その横では、女子大生風の女の子が坂本龍一のトークイベントに感動泣きをしていて、
ボーイフレンド風の男の子に背中をなぜられていた。

2年たったのかあ、と思った。

095. 知識人

095
先日、アトリエの方と中華街でおかゆを食べに行った。
アトリエの大人の方はこうやって、比較的よく一緒に遊びに行ったりする。

今回は、土曜日にいらしている大人の生徒さん、松田さんと大野さん、土曜日スタッフの深谷さん、
私のあわせて4人での中華街ぶらぶら歩きだ。

食後に中華街を歩き回ったら少し寒くなったので、お茶を飲もうとギリシャ料理のお店に入って、
あたたかい飲み物を頼んだ。

土曜日スタッフの深谷さんと大人クラスの松田さんは、趣味がとにかく広汎にわたっていて、
映画も音楽も次から次へと話題が広がる。
固有名詞や人名が玉手箱のようにどんどん出てくる会話は、聞いていてびっくりするほどだ。

その日は松田さんのロシア映画についての話題を皮切りに、映画の中でのふとした場面で感じる
民族性の違いについて話していた。

「ここで感動させますよ!ってところより、どうでもいい場面に『なんでそこ?!』みたいな
とこがあるんだよね~。そういうのが興味深いんだよね」

「ああ、わかります!○○(映画のタイトル)の中で、すごい繊細な女の子がふとしたときに
すごい無造作に靴下脱ぎ捨てちゃうんですよ。繊細なら、こう、かわいく脱ぎそうじゃない?
それがばしっ!て」

「そのアンバランスに僕はロシアを感じるんだよなあ。
そういえば、○○(小説のタイトル)のなかでもね。。。」

それにしても、深谷さんも松田さんも、いつ眠っているのだろう?というくらい
色々なものを知っているし、鑑賞している。

「そういうの、いつ調べたりするんですか?」と素直にたずねてみたら、
お二人とも『?』という顔をした。

「いつって。。。別に勉強じゃないしねえ。好きだから、いつとかないですよ。」

「そうそう、しらない事を知るって、楽しいじゃないですか。」

そういうお二人は、同じ時間を生きていても、
その時間を何倍も楽しんでいるように見えた。

松田さんの最近のブームは英語学習だ。

すごいのは、仕事に役立てよう、なんて気はさらさらないのに、
ものすごくしっかり勉強しているところだ。

たまたまお持ちだったノートを拝見したが、受験生並みに書き込んでいてびっくりした。

深谷さんは先日、どじょう鍋と柳川鍋の違いについて教えてくれた。
どじょうをそのまま使うのがどじょう鍋で、
内蔵などをとって下処理、調理してから使うのが柳川鍋とのこと。

(なんで急にどじょう鍋。。。)と思ったが、
おもしろそうなものにはなんでも興味を持つのが、深谷さんなんだろう。

私は途中で失礼したが、
中華街のギリシャ料理屋さんで語られるロシア談義は2時間あまりになったらしい。

あとで大野さんに「あのあと、いかがでした?」と伺うと、
「わたし、自分の文化度が貧しいなあと反省しました。」とおっしゃっていた。

うーーん。。。
二人がすごすぎるだけな気がするのだが、どうなのだろう。

094. 着付けの病

094
小さい頃から祖母はあこがれの人だった。
夏休みと冬休みは祖母の住む新潟で過ごすのが小学生の時の習慣で、
祖母と叔父叔母夫婦、従姉妹たちと合宿のような生活をしていた。
祖母はお茶の先生をしていて、訪ねて行った初日は皆にお茶をふるまってくれる。
にがい抹茶はわりあい好きだったが、長時間の正座と
古くなりすぎているお菓子がたまに出ることが悩みの種だった。

腐ったういろうがお茶菓子に出たときがあって、私はいまだにういろうは苦手だ。
祖母はふだんは畑で野菜や薬草、花を育てていて、
後ろにくっついて歩くと、「これは○○、これは○○、干して煎じるとあせもに効くよ」等々、
花や草の名前を教えてくれた。

普段は畑にいる、ふつうの田舎のおばあちゃんなのだが、
たまに東京へ出てくる時があった。

その時は淡いペパミントグリーンの着物をぴしっと着て現れ、
その姿がとても似合っていたので、「格好いいなあ」と思っていたのを覚えている。

20代後半、アトリエが軌道に乗らない時にしていたアルバイト先の女性で、
とても瑞々しい方がいらっしゃった。

何の時だったか食事をご一緒した際にその女性が渋い着物を凛と着こなしていて、
その姿が本当に美しかった。
たった1日のことなのに、祖母と同じようにいつまでも記憶に残った。

あこがれの祖母の影響か、アルバイト先のおくさんの影響かはわからないが、
それから何年かして自分もよろよろながら着付けをするようになった。
ちょっとできるようになると、練習したくなるのが人の常で、
「ホームページに新春らしい画像が欲しいから」と
リサイクルで入手した着物をアトリエの中学生くらいの人に
無理矢理着せるのが楽しみのひとつになっている。
道具もありあわせのものを使うし、
ぜんぜんきれいに着付けてあげることはできないのだけれど、
どの女の子も着物姿はきゅんとするくらいかわいらしい。

思わず、ホームページのためにしては膨大な数の写真を撮ってしまう。

アトリエが長い人は、着物を持ってうろうろする私の姿をみると
「また病気がはじまった。。」と言いつつ、つき合ってくれる。
今年は小学5年生の女の子がモデルとなった。

ああ、やはりとてもかわいらしい。

093. 大掃除

093
毎年、アトリエは12月第3週くらいには年内の最終開講日を終える。
そのあとは、クラスの枠を外した
クリスマスのワークショップで締め、というのが例年のスタイルだ。
ちょっと早めに最終開講日を設定しているので、そのあとは
ゆっくりお休みなんだな。。と思っておられる方も多い。

じつは、スタッフにとってはそれからがその年の仕事の総じまい期間になる。

スタッフだけが集まって、いつもはメンテナンスできない収納場所や
道具の場所などを整理したり、もっと使いやすく置き直してみたり。。
障子の張り替えやカーテンを洗う、座布団を干したりカバーを洗う、窓をふく。。などなど、
ふつうのご家庭大掃除的なこともする。

個々でちょこっと出る日もあり、年明けにもメンテナンスをするので、
全部で5日前後といったところだろうか。

ものの場所の整理はすごく重要だ。
その時々でよく使われる材料を、使いやすい場所に出してみたり、
活躍の場が少なかった材料をどうやったら活用できるか考えたりする。
その作業をしながら、
「○○ちゃんは最近簡単に終わるものが多いから、数日かけて作るものもおすすめしてみようか」
「○○くんはお話聴いていると、しばらくは発散するものがいいかもねえ」
「○○さんにグループ展をおすすめしてみよう」等々、
通ってこられる方に関するスタッフ同士の相談もする。

出欠などの台帳を更新したり、事務的な仕事も割合あるので、
けっこうみっちりやる感じだ。

今年からスタッフメンテナンスに参加した平澤先生に
「こんなことしていると思わなかったですよね。。」と伺うと、大きくうなずいていらした。
そんな風にメンテナンスをしていた日の夕方、
長くアトリエに通われているこうのすけ君とお母さまが、突然訪ねてこられた。
最終開講日に伺えなかったので、年末のご挨拶に来ました、とのこと。
お母さまがにこにこしながら、
「ぜったいメンテナンスしてらっしゃるから、アトリエは開いていると思ったんです」
とかわいらしい柄のお菓子を差し入れに下さった。
こうのすけ君はいつもと違って大人っぽい紺のコートを着ていて、新鮮だった。

差し入れのチョコレートはおいしくて、皆でいただいた。

でもそれよりももっと、メンテナンスしていることをわかってくださっている、ということが
なんだか嬉しかった。

092. 雪の日

092
雪が降った。
朝はみぞれだったものが、みる間にぼた雪になり、
降りしきる雪で窓の外が真っ白になった。
雪国に生まれたからなのだろうか。それとも単に好みだろうか。
雪が降るだけで胸の底がとても落ち着く。
雪かきの大変さや、事故の多さも知っているはずなのに、
やっぱり雪はいいなあ、と思う。
目からも、耳からも、心からも、色々な雑音が消えていって、
静かに一人に慣れる気がする。
親しい人にはより親しい気持ちが湧いて、
用事もないのに電話をしたくなったりする。

どんどん白くなって行く窓の外を眺めながら、
大好きな小説家、内田百聞先生の随筆のなかのせりふを思い出した。
『問題が解決した訳ではない。
結び目がほどけないものはほどけないなりに、そのまま時間が過ぎて、
なんとなく落ち着くところにおちつくようになったのだ』

それを読んだ時は何があったわけでもないのだけれど、
なぜかすごく心にのこって、「ああ、そうだよなあ」と腑に落ちる気分になった。

雪も、時間と同じように、ものごとを静かに落ち着くところに落ちつかせる気がするな。

とか思っていたら、
風邪で寝込んでいる夫が「散歩に行きたい」と言い出した

「えっ。 風邪引いて寝てるのに??」
強く止めたが意思は固いようだった。

「じゃあ、引率します」

「君はだめ。風邪がよくなったばかりでひ弱だから」

「。。。風邪で寝ている人が、看病している人に言う
せりふじゃないでしょう。行くならついて行きます」

「えー。。しょうがないなあ。。。ちょっとだけだよ?」
全体的に何もかもが間違っているとは思ったが、
夫婦二人で厚着をして、みぞれに戻りつつある外に出かけて行った。

空気がきりっと冷たくて、火照る顔に気持ちがよい。
色々遊んで帰って来たら、服がびしょぬれになり、乾かしながら熱いぜんざいを食べた。
餅がアルミホイルにくっつきすぎだの、
どっちの餅が大きいだの言いあっていたら、
朝のいい感じなアンニュイな気分も、夫と自分の風邪も吹き飛んで、
元気なちびっ子のようになった。
やっぱり、雪はいいなあ、と思った。

足で作った顔
足で作った顔

091. クリスマスワークショップ

091
毎年、12月の最後のアトリエは、ワークショップをすることにしている。
ここ10年くらいはみんなでクッキーを好きな形に作って焼くワークショップだったが、
今年はクリスマスリースをつくってみた。

通ってこられる人以外にも、おうちの方やお友達も歓迎なので、
毎年とてもにぎやかに制作するのだが、今年は不思議なくらい静かだった。

みなさん、すごく集中して制作していたからだ。

ちびっ子のお父さま、お母さまが通ってこられる本人より集中していたり。。。
作るの、お好きなんだなあ!と嬉しくなった。

ちびっ子のお父さまの、
「ああ、今週も作れなかった。。といつも思うのですが、
材料から揃えるとなると。。。なかなかできないのですよね。。」としみじみ
おっしゃっていたのが印象的だった。

いくら制作が好きでも、家族があって、仕事があって、
「やらなければいけないこと」は山のようにあって、
ほんとうにえいやっとやらないと時間は作れない。。。というのはリアルな実感だと思う。

制作は締め切りがないし、やらなくても誰からも怒られないからだ。
でも、それはなんだか心底落ち着いたいい時間で、やっていると
「どうしてこんなに長く制作やらなかったのかなあ」と思ったりする。

もともとは、クリスマスだし、みんなでわいわい制作しようよ!
というつもりで始めたワークショップだけれど、
なかなか制作できない方のための時間にもなるとよいなあとちょっと思った。

出来上がったリースは皆さん全然ちがっていて、おもしろかった。
ご家族、ご兄弟だって似たものはないのだ。
出来上がった順にフレームに飾ったのだが、全部揃うと壮観だった。

土曜日のワークショップ一日目は、延べ人数で38名の方がいらっしゃった。
明日で最終日だが、どんな作品がでるのか、すごく楽しみにしている。
材料をそろえる段階からお世話になり、講師を丸一日引き受けてくださった箱嶋さん、
沢山の下準備を引き受けて下さったスタッフの宇都宮先生、
当日ヘルプして下さったメンバーの深谷さん、長田くん、平澤さん、
前日にわざわざ生のひいらぎなどをお持ち下さった大人クラスの大野さん、
皆さんにお渡しするクッキー焼きをお手伝い下さったちびっ子クラス大槻ゆうみちゃん、みなみちゃん、
ありがとうございました。。。!!

クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ
クリスマスワークショップ

090. 変わり目

090
秋は忙しい。

暑さが続いて、夏の気分が抜けないまま薄着でいると、
空が夏とはちがった高さになっていて、朝にキンモクセイが香っていたりする。
街にハロウインの飾りを見て、ああ、秋がきたのだなと思っていると、
最近はもう、年賀状やクリスマスケーキのポスターが目立つ。

街やお店のものを見ていると、なんだか
首元を持たれて先へ先へと引きずられて行くみたいだ。

それと反対なのが、
階段に赤くなった柿の葉が落ちていたり、
月がへんに明るくてきれいだったり、
そういうのを見たり感じたりする事なのかなあと思う。
気になることがあったり、すごく忙しくしていると、
色々なことをスルーしたまま季節が変わってしまう。
それってもったいないかもな、と最近思うようになった。
 
少し前の話になるが、
10月半ば頃だろうか、久しぶりに雨が降って、朝、外に出ると
すうっとキンモクセイの香りした。
道を曲がるたびに、右、左、とふわっふわっと香ってくる。
目をつぶると、空気にきれいな色がついているみたいだった。
アトリエのちびっ子がお誕生日とのことだったので、
布で小さな袋を作ってキンモクセイの花を詰めた。
プレゼントのつもりだったのだが間に合わず、
仕方なく自分のエコバックに入れていたら日が経ってしまい、
しおしおになったその小さな袋は捨てた。
何日も経って、街のキンモクセイがすっかり散ってしまってから
そのエコバックを使ったら、強くキンモクセイが香った。
キンモクセイは好きなので、なんだかすごく得した気分だった。

089. 海からの贈り物

089
むかしの飛行家にリンドバーグというひとがいて、
その奥さんが書いた、「海からの贈り物」という本がある。
内容は、年中いそがしく仕事や家庭のために
はたらいている女性が、
ちょっとだけ海にバカンスに出たときの日記のようなものだ。

アトリエの大人のひと、とくに主婦の方の制作を拝見していると、
この本をよく思いだす。

その本には、定期的に、しんとした時間や空間を持つことが、
ふつうの毎日を繰り返すなかではどれだけむつかしくて、
どれだけ大事か、ということを書いているくだりがある。
 

週に1回あるTV番組を見ながら、
「おっ、もうこの曜日か。。早いなあ」と思ったことはないだろうか。
アトリエでは、週に1回の制作をして頂いているのだけれど、
このスパンは、つまりそのような感じで、続けていくと意外と頻繁だ。
 
そうやって、週に1回アトリエで制作されている主婦の方は、
ちょっと少女っぽい人が多い。
服装が少女っぽいわけではなく、雰囲気が瑞々しい感じなのだ。
お会いしてお話しするのが楽しい。
話題は最近のできごとで面白かったこと、興味があって行ったイベント、作品のこと、
読んだ本やまんがのこと、等々。。多岐にわたる。
本やまんがの貸し借りもよくあって、ご紹介頂いてからはまってしまったものも多い。
 
お家に帰ればそれはもう、色々なことがあって、やることもあるのだと
思うけれど、彼女達からあまり、そういったことは感じられない。
たまーに困ったことなどを少し話して、ちょっとホッとして帰ることも
あるけれど、それはけっこうめずらしいことだ。

この場所、この時間はそういったものから離れて過ごすのだ、という
おだやかだけど、きっぱりした気分を感じるのは私の気のせいだろうか。

「遅刻します」「都合が悪くなったので○曜日に伺います」
等々、日々頂くメールからは、
彼女達が、決してひまでアトリエに通っておられるわけでないことが伝わってくる。

制作も、ゆっくりその時々に興味のあるものを制作される方、
目標を立てて、コツコツと勉強を積み重ねる方、
ひとつのモチーフを絵画で、彫刻で。。と色々な方向から表現される方と色々だけれど、
ひとつひとつの完成度がものすごく高いのは共通している。

それはやっぱり、しん、とした時間を制作のなかに見ておられるからなのかなあ、
と思ったりするけれど、
「もうこのマンガの続きが気になって!!一週間待ちわびてましたよ~」
と伺ったりすると、そんな予想は、ま、ただの予想で、
どんな楽しみ方でも、楽しんで頂けていれば、アトリエ冥利につきるよな~、と思ったりしている。

088. 虫とバイク

088
ふだんはいつも、オートバイで移動をしている。
アトリエと自宅の距離は普通に運転して5分程度だろうか。

先日、アトリエに向かう途中で
オートバイのハンドルにカマキリの子どもがいることに気がついた。
速度はさして早くなかったが、小さなカマキリ的にはたいへんな暴風だと思う。
身体が大変に斜めになって、足で踏ん張っている。
(落ちてしまうのではないか)
と思ったが、運転中に繊細な作業ができるほどの運転技術はないので、
そのままアトリエまで行った。
アトリエに到着すると、無事カマキリの子は振り落とされずに
ハンドルとミラーの間にいた。
顔を近づけて覗き込むと、
『カッ!!』といった感じでファイティングポーズを取った。
小さくても大変毅然としている。
それだけ元気ならば大丈夫だろうと思い、
そのままアトリエで開講前の準備をした。

開講準備が整い、どうなっているかなあとオートバイを見に行ったところ、
もうカマキリの子はいなかった。
 
オートバイで5分の距離は、カマキリの子にとってどれだけの距離なのだろう。
予期せぬ引っ越しに幸あれ、と思った。

******
その夜、自宅に帰宅したところ、「バンッ!」という音がしたので網戸を見たら、
かぶと虫が網戸に激突してもごもご動いていた。
足を1本折ったらしい。
写真を撮ってリリースしたが、
なぜか次の日の朝に駐車スペースの樹にくっついていた。
足のない箇所が一緒だったので、同一人物だと思う。
別の日には、オートバイに虫のふんが沢山落ちていて、何かいるのかと
探したが周囲には何もいなかった。

まるで宴の後のようだ。

オートバイと虫に関連性はないのだろうけど、関係があったら童話みたいだな、と思った。
個人的に、地味におもしろかった出来事だった。

虫とバイク

087. 本当の恋

087
七夕になると毎年、思い出したように七夕飾りをつくる。
今年は7月7日が土曜日だったので、土曜クラスで七夕飾りを作った。

「おねがいごとをどうぞ」
と言われると、誰もが意外とまじめにお願いごとを考えてしまう。
おもしろいなあと思う。

土曜日にデッサンのレクチャーにきてくれている大学生のオサダくんは、
その飄々とした人柄で皆から好かれるせいか、アトリエの名物人物となっている。

その彼も、短冊を前にしばらく思案していたが、
お願いが決まったのかさらさらと書いた。

『本当の変がしたい』

「。。。。。。。。。。オサダ、これ恋じゃなくて変になってるよ」
「いや。。つか、これ変ですらない。。。。。」
 
おそらく、「こい(恋)」と書きたかったのだろう、その文字は
「へん(変)」に点々が加えられたオリジナルの文字になっていた。

彼の名誉のためにことわっておくが、
オサダくんは、恋という漢字は知っていたと思う。

ひとつのことに思いを馳せている時、彼はその思いや妄想に没頭してしまうため、
色々なことがおろそかになって、おもしろい事になってしまう事が多いのだ。

ひとしきり爆笑されていたが、それがオサダくんのまじめな願いだということは
すぐに周囲に伝わり、その後は静かに「本当の恋とは何か」について語り合った。

制作の場で長いおしゃべりがはじまるのがいいのかどうかは分からないが、
中学生から社会人まで同じ空間にいるなかで、
年齢を超えてまじめに語り合うって、やっぱりちょっといいよな、と思う。

アトリエの、親戚でも学校の友達でもない距離感は、
親密だけど風通しのいい絶妙の間合いで、するりと本音が話せてしまう気がする。

本当の恋とは何か、の会話は大変まじめな内容になった。
話していて、彼に好かれる女の子はきっと幸せだろうなあと思った。
 
そんな中、飾られた短冊に触れていた女性が急に吹き出した。
「。。。。!! オサダ!自分の名前まで間違えてるよ!!」
よく見ると、長田遼太郎、のはずが、『長田遼犬郎』になっていた。
。。りょういぬろう。。。。。。

 
彼は、空気を柔らかくする天才に違いない。

ふだ

086. リニューアル

086
5月26日に、お休みしていたアトリエの仕事に復帰した。
まるまる2ヶ月以上お休みしたことになる。
もともとは、手術のためにお休みを頂いたのだけれど、
周囲のみなさんやスタッフの理解に支えられて、
手術に必要な時間プラス、たっぷりのお休みの時間をいただくことができた。
本当にありがたいことだよなあ。。と思う。

13年前、サラリーマンをやっている時に「アトリエをやろう」と思ってから、
「こんな場所があったらいいのにな」という気持ちで始めたのがアトリエ・アルケミストだ。
ぽっ、と何もないところからはじめたから、はじめはだーれもいらっしゃらなかった。
ひとりでほおづえをついて、窓の外なんかを眺めていたものだ。
通われるかたがいらっしゃるようになってからも、何年も赤字のままで、
他ではたらいて、その収入で赤字をおぎないながらアトリエをつづけていた。
通われる方が増えて、スタッフも増えて、いい空気ができてきて、
でも収入のおぎないは必要だったので、だんだんと忙しくなっていった。
それで、気がつくと、熱いフライパンの上でずっと踊っているような
ペースになっていた。
変なたとえだけれど、実際にそんな気持ちだったのだ。

自分ではじめた場所がかたちになって、
いらしている方が楽しい時間をすごしているのだから、
素敵なことだよなあ、
文句なんかないじゃないか、と思ってきたけれど、
うーん。。。
やっぱり忙しさに限度ってあったんだなあ、としみじみ思う。
 
今回は、回復だけじゃなくって、いまのじぶんをふりかえってみたり、
好きな植物をゆっくり手入れしたり、したかった勉強をしてみたり、
静かにひとりですごしてみたり。。。
まさに、「おとなの夏休み」のような豊かな時間を頂けた。
そんな時間がもらえたのは、やっぱり周囲に恵まれたからなので、
ほんとうに、いくら感謝しても足りない感じだ。

アトリエも、すこし離れた目でみることができて、色々とできることも見えて来た。
 
アトリエは、わたしにとって夢の場所だ。
「つくることがすき」な人たちがあつまって、ちょっと家族みたいな雰囲気で、
のんびり気分よく過ごしながら制作できるところ。
制作を通して、「ああ、自分ってこうだったんだ」と思ったり、
ほかの作品をみて「こういう作品もあるんだ!」とちょっと感動しちゃったり、
気が乗らないときはだらだらしてみたり、
そういうあったかくってたのしい所があるといいな、と思い描いた場所だ。
最初は「できるのかな、こんな場所」っておどおどしていたけれど、
おかげさまで、成立することはわかった。

だから、つぎは「こんな場所があるといいな」を卒業して、
「こんな場所があり続けられるといいな」という段階にいけたらなあ、と思っている。
クラスの編成や、お月謝のしくみや額、材料の使い方や自分たちのレクチャーのやりかた、
ソフトからハードまで、いままでの雰囲気やコンセプトをそのままに、
「アトリエが自立してあり続けるようなやりかた」に変えていけたらなあ、と思っている。
1、2年くらいかけてじっくり順次リニューアルしていくつもりだ。
 
お休み中のコラムにも書きましたが、この場をおかりしまして、
重ね重ね、お礼を申し上げます。
お休み中にそっと待って下さった千葉さまはじめアトリエの皆さま、
病院、自宅と重ねてお見舞いくださった植田さん、
優しい色の花やあたたかいごはんを届けて下さった箱島さま、
主催者不在にもかかわらず気にせず制作を開始してくださった関谷さま、伊藤さま、
おかいさま、吉田さま、
お休み中宇都宮氏のヘルプをして下さった深谷さん、平澤さん、オサダくん、
ヘルプからお見舞いまで、八面六臂の活躍?だった山口さん、高野さん、
何より、お休み中のアトリエを守って下さった宇都宮氏、ありがとうございました。。!

085. 炊き込みごはん

085
デートはいつでも楽しい。
好きな異性とデートするのはもちろん、同性でも日時を決めて、
二人で過ごすのを楽しむのはデートだと思う。
手術のためにお休みして、復帰するまでに何人かの方とデートした。
上野の美術大学の卒業式の日に、大学内に入って散策してみたり、
教授に見とがめられてダッシュで逃げてみたり、
古い日本映画を観たり、
干し芋を食べながら連れ立っていけない映画を観てみたり、
新人落語家の練習寄席に行って、台詞を忘れてつまったりするのを眺めてみたり。。。
一人遊びだと、築地に行って観光客を眺めて切り干し大根を買ってみたりしていた。
外デートも面白いが、うちでご飯を食べたりするデートも楽しかった。
4、5日前から「どんなごはんにしよう?」と考えながらメニューを決めて、
何日かに分けて下ごしらえをする。
当日はごはんより会話がメインになってしまうのだが、
こういった時は、準備自体がもう娯楽なのだ。
時間がある時ならではの贅沢だ。

印象的だったのは、自宅でアトリエの方とごはんデートをしている時に、
箱嶋さんがいらした時だ。箱嶋さんは、ちびっ子のお母さまだ。
えだまめの入った炊き込みごはんと、優しい色のお花をお見舞いにお持ち下さって、
本当に嬉しかった。
「ご一緒にごはんをいかがですか?」とお誘いしたのだが、
ご用事の途中で寄られたとのこと、そのままお帰りになった。
デートは楽しく終わって、その夜、帰宅した主人と
昼の自分が調理した残りものと、頂いたまぜごはんを夕食に食べた。
ごはんは薄味で、ほんのりいい香りがして、
夫婦で「おいしいねえ」と言いながら食べた。
忙しい毎日だと、どうしても、素早く終わらせるのが目的で料理をしてしまうけれど、
そういうのじゃなくて、
なんだかごはんに入っているにんじんやごぼう達が、
にこにこ笑っているような感じの味がした。
デート用に作った自分の料理は華やかだけれど、でもこんなにおいしくはなかった。
うれしくて、不思議で、
その日のデートはもちろん楽しかったのだが、
そのあとに食べた炊き込みごはんの味が、なんだかいつまでも印象に残った。

084. ジェントルマン

084
ここのところ毎日、電車で都内へでかけている。

朝の通勤ラッシュのピークより少し遅れているのだが
まだぎゅうぎゅうに混んでいる時間帯だ。
ふだんはバイクで通勤しているので、新鮮だよなあと思っている。

はじめは混んでいる車内におどろいてしまっていたのだが、
よく見ると、通勤になれている達人組と、わたしのような
たまたまこの時間にのりあわせた不慣れ組に
はっきり分かれているようだった。

先日、長身のサラリーマン、といった雰囲気の男性が、
すうっと空いた席に座った。身だしなみも、動きも大変スマートだ。
(おお、これはきっと達人だ)と思いながら見ていた。
そのうち、そのジェントルなサラリーマンの方は疲れているのだろうか、
しずかに居眠りをはじめた。
(居眠りまでなんだかお行儀がよいなあ。。。)と思いつつ、
その前に立ち、文庫本を小さく開いて読んでいたら、下からこつん、と衝撃を感じた。
前に座っているジェントルサラリーマンの方の、こっくりの動きが大きくなりすぎて、
頭が本にあたってしまっていたのだ。
(ああ、長身だからあたってしまうのか、すみません)と思いつつ、本を上に引き上げて
読書を続けたが、こつん、こつんは続いた。
わるいなあとは思ったが、読書はやめたくなかったのでそのまま続行した。

下北沢でその方が降りるようだったので、
(本があたってすみません)という意味で、つり革の持ち手を持ち上げて、
その方が通りやすいようにした。
そのとたん手が滑って持ち手を持ちそこなってしまい、ブランコのように
つり革の持ち手がいきおいよくジェントルサラリーマンの顔面を直撃してしまった。

「こつん」と音がしたので、結構痛かったのではないかと思う。
(おおお)と思い、大変あせったが、
なぜかその方は私をまっすぐ見て、こっくりとうなずき、
そのまま電車を降りて行った。

別の日には、口ひげをはやした、デザイナー風の男性が
急に顔を真っ赤にして、全身でぷるぷるふるえていた。
何かと思ったら、アタッシュケースを下げている手が女性の身体に触れそうだったので、
隙間を空けようと混んでいる車内で身体をねじっているのだった。

また別の日には、がっちりした短躯の老紳士が近くに乗車してきて、
混んできてもなお、頑として動かず堤防のように人波をブロックしてくれていた。
菊の形のようなバッジをジャケットにつけていて、仕立てのよいスーツを着ている。

最初は(ありがとうございます)と思っていたのだが、どんなに混んでも
結界があるかのごとく必死に動かないので、
しまいには(もしや私は今日、臭いのかもしれない)と思ってしまった。

下北沢で降りた長身の男性のうなづきが何のうなづきだったのか
いまだに全くわからないが、
電車の中にはジェントルマンがいっぱいいるということだけは確かだ、と思っている。

083. ご見学

083
すっかり元気だけれど、手術後にやる治療が終わる5月までは
アトリエをお休み、という毎日が続いている。
前のコラムにも書いたけれど、アトリエ自体はばっちり開講している。
ひとえにスタッフの宇都宮氏、深谷氏はじめ、平澤先生、大学生オサダくん、
見えないところでご助力下さっているアトリエの皆さんのおかげだ。
いらした方の制作の様子を毎回書いてスタッフ同士でやりとりする
「連絡帳」は、私がアトリエに居るときよりもっとていねいに
文字でびっしり埋まっていて、
いまアトリエをやってくださっている皆のまなざしが伝わってくる。

そういったものを横で見ながら、ちょっと離れた気分で落ち着いて、
これから長い目でどういうふうにしようかな、とか、
妄想を交えながら調べものなどをしたりして毎日を過ごしている。
普段なかなか会えない友達と会ったり、
アトリエ花壇の植え替えをしたり、
アトリエのない日に宇都宮先生と打ち合わせたりしていると
妄想がより現実味を帯びたりして面白い。

ちょっと困るのはご見学の時だ。
ご連絡頂いて初めて対応するのは佐藤で、実際お会いする最初のスタッフは宇都宮先生なので、
対応するスタッフが違うのだ。
毎回説明して謝るようにしている。

先日は絵本を制作したい、とおっしゃる方がいらした。
ああ、お話したいなあ!と思ったけれど、
やはり出たり入ったりは混乱の元であると思ったのでがまんしてしまった。
ご見学は新しい出会いそのもので、
未知の方とお話しできること自体が楽しかったりするので、
個人的にはちょっと楽しみなイベントだ。
その方がアトリエにいらっしゃることになればまたお話もできるけれど、
ご見学で終了の場合はそこで縁がおしまいになるので、
お会いできなかったことが惜しいよな、と思っている。

お休み中、3回ご見学をスルーしてしまったので、
こんどは遊びにいきたいなあ。。と思うのだが、遊びに行っていい?と聞いたら
「佐藤さん、遊びじゃないでしょう!」と怒られそうなので、だまっている。

082. ふつうのひと

082
手術をすることになって、入院するので
5月までアトリエをお休みさせていただくことにした。
と、いってもアトリエ自体はメインスタッフの宇都宮氏をはじめ
沢山のひとがお手伝いに入ってくださって、つつがなく開講している。
ほんとにありがたいことだなあ。。。。としみじみ思っている。
先日退院して来て、全開で動けるほどではないが休みで暇、という毎日を送っている。
手術したところが落ち着くのを待って、もうちょっとやることがあるらしいので
ここですぐ復帰してしまうとまたしばらくしてお休み、ということになってしまうらしい。
うーんそれでは、ちびっ子も自分もよくわからないことになる。。と思ったので、
まるっとまとめて全部終わるまでお休み、ということにさせていただいた。
もう10年近く、生活=アトリエ、くらいの勢いですごしていたので、
ふわっと急に大型の夏休みを与えられたような気分だ。
最初はアトリエの方々から毎日のように来ていた、
とても沢山の連絡やちょっとしたメールなどがないのが不思議な感じだったが、
いかに日常にそれらが食い込んでいたかに気がついた。
メールが激減して最初は戸惑ったのだが、
いざ無くなってみると、メールがないっていいな!贅沢だなあ!!と思ってしまったのだ。
思考や生活の時間が寸断されない気持ちよさを再確認した感じだ。
逆にたまに来るメールが嬉しくなったり、ちょっと面白かった。
それは今だけのことで、復帰したらまた元通りになっていくのだろうけれど、
体験できてよかったなあと思っている。
時間の過ごし方や、身体の考え方など、けっこう見直したりはじめて分かったりすることが
てんこ盛りで、何だか、今まで持っていなかった視点をたくさん与えられた感じだ。
アトリエに対してもそうで、いろいろこうしようかな、ああしたらおもしろいかな、
と妄想に拍車がかかっている。
 
そんな風にのんびり構えていられるのも、
アトリエが、行けばそこにあるとわかっているからだ。
スタッフの宇都宮氏、深谷氏はもちろん、
平澤先生やオサダ、山口さんや高野さんが実質的にヘルプに入ってくださって、
がっちりアトリエを守ってくれていると思えるのは、背中がこそばゆくなるような
ありがたい気持ちだ。
ちびっ子でも、ゆかちゃんやのんちゃん、あやかちゃんはがんばってくれてしまっていないだろうか、
はなちゃんは楽しんでくれているだろうか、等々思ったりしている。
ちびっこのお母様からも「大丈夫ですか?」とご連絡頂いたり、
休暇なんだからとそっとしてくださったり、アプローチは様々だけれど、お気遣いくださる
あたたかい気持ちは共通して伝わってくる。ありがたいなあと思うばかりだ。

そこに行きさえすればいつでもあるのんきな空気の場所、
色々なひとが楽しみに通ってくれる制作の場所がつくりたくて、
アトリエをやっていたのだけれど、
なんのことはない、自分が誰よりも早く戻りたくなっている。
自分だけが一生懸命やっていたように思っていたのだが、それは違ったみたいだ。

せっかくだから、
帰ってきたときに、「えー?もう別に帰ってこなくてもいいよ!!」とか言われないように、
新しい分野の制作の勉強などもしよう。。。と思いつつ、
今は毎日、水曜どうでしょう(地方の昔のTV深夜番組)のDVDばかりみている。
なんでこんなに面白いのだろう。謎だ。

081. たこやき爆弾

081
先日、グループ展をした方と打ち上げ会をした。
社会人クラスの女性の高野さんのお家で、たこ焼きパーティーをしたのだ。
メニューが手作りたこ焼きとなめこのみそ汁、と聞くと、地味すぎるかもしれない。
が、変わった具も色々と入れてたこ焼き機でまるいものを
作ったので、味に色々なバリエーションもあり、
何より、皆でちょいちょいひっくり返したり、具を入れたりして手作りするのが楽しかった。
社会人チームは若干お酒も入って来て、
たこ焼きにタコ以外のものを入れ始めた。

社会人クラスの男性、山口さんだったと思うのだが、
「これ入れようと思って買って来ました」と、うずらの卵をたこ焼きに入れた。
それを眺めながら、
「たまごって電子レンジかけると爆発しちゃうんですよねー」
「そうそう。飛び散ってね」
「このうずらも爆発しちゃったりして!」
「まさかあ(笑)」
等々、皆で笑っていたまさにその瞬間、
ボム!と鈍い音がして、うずらの卵は爆発した。

一瞬何が起こったのか、さっぱりわからなかった。
私と高野さんの女性陣の顔に何か熱いものが飛んで来て、
「うあっつ!え、なに?なに!?」
「え?あーうずらだうずら!!」
等言っているうちに、
うずらは第2発目、3発目と爆発しだした。
「電源切って切って!」
「つか逃げてー!」
等、一時室内は騒然となったが、
電源を落としたことでうずらの爆発は収まった。
パーティーの時に、髪の毛にキラキラしたものをつけている女性を見た事があるが、
そのような感じに高校生のオサダくんのもじゃもじゃの髪の毛にも
まんべんなく小さな小さな卵の黄身が散っていた。
お酒で楽しくなってしまった大人陣はいったん爆発が落ち着くと、
「よし、もっとうずらを!」
「ええ?ちょっと待って下さいよー!」
「ニワトリのたまごならありますよ!」
等々盛り上がった。
未成年でお酒の入っていないオサダ君がそれを眺めながら、パーティーヘアーのまま
「。。。。。。酒の力とはおそろしいものだな。。。」
とつぶやいていたのが印象的でおもしろかった。

(うずらのたこ焼き、おそらくパーティーでやると盛り上がる事間違いなしです。
ただし、会場となる方のお家の事後処理は大変かと思いますので、どうぞご了承ください。
味はかなりおいしいものでした。)

080. お手本

080
アトリエは大人のお手本の宝庫だとよく思う。
ご本人それぞれのペースでものごとを学んでいたり、
自分で自分の道を切り開いてきた方は、
その積み重ねがお人柄に出ていて、ちょっと言葉を交わすだけでも
目にきらりと好奇心やユーモアがよぎる感じがする。
もの静かな方だったり、華やかな雰囲気の方だったり、
現れ方は色々でも、目によぎるものは共通のものがある気がしてならない。
そういうの、素敵だよなーと単純にあこがれてしまう。

それがちびっ子のお迎えにいらっしゃる方だったりすると、
ちらっとしかお話しできないのが残念に思う事もしばしばだ。

先日、アトリエで着物の着付け講習をやった。
2年前くらいから、アトリエの社会人女子の間で局地的に和服がブームなのだ。
レクチャーしてくださった箱嶋さんも素敵な大人のお手本だ!と思った。

箱嶋さんはちびっ子クラスに通われているきょうへい君のお母様だ。
フラワーアレンジメントのお仕事をしているけれど、
お話のなかで着付けもお出来になるとのことで
お願いしたのだ。今回は結ばない帯、という少々特殊な結び方の講習となった。
よく輝く表情と、生き生きとした雰囲気に包容力や強さが混じったような
箱嶋さんは、「わたしもそんなに出来ないですから、先生じゃないですよ!
一緒に勉強させてください」とおっしゃいながら、順を追って着付けを教えて下さった。
暖かく、さっぱりとしたお人柄のためだろうか、皆さんも質問しやすかったようだ。
それぞれの方が「今さら聞けない着付けのお悩み」を述べて、
その一つ一つを理解しやすく実践してくださった。
着付けはみっちり3時間半に及んだけれど、
これなら自分でもできる(かも)!という実感が持てたのが大きかった。
疲れた!というよりも、ああ、勉強になったなあ。。。!
という印象だった。
着付けの講習は2回目だけれど、
参加している方がちょっとずつスキルがあがっている感じなのもいい感じだ。
暇だから、ではなく、皆さん時間をつくって勉強するっていうのが
またいいよな、と思っている。

077. 芝浜(しばはま)

077
昔から落語が好きで、本を集めたり寄席にいったりしていた。
今回は友人が誘ってくれて、立川談春(たちかわだんしゅん)さんの独演会に行って来た。
立川談春師匠は、亡くなった談志師匠の弟子で、
たぶん、いま最も油がのっている噺家さんのひとりだと思う。

演目は「居残り左平次(いのこりさへいじ)」と「芝浜(しばはま)」だった。

「芝浜」は落語の定番とも言えるお話だ。

お酒で身を持ち崩しかけている魚屋さんが、
奥さんにせがまれて渋々と仕事へ出かけたところ、
海辺から大金が入った財布を拾う。
大金が入ったこのお財布をひろった事を「夢だった」と
信じたことがきっかけで、
最終的には魚屋さんは働き者になり、
裏長屋住まいから脱出して、奥さんのありがたみを知り。。。。
といった筋のおはなしだ。

私は、落語は江戸時代の風物の描写も含めた
「アナザーワールドの物語」として聞くのが好きなので、
立川流の、風物よりも
、普遍的な人の心の動きに焦点をあてる噺の仕方は
好みには合わないなあと思っていた。

それを思いながら談春さんの「芝浜」を聞いたのだが、
本当に、おもしろかった。

今までの中で一番おもしろい芝浜だったと思う。

談春さんの芝浜も、談志師匠の
「人間を描く」ことに集中するスタイルと同じなのだけれど、
談志師匠の、人間の業(ごう)をみつめる感じとはちょっとちがった。

なんていうか、鋭いけれど、もうすこしまろやかだった気がする。
理由はわからない。

仕事の腕はいいけれどお酒のせいでしくじっている魚屋さんと、
魚屋さんが好きでしょうがない奥さんとの夫婦愛のお話が軸になって、
すごくリアルな「人間はどこの瞬間で変わるのか」というお話になっていた。

わかりにくい昔の言葉を使ったあとは、
さりげない感じで現代語で言い直してあげていたり、
アツい語り口ながらも細やかな気配りもされていて、うまいなあ。。
と思って聞いた。

こういう解釈の噺を聞いた後に
普通の芝浜をCDで聞き直してみたけれど、
好きだった描写も切り絵みたいに思えてしまい、噺の世界の奥行きが全然違っていた。
談春師匠の人間描写恐るべし、と思った。

昔の噺家さんで一番好きなのは、5代目の古今亭志ん生師匠だ。
ちょっと甲高い声の、いかにも江戸前な語り口で、
話をテンポよくはしょるのが巧い。

今の噺家さんで一番好きなのは柳家小三治師匠だ。

もう一回、談春師匠の噺を聴いたら一位が交代しそうなので、ちょっとわくわくしている。

078. あのころ

078
思うところがあって、絵本を出版した。
と、いうと格好がよいのだが、自費での出版だ。
原稿自体は13年前に出来ていた。
ちょうど、アトリエをはじめて間もない頃にこつこつ描いたものだ。

アトリエといっても、自分でアトリエですよーと言っているだけで、
実際はほとんど誰もいらっしゃっていなかったので、暇だったのだろう。
一番描き進んだのは夏だ。
色々な仕事が夏休みに入った1週間の間はほとんど24時間、
アトリエにいてそのお話のことばかり考えて過ごした。
うるさいくらいの蝉の声や、蚊取り線香の香り、
疲れてごろんと大の字に寝ころがったときの
天井の柄や、肩と背中に感じるひんやりした床など。。。。
そのときの記憶は体に残る感覚で、はっきり残っている。
何より、心の底から、ああ、幸せだなあ、と思っていた。
アトリエがほとんど誰もいないのに、焦るとか怖いなあとか
感じる事ができずに、心底幸せを感じていたのだから、
おかしいよなあ、と今思うとなんだか苦笑いする感じだ。

そんな風にして描いた物を、
読み直しては手を入れたり、
ほっぽらかしていたりしていたら、13年も過ぎてしまった。

もともとは友人に向けて書いたお話だ。

作者はクリスマスに出来上がったものをもらえた。

なんだか、幼なじみの女の子が
急におしゃれしてかわいくなって出て来たみたいな感じで、
ちょっと照れくさかった。

079. チーム『ぼくのうち』

079
編集者さんの内館朋生さんと初めてお会いしたのは
宮帯出版社東京支社のオフィスでだった。

実際の内館さんは、メールから想像していた柔らかい雰囲気よりも
きりっとした感じで、やり手、という印象が強かった。

ずっと前に描いたお話を形にしたくて色々試した結果、
自費出版で絵本にする形に落ち着いたのだけれど、
自費出版にしてよかったなあ、というより、
この出版社、この編集者さんに出会えて本当に良かったなあ、と思っている。

内館さんは、別に絵本や本の作りを講義してくれたわけではない。

「どういった表現、どういった作りにすればこれが一番伝わるものになるか」
にとことんこだわる姿勢があって、その話のなかで
本についての実務の言葉がちらほら混じる感じだ。

たったひとつの文章の置き場所を変えることで突然場面が生き生きしたり、
漢字にするか、ひらがなにするかで印象が違ったり。。。
「伝えるために真剣に吟味する」姿勢と、
ものとして本が本当にお好きなのが伝わってきて、それがすごく勉強になったのだ。
今までの経験から、
絵本のつくりや、実際の制作の流れの大体はおさえているつもりだった。
でも実際に制作が進むと、
思っていたよりもずっと
知らないことやわからないことは多くて、本当に勉強になった。
「こういう風にすればいいんじゃないか」とアイデアを投げて頂くと、
目からうろこがおちる気持ちで、
「じゃじゃあ、さらにこういう風にしたらどうでしょう?」
とこちらからさらにアイデアを返したり。。。
作品を真ん中に、アイデアのラリーが続いた。
そのラリーのなかで、ぶつぶつと独り言のようだった自分のお話が、
きれいな声で発音もはっきりしてくるような感じに
みるみる変わっていくのがわかって、マジックをみるような思いだった。
文章はほとんど変わっていないのに、
こんなに印象が変わるものなのか、という驚きがあった。

最後のほうは、編集部の3名の方が全員参加で、
4人でああでもないこうでもないと頭をつきあわせて話をした。
内館さんのみならず、男性編集者の酒部さんやデザイナーさんの女性の鈴木さんも
積極的にアイデアを出してくださった。
完成後、「とても自分だけではできませんでしたし、
もう、自分だけのお話とは思えません」とお礼を言うと、
内館さんが「チーム『ぼくのうち』の作品ですね」と笑っておっしゃって下さった。

たまたま、私が大好きな本と
内館さんが大事にしていた本が一緒だったから、
では済まされないようなリンクっぷりで、
お話をまるごと自分のもののように理解してくださっているのも印象的だった。
「共通理解はできている」という認識のもとに思いっきり動いた感じだ。
私の一方的な勘違いかもいれないけれど、
最後は作品をまんなかに、職業や年齢を飛び越えてわかりあってしまった!
という感覚があって、嬉しい制作時間だった。
 
「ぼくのうち」というタイトルの絵本で、ミヤオビパブリッシングという出版社から、
羽田由樹子(はだゆきこ)の名前で出す予定だ。
極少部数なので、アマゾンか書店注文になりそうだが、
今からかなりわくわくしている。

改めて、宮帯出版の内館さん、酒部さん、鈴木さん、
本当にありがとうございました。。。。!

076. 無人販売

076
神田の古本屋街に行って来た。
本当に古本屋さんばかりなので驚いた。
菌類の本ばかり扱っている本屋さんがあると思えば、
切符しか扱わない古本屋さんもある。
いろんな世界が共存してるところだなーと思った。
年末で人はぼちぼち居るのだが、みんな本を探しているせいか、
人の数に比べると街はひっそりと落ち着いていた。
年末で休業中の本屋さんもちらほらあったけれど、
全体としてはまだ街は働いているぞ!といった感じだった。
 
雑居ビルの廊下に「全部100円」と書いてある古本の棚があり、
2冊欲しいなと思って手に取り回りを見たけれど、
人もいないし店の扉も閉まって暗い。
うろうろしたあげく、
ビルの同じ階の全然別のお店のレジにいた方に、
「あの、むこうの廊下の本が欲しいのですが」と言うと、
「貯金箱があるよ」と言われた。

本棚に戻ってよく見てみると、
棚の真ん中に、紙コップよりふたまわりくらい小さい赤い貯金箱があって、
マジックで「お金はここへどうぞ」と書いてあった。
本の無人販売かい!
ていうか、この貯金箱、ぽこっと置いてあるだけだけど、
持っていかれたりしないのか?!
等々思ったが、
ここまでアバウトだとかえってズルはできなくて、
おとなしく200円入れて本を持って帰って来た。

また行こうと思う。

074. メンズ

074
いつの間にか、クリスマスツリーも街に出てこようかという季節になってしまった。

今年の夏はほとんどコラムの更新をしなかったのだが、
出かけた花火大会で印象深いことがあったため、
コラムだけは書いていた。

いまごろ夏の話だが。。。。。
以下、8月のエピソードだと思って頂ければ幸いです。

———————————————

今年も夫婦で花火大会に行って来た。
今年は神奈川の港沿いの公園で打ち上げられる花火大会へ出かけた。

猛暑日で、会場についてすぐに浴衣姿の女性がタンカで運ばれていったりするのを見た。
自分も気をつけねば。。。と、じゃんじゃん水を飲んだ。

周囲は10代~20代のカップルや女子友達で来ている人が多く、
浴衣姿が多かったため目が楽しかった。

とくに左横に座っていた10代後半と思われるカップルは
見ていて素敵だなあと思った。

金茶の髪に軽くパーマをあてた、今っぽいメンズな男子と
厚いつけまつげに栗色の髪を丁寧に結い上げた女の子のカップルなのだが、
やさしくいたわり合っている様子がとてもいい感じだったのだ。

女の子の浴衣の帯は、柿色地に細い浅葱色と抹茶色のラインが入っている実に渋い博多帯で、
とてもきれいに締められていた。

華やかな色彩のかんたん帯もかわいいけれど、
その女の子と渋い帯との組み合わせは新鮮でかわいらしく、目を引いた。

打ち上げ2時間くらい前だろうか、熟年のご夫婦が右隣に座った。
奥さんが「ここいいですか?」と入ってきたのだが、
もうほとんど場所はうまっていたので、並んでは座れず、
そのご夫婦は斜めになる形で座った。

奥さんは元気よく色々とご主人に話しかけていたが、
ご主人はなんだか元気がない様子で、口数も極端に少なかった。

そのうち、ご主人はお手洗いにでも行くのだろうか、
立ち上がって公園の小道のほうへ出て行かれた。

後ろで急に人がざわざわしているので振り向くと、
さっきのご主人が小道の植え込みにしゃがみ込んで吐いてしまっていた。

あっと思う間もなく、左横の男子が立ち上がって様子を見に行き、
救護班を呼ぶように近くの警備の人に頼んでいた。

女の子のほうは、小さな声で、バナナをもぐもぐと食べている奥さんに、
「あの、おとうさんが倒れていますよ」と声をかけていた。

奥さんはよく聞こえなかったようで、「え?なに?」と聞き返したので、
「ご主人の具合が悪いようですよ」と今度は私が言ってみた。

すると奥さんは「あ、今朝から具合が悪いのよ」とさらっと答えた。

何となく、奥さんが慌てて駆け寄る場面をイメージしていたので、
思わず私とその女の子は顔を見合わせてしまった。

「・・あの、でも具合悪そうなんで、見に行ったほうがいいですよ」
と女の子はやっぱり小さな声で言った。

奥さんはしっかりバナナを食べ終わってから立ち上がって、ご主人のところへ歩いていった。

しばらくすると二人で戻ってきたが、もう明らかにご主人は具合が悪そうだった。

奥さんはペットボトルのお茶を飲んだりお菓子を食べたりしていたけれど、
ご主人は何も口にせず、ときどき吐き気をこらえている感じだった。

花火大会が始まって20分くらいだろうか、
やはり帰ることになったらしく、
二人で「帰ります」と周囲に声をかけて立ち上がった。
すると後ろで前回よりもっとざわざわしたので、振り返ってみると、
ご主人は倒れていた。

男の子が再びさっと立ち上がって「おじさん大丈夫ですか?」
と声をかけていた。
「誰か氷もってるひといませんか?あとタオルとか手ぬぐい!」
と男子が言ったので、手ぬぐいを貸した。

氷は後ろに座っている別のカップルが出してくれたので、
男子は氷を手ぬぐいにまいて紳士の頭の後ろを冷やしていた。

その間、奥さんは「あらいいのよ、花火見れないでしょう?私がやりますから」
と言っていた。

男子はついに怒ってしまった。
「全然大丈夫じゃねえよ、あきらかにずっと具合わるかっただろ?
さっきから心配してたんだけどさあ、俺は絶対おばさんの対応に問題があるとおもうよ。
熱中症とかで死ぬ人もいるんだよ?
夫婦なんだろ!?心配じゃねえのかよ!花火とおじさんとどっちが大事なんだよ!!」
とその奥さんを怒鳴りつけていた。

なんだかまずい方向になりそうだと思ったので、まあまあと間に入ったが、
奥さんは「なに様なのあなた!」とぷりぷりしていて、
それを尻目に男子は再び救護班を呼びに走っていってしまった。

救護班がタンカを持って来て、ご主人は搬送されていった。
奥さんもそれについていった。

その男子が紳士の具合を本当に心配していたのと、
奥さんの、ご主人のことをあんまり心配していない様子の対比がすごく印象的で、
花火そのものよりもそちらが印象深かった。

あとで主人に「おじさんが倒れている間ってどんな花火上がってました?」
と聞いたら、
「いや。。全然みてなかった。。。救護班なかなか来なかったし。大丈夫だったかなあ」
と言っていた。

それにしてもあの男子はなんだかかっこよかった。
女の子もいかにも優しい感じで、素敵なカップルだな、と思った。

075. エビで山をつくろう

075
アトリエはなぜかいつまでたっても貧乏だ。

床は抜けてボコボコだし、手作りのカーテンは風化しすぎて
とろろ昆布みたいになっている。

はじめは人が少ないので貧乏なのかなと思っていたのだが、
少し人が集まるようになっても同じなので、最近スタッフ全員で首を傾げている。

おそらく油絵だけのアトリエ、とかではないので材料費がかかりすぎるのだろう。
しかし値上げしすぎると、経済が制作のハードルになってしまうため、
できないしやりたくないので悩むところだ。

自分がやっているうちは他からの収入でカバーできるからいいけれど、
代替わりする時がむつかしい。
贅沢でなくても、せめて一人の人間が家族を養えるくらいのあがりは確保して
次に渡したい。

何かうまい工夫をしたいな、と思いながら過ごしている。

先日、いつも土曜日に来て下さっている立体スタッフの深谷さんの
ボーナスについての話になった。
ボーナスというか、年末の『今年もお世話になりました』といった意味のお礼で、
1万円(!!)くらいしか用意できないので現物支給にしたいが、
防災グッズはどうか、と聞いたのだ。

深谷さんは本業の仕事柄、そういったものはほとんど持っているとのこと。
投光器まで持っているらしい。

では真逆の発想で、1万円を豊かに使う、イカした方法はないかということになった。

1万円は、使おうと思えばあっという間の金額だ。
これをいかに豊かに使うか。

うまい棒を1000本買って床に敷き詰めるとか、チュッパチャップス大人買いとか、
吹きガラス体験に使う等々、色々案がでたあげく、
1万円分海老を買って海老フライを作り、
「海老フライでタワーをつくる」ということに落ち着きつつある。

深谷さんは海老が大好物なのだ。

ウエディングケーキ並みのタワーにして、上に旗を立てたいとのこと。

今は公民館の調理室を使うか、レンタルのフライヤー(揚げ物機)を借りるかで
迷っているらしいが、さすが深谷さんだ。

個人のお礼が完全にイベント化している気がするのだが、
深谷さん本人はそれでよいらしい。

すぐに「エビで山をつくろう」という
イベント参加募集のチラシを作ってきてアトリエに貼り出していた。

美しくタワーにする工夫にも余念がなく、様々な案を出しており、現在鋭意検討中だ。
常々おもしろい人だとは思っていたが、
やっぱりおもしろい。

ちなみにアトリエの代替わりといっても、
死なないかぎりはけっこうがんばるつもりなので、猶予は相当ある。
それまでにはいいアイデアがみつかるさ!とのんびり構えている。

072. グループ展

072
11月8日から13日まで、アトリエの方と一緒にグループ展をした。
高校3年生1人と、社会人2名、とスタッフ(私)という構成だった。

高校3年生は受験と同時並行だし、社会人組3名は仕事と平行して進めなければ
いけない。全員、なかなかエネルギーがいるイベントだったけれど、
やってみて本当によかったなあと思っている。

もちろん軽やかに、マイペースでやったほうがものごとはきっと
長続きするわけだけれど、
たまにはぎりぎりいっぱいまでやるのもいいよなと思う。

ぎりぎりまでがんばると、見えてくるものが沢山あるからだ。

今までは出会わなかった人と出会ったり、
いかに自分が色々な人にお世話になっているかを再確認したり、
制作と向き合うことはもちろん、その他にも
たくさんの収穫があったなあと思っている。

グループ展の後日、
気がついたことを忘れないうちに、会場選びからはじめてスケジュール組みや
展示について等々、反省会をした。

私は疲れから風邪をひいてしまい半分さぼってしまった。
他のメンバーはきちんと最後まで反省会をして、
その後はTV番組のDVDを観ながらニット帽のポンポンを作ったらしい。

なんじゃそりゃ、と思うが、そういう意味がわからない時間って
すごくいいよな、と思っている。

展示搬入でお世話になりました
高野さんお母さま、芝さん、山口さん友人の有水さん、大城さん、
3日間(!)も受付を引き受けて下さった金井さん、
何より5日間しかない会期にわざわざ足を運んで下さいました皆さま、
何かのついでに、とはいかないスケジュールだったはずです。
本当にどうもありがとうございました!

073. 香りの記憶

073
アトリエにはメインの制作部屋と奥に油絵を描く部屋があるのだけれど、
私は以前、油絵の油の臭いが苦手だった。

同じ絵画でも私の専門は油絵ではなかったため、あまり馴染みがなかったのだ。

ご見学にいらした方のなかには、
「ああ、懐かしいですね、油絵のにおい。。学生の頃を思い出します」とか、
「祖父が油絵を良く描いていたので。。このにおい、なんだか嬉しいですね」
ということをおっしゃる方がいて、個人の香りの記憶ってじつにさまざまだなあと
思っている。

高校生の頃、大好きな男の子がいて、
クラスは別だったけれど、委員会?のようなものが一緒だった。
1日おきくらいにある委員会の仕事の日が、待ち遠しくて仕方がなかったものだ。

3年間同じ委員会の仕事をして、3年生になった。

修学旅行先はなぜか青森で、学年を二手に分け、さらにグループに細分化して
様々な行程をグループ単位で行動するというものだった。

宿泊もグループ単位でコテージに宿泊、自炊というものだった。

コテージの配置がその男の子の班と近いといいなあ、なんて高校生っぽい希望を
抱いていたがそんなに現実は甘くなく、
確率は2分の1なのに、学年の大まかな班すら別のグループとなってしまった。

3日間の行程のなかで一度だけ、
バス移動の休憩のパーキングエリアでは全学年一緒になるが、
さほど親しいわけではなかったので落ち合ったりする理由も別になく、
あーあ、と思い友達とお土産を物色していた。

友達と話していた時かなにかだと思うが、背中をどん、と叩かれて、
振り向くとその男の子が立っていた。

探したのだろうか、ぜいぜい息を切らせながら、「佐藤、これ。」
とりんごを1個くれると、走ってまたどこかへ行ってしまった。

わたしはりんごが好物で、友達からの誕生日プレゼントなども
りんごを要求していたのだが、それをどこかで知ったのだろうか。
それともただの偶然だったのだろうか。

そのりんごは新鮮で、とてもよい香りがした。

修学旅行中も、その後も、嬉しくて何度も何度もその香りをかいだり眺めたりしていた。

結局そのりんごを食べたかどうかは覚えていない。
その後、その男の子と何かあったわけでもなく、そのまま卒業した。

でもりんごの香りとそのときの気持ちは一緒になって、
今でも新鮮なりんごの香りを嗅ぐとふわっと嬉しくなる。

こういう香りの記憶、皆さんはありませんか。

071. 沈黙

071
自分の夏休みが始まったばかりの時は、
まだ日常が体から抜けないのと、早くまとめて時間を作りたいのとで
あっちこっちと忙しく用事を済ませて回っていた。

概ね気になっていた用事が済んだころ、(一日くらいぶらぶらしてみよう)と
電車にのって、都内をぶらぶらした。

夕方になりお腹がすいたので、下北沢の小さな台湾料理屋に入った。
まだ早い時間だったので、先客は老婦人の二人連れしかお客はいなかった。

私はテイクアウトにして帰ろうと思っていたので、
お店の人がいれてくれたお茶を飲みながら、老婦人二人の会話を聞くともなく聞いていた。
お二人は耳が少し遠いのか、かなり大きな声で会話をしていた。

お一人はドイツで生まれてオーストラリアとインドに長く暮らした、とおっしゃっていた。
灰褐色の目に眼鏡をかけている。
痩せて背の高いひとで、もう一人の老婦人のお話に身をかがめて耳を傾けていた。

もうお一人は小柄なまさに「日本のおばあちゃん」といった感じで、
シートに座る姿がちんまりとしていた。
黒々としたちぢれ髪と日焼けした肌が元気いっぱいな感じで、声にも張りがある。
以前はハワイにいたとのこと。

どうも体操??か何かの習い事で同じクラスだったようで、
ドイツのご夫人が本国へ帰るため、
以前からお互いに話してみたかった二人が食事をすることになったらしい。

戦争の事や子育てが終わってどう過ごしたか、
等々とりとめもなく話していたが、
ぽつん、ぽつん、と会話に長い間が空くのが印象的だった。

お互い向かい合わせに座らず、
ベンチシートの隣同士にすわって、同じ方向をみて黙っている。

会話の内容がきっかけになって、それぞれご自分の今までに思いを巡らせているのだろうか。
沈黙のあと、ゆっくり話して、相手の話を傾聴して、また黙って、という
ゆったりしたリズムが素敵だなあと思った。

沈黙が恐いのだろうか、お互いの話を聞いていないのでは、と思うくらい、
つんのめるように早口に会話する学生さんらしき人をたまに見るけれど、
こういうのって年輪の差なのかなあと思いながらお二人を見ていた。

私が注文した料理はわりあいすぐにできあがってきたので、お勘定を済ませて店を出た。

もうちょっと聞いていたかったな、と思った。

070. 夏休み

070
今年の夏休みは長かった。

アトリエでの夏休みに加えて、制作のためにもう一週間お休みを頂いたからだ。
私がお休みの間は宇都宮先生と深谷先生が開講してくれた。

何年もまとまって制作する時間はとれていなかったので、思い切って時間をいただいた。

休み中はどこに出かけるという予定も組まないで、
朝起きて、散歩に行って、家事をして制作をする、
といった充実した毎日を過ごした。

私立の学校で授業がある日などは、1日で合計すると180人前後の人と話をすることになり、
日によっては何かがいっぱいいっぱいになる日もあるのだが、
それと比べるとこの夏休みはずいぶんしゃべらなかったように思う。

1日の会話トータルが三十分とか、数分の日もあったかもしれないが、
ずっと前からこういう生活だったかのように穏やかに過ごした。

問題は夏休み明けに起こった。

お休み明けに一番最初にお話したアトリエの方は高野さんだったのだが、
内心ものすごく人見知りしてしまったのだ。
ぜんぜん会話がまわらなくて困った。

高野さんは一人暮らしの準備のために物件を探しているところで、
そのお部屋情報のチラシ?を見せていただいたのだが、
「はー。。。」とか「そうですかあ。。。」とかあいづち的な言葉しか出てこず、
しかも顔を見ると照れてしまってますますしゃべれないのだ。

こんなんで社会復帰できるのか非常に心もとないが、
こちらの準備とは関係なくもうアトリエは始まっており、新学期もはじまるので、
自分がどうなるのか、ちょっと楽しみだと思っている。

069. 明治神宮とヨガ

069
鈴木さんとおっしゃる方が月曜日の大人のクラスにいらしている。
どこかのぼんとした強さのある絵を制作される方だ。

まだアトリエにはいらして間がないのだけれど、
地味にお話がおもしろくて、伺っているとつい引き込まれてしまう。

話術が巧みだ、というわけではない。内容がおもしろいのだ。

先日は、いらっしゃるなり、「昨日は明治神宮でヨガをしてきました」とおっしゃった。
「えっ?神社でヨガですか」
「そう、明治神宮には初めていったのだけれど、奥は広い芝生で人があんまりいないのね。
気持ちよかったですよ。ロシア人の美人で若い尼さん主催で」
「?」
「もうその尼さんが、とにかくかわいいんですよ。」
「?」
「それで夜は皆で錦糸町のガード下にある、ベジタリアンの台湾料理屋に行きました」
「・・・あの、色々伺いたいんですけれど・・・ ええと、何人くらいでヨガをなさったのですか?」
「30人くらいかしら。ヨガって初めてだったんですよ。気分がいいですねえ」
「ロシア人のシスターがヨガを主宰して、鈴木さんがそれに参加。。」
「シスターじゃなくて尼さんなのよ。それですごく若くてかわいいの」
「若くてかわいい尼さん・・・・」
「台湾料理にベジタリアン向けのがあるっていうのも
おもしろかったですよ。おいしかったですし」

よくわからないことになってきたと思ったのが顔に出ていたのだろう、
鈴木さんはもう一度順を追って説明してくれた。

先日、鈴木さんはかつて住んだことがある宮城に地震ボランティアに行って来たのだが、
そこで色々な方と出会ったらしく、ロシアからいらした尼さんもその一人とのこと。
その尼さんは地震直後から宮城へ滞在し、そこでずっとヨガのレクチャーをして、
避難所で暮らしている方の体をリラックスしてもらおう、という活動をされていたらしい。

今回その尼さんが母国に帰国することになり、その前に東京でも
ヨガのレクチャーをするとの連絡を受けて鈴木さんが出かけた、という経緯のようだった。

お別れ会のようおな感じで皆さんで食事をしたが、
主賓の尼さんが、行きつけのベジタリアン向けの台湾料理のお店を選んだ、とのこと。

順を追って聞いてわかってきたが、それまでは、
(ベジタリアンで台湾で、ロシアでヨガで、ヨガはインドだし、
シスターじゃなくて尼さんっていうと仏教・・・?でもロシア?)
等々、単語が多国籍すぎてさっぱりわからなかった。

今回の鈴木さんの最大のポイントは「尼さんが美人でかわいい」
というところのようで、それが一番おもしろかった。
最後にその尼さんが所属する団体の入会も薦められたが、
「それはちょっとやめておいたわ」とおっしゃっていた。

その日のアトリエの帰りには、
これまた先日行って来たというジャンベという打楽器奏者のライブについてと、
奏者の映画についてお話をしてくださり、リーフレットも頂いた。

うーーーん。
なんだかすごい行動力だなあ、と思う。

068. 北海道

068
地震があってから4ヶ月以上経つ。

地震直後は、すぐに安否を確かめなければならないひと順に
連絡をしていって、日がどんどん過ぎてしまった。

最近ようやく連絡を伸ばし伸ばしにしていた人とも連絡をとりはじめている。

そのやり取りのなかで、アトリエで物資を募集していたことを友人に話すと、
都心のマンション住まいの彼女は驚いていた。

「えー、物資集まったんだ?
こっちは他人どころじゃない人が多かったよ。
実家(静岡)とかだと声かけあうんだけど、
どのうちもドア閉めて閉じこもっちゃう感じで。。。
アトリエの話聞いてると、うちの田舎みたいな感じだなー」

もしストレートに他人を心配することが「田舎みたい」なら、
アトリエには地方の雰囲気があるなあと思う。

地震直後で街が不安な雰囲気になっているなか、
アトリエの玄関に缶詰めや携帯食料、カイロや薬等をお持ち下さった方が
何人いらしたことか知れない。

黙ってアトリエをお休みした翌週に、「宮城に(ボランティアに)行っていたから」と
さらっとおっしゃる方もいらしたし、
アトリエに現在は通っておられない女性が物資募集の事を知り、
生まれて間もない息子さんを連れて、
アトリエに山ほど携帯下着を持ってきてくださったりもした。

特にお母さまがた、さらに特に北海道出身のお母さま方の反応の迅速さは
すごいものがあった。

海外旅行用らしきスーツケース(!)に詰め込んだ荷物を、
通われる日でないのに母娘お二人でお持ち下さったまほちゃんのお母さまや、
風のようにやってきて大量の物資を置いていってくださった上、
「この先は何が必要でしょうね」と真剣に考えていらした千葉さんなど。。。。

お人柄によるもので、ただの偶然なのかもしれないけれど、
見ず知らずの誰かの「困っている」に的確に迅速に反応していくお二人の姿には、
優しくて強い、不思議な「当たり前」な感じがあった。
勘違いなのかもしれないけれど、
助け合うことで生き抜いてきた、雪国のDNAのようなものを感じてしまった。

おセンチな気分で動いているのではないことは、物資のチョイスでわかる。
本当に極限状態をシュミレートして、ご自分でも色々調べたのだろう、
確実に役立つもの、必要とされるものを選んで集めて下さっていた。

そんなわけで、最近自分の中で北海道はかなりのブランドとなっている。

食べ物もおいしいし、梅雨がないし、人も素晴らしく
おまけに水曜どうでしょう(昔の深夜TV番組)まであるのだ。

実は一度もいった事がないのだが、すごい場所だと思っている。

067. 人類は進化している

067
制作の時間を一緒に過ごしていると、アトリエのちびっ子の皆さんはすごいなあ。。。とよく思う。
「昔はよかった。それに比べて今は。。。」というせりふは良く聞くけれど、
アトリエにいると、人類は確実に進歩している!と思ってしまう。

そう思ってしまう制作をするひとは本当に多いが、えいじくんもその一人だ。

えいじくんは小学2年生の男の子だ。アトリエに通いはじめてからは1年くらい経つ。

えいじくんは、ふだんは立体を中心に制作をしている。
実際に使用に耐えるサイズと強度の寺子屋風?長机を作ってみたり、
石膏で大好きな恐竜の化石を作ってみたり、ジャンルや材料は様々だ。

共通しているのはイメージが決まると超人的ともいえる粘り強さを発揮することだ。

低学年だったりすると、やりたいことは毎週変わる、といったことはまったく珍しくはない。
が、えいじ君はいったん作りたいものが決まると、何週でも制作を継続させることができる。
そして完成させた作品を、ものすごく大事にする。

ある日、えいじ君は、自作の机の強度を高めるために何本も釘を打っていた。

数本ならまだしも、1時間近くもこつこつと釘を打ち続ける作業は
当時小学1年生だったえいじ君には大変な作業のはずだった。

くぎ打ちで始まり、くぎ打ちで終わる地味な日が何週かに渡って続き、
あまりにくぎを消費するため、えいじ君が使っていた種類のくぎは
全部無くなってしまった。

違う種類のくぎを使ってもらうことになったのだが、
同じサイズでは石膏ボード用のくぎしか残っていなかった。

このくぎはリングくぎと言われる種類で、表面にでこぼことした
リング状の加工がしてあるため、表面がつるつるした普通のくぎより打つときの抵抗が俄然大きい。
打ってもなかなか入ってくれないくぎなのだ。

前に打っていたくぎとは違うけれど、と前置きしてはおいたものの、やはり打っても打っても入らない。
「おればか。。あーおれ、ばか。。」
とつぶやくえいじくんに、「いや、これはすごくむつかしいくぎなんだよ。
来週新しい、いつも打っていたくぎを買ってくるから、今日はもうやめよう?」
と立体担当の宇都宮先生が説明すると、
いや、やるとのことでもくもくと釘うちは続行された。

そのうち、えいじくんは大粒の涙をぼとぼと落としながら泣きはじめてしまった。

うまく行かないから悲しい、というよりは、
釘が打てない自分の技量がくやしくて泣いているのはよくわかった。

すすり泣きは号泣になり、まわりのちびっ子も心配して集まってきた。
「来週いつもの釘なら大丈夫だよ!」とフォローも入ったが、えいじくんは泣き続けた。

気の済むまで泣くと、別の作業に入るのかとおもいきや、
えいじ君は金づちを持ち直してくぎ打ちを再開しだした。

口をへの字にまげて、しっかり釘の頭をみて、着実にくぎを打っていく
えいじ君の姿は、「ちびっこの工作でしょ」とはぜったいに言わせない何かがあった。

ゆっくりとだがリング釘は製作中の机にめり込んでいき、
周囲の声援がかかるなか、5分強かけてえいじ君は釘を1本打ち終えた。

かなり疲れた様子だったけれど、
「・・・できたー」とつぶやいた顔は忘れがたい。

えいじくんはそれ以来、リング釘も楽々と打てるようになってしまった。

そして今日も、「おれきのう、にくとごはん食べ過ぎてお腹いたかったー」
とか言いながら、着々と制作を続けている。

066. 梅こぶ茶

066
小学生くらいの頃に、田舎の祖母がたまに昆布茶というものを出してくれた。
オレンジ色の缶に入っていたと思う。

ちょっと化学調味料っぽい味のように思っていた記憶もあるが、
祖母との記憶と一緒になって、特別なときに飲むイメージがあった。

よく、コーンスープやコンソメスープのインスタントがあるけれど、
それの日本バージョンだと思う。
昆布茶にフリーズドライの梅を足したものが
梅昆布茶(梅こぶ茶)だ。

私はどちらも全国区の飲み物だと思っていた。

先日、アトリエで神楽坂にある
芸術系専科の公立高校(日本画専攻)に合格した女の子がいたので、
お祝いに梅こぶ茶を飲むか、と聞いたところ
「?」
という顔をされた。知らない飲み物だったらしい。

驚いて、え、梅こぶ茶、知りません?
と部屋にいるみなさんに聞いたところ、
全員に「?」という顔をされてしまった。
そのときアトリエにきていたちびっ子は全員知らない、とのこと。

ルパン三世やドラゴンボールくらい
時間軸に関係ないものだと思っていたので、大変びっくりした。

慌てて立体の宇都宮先生に「うっちゃん知っていますよね?」
と聞くと、気の毒そうに
「聞いた事はあります」と言われてしまった。

梅こぶ茶はもうすでにレジェンドになっていた。

念のため、金曜日のクラスにも同じ質問を投げかけてみたら、
割合知っている人がいてほっとした。

ご姉妹でいらしている小学生のお二人は「飲んだ事がある」とのこと。

もう私はひとりじゃない。
よかったと思った。

065. ぼじぼじ

065
18日の金曜日からアトリエを変則時間で開講している。
金曜日は車で送り迎えのお家や共働きのお家が多かったので、
ひと家族がいらしたのみだった。
とはいえ総数では3名のちびっ子となり、いつもはお話しできないひとと話せたし、
いつもは拝見できない作品をみることができて楽しかった。
土曜日はほぼいつものメンバーがそろって、いつものように制作をした。
アトリエの習慣である、時間はじめのクロッキーも、制作後の後片付けもビシッとやった。
会うなり一気に今までのことをしゃべるひと、すぐに前回の続きをやりたくて準備してきたひと、
様々だったけれど、手を動かしながら談笑していると、
部屋全体の雰囲気が、落ち着いて和んでくるのがわかった。

土曜日の小学1年生と2年生の女の子は、今ミニチュアのお部屋を作っている


ひとりの人は、いったん手順やしくみを覚えてしまうとどんどん応用できるひとで、
独自におうちの家具を作っていた。
もうひとりのひとは、今日は部屋に住む天使をつくろう!
ということになった。
紙粘土でつくるとのこと。
アトリエには粘土はかなりの種類がそろっている。
4~5種類あるのだろうか。
使いかけと新品と、特殊なものとを場所を分けて保管しているのだが、
彼女はそのなかでも、最も使用感が悪い、
今はあまり購入していない在庫の紙粘土を選んでしまったらしい。
いろいろ苦心してこねくりまわしているうちに、
「ねえねえ、なんかこれ、ぼじぼじするー!」と言い出した。
ぼじぼじ?
見てみると、体温の高い手で長時間いじっていたため
紙粘土の表面が乾燥し、けば立ちが起こっていた。
これを彼女は「ぼじぼじ」と表現したらしい。
聞いた事はないけれど、すごくぴったりする感じだなあと感心してしまった。
「ぼじぼじですか。。!!いいですねえ、りんちゃんこれどこかで使っていいです?」
と聞いたところ、
「? いいけど?」
と快諾してくれた。

まずは早速コラムで使ったけれど、
あとはどこで使おうか、手ぐすねを引いていま、機会を待っている。

064. ふつうの毎日

064
地震があった。

すごく被害をうけたところもあれば、まったく何事もなかったところもあったと思う。
個人的には、阪神大震災のときも、新潟の地震のときも、
親類縁者がその土地に住んでいたので、
地震はぜんぜん人ごとじゃなかった。

そして今回は、すごく大事な友人が被災地中心部にいて、
数日消息がわからなかったので、本当にあせった

悲しいというより、もう何ができるのかとか、探すので必死で、
はじめはその友人のことで頭も心もいっぱいだったのだけれど、
どんどん探して行くうちにわかったのは、地震の被害規模のすごさだった。

ごはんを食べて、お風呂にはいって、お布団で眠る。
好きなひとや家族、友達とくだらない話をしたり、けんかしたり、
お菓子を食べたり、公園でのんびりしたり。。。
仕事したり、学校に行ったり、ひまでぶらぶらしたり。。。。

そんなふつうの毎日が、どれだけ尊いかと思う。
小さなふざけたアトリエで、なにができるんだって思うけれど、
小さくても、できることはぜったいあると思っている。

テレビを見ても不安で心配になることばかりだけれど、
ちぢこまって個々で怖がっているよりは、
できることをさがしあって乗り切っていけたらいいよなと思う。

これから長い間、きびしい時期がぜったい続く。
それぞれの持ち場でがんばるのができることなのかなあと思う

「主婦だから何にもできなくってもどかしい」なんていう友達もいたけれど、
笑って明るくどっしりしていることだって、できることのひとつだと思う。
コンセントをひとつ抜いたっていい。

アトリエでは、お茶を飲んで、ちょっと世間話をして、手を動かして。。
そんな、「ふつうの毎日」を、
短い時間でも
守るのができることのひとつだと思っている。

不安なひとは、ちょっとの時間でもそこから離れて、
明るい気分になったりしてくれるといいなあと思う。

元気になれば、やれることだってもっとみつかるはずだ。

揺れなかったり知り合いがなんでもなかった人、被災地からとっても遠い人のなかには、
なんでこんなに騒ぐのさって思うとひともいると思うけれど、それは仕方がないかもしれない。

それでいいのだって感じでやっていこうと思う。
 
友人の三宅を探すために手当たり次第の友人知人に連絡して、ヘルプをお願いしました。
すみません。それぞれの皆さんの事情も考えず。。

被害がわかるにつれて、
本当に沢山のひとが行方不明になっているなかで、たったひとりを探すために
大勢の友人知人にお願いする身勝手さを途中から恥じました。
でも探すのをやめることはできず。。
ここはコラムを書く場所なのですが、
関係各位に、重ね重ねお詫びとお礼を申し上げます。

063. かえるところ

063
小さい頃に引っ越して住むようになったのは、都内の小さな工場町だった。

町には小学校も中学校もひとつずつしかなかったし、
確か幼稚園や保育園の数も少なかったので、
けっこう大きくなっても、ケンカになると、
保育園時代までさかのぼって言い争ってしまうような土地だった。

そうやって、ケンカしている友達を「いいなあ」と思ってみていたことは
よく覚えている。

また他の土地に引っ越すまで、その町には11年近く住んだのだけれど、
結局なじめていたのかどうか、今でもよくわからない。

仲良しもいたし、大好きな人もいたし、楽しかったはずなのに、
不思議だと思う。

どこに住んでも、家族と一緒にいても、
お天気で、空がすごく青かったりすると、「かえりたいなあ」と思うときがあって、
自分でも変だなあと思っていた。

それから随分たって、アトリエをはじめて、
どうしてそんな事を思っていたのか、最近はわかったような気がしている。
今は、かえりたいなあと思うことは殆どなくなった。
かわりに、それとはすこし違った気持ちで、
やっぱりたまに、空を見たりしている。

062. 年末年始

062
アトリエの年末年始のお休みは、たぶん普通よりも長いとおもう。

でも実際はそうでもない。

年末は、最終開講日のクッキー会が終わった後日に
大人クラスの方が集まって、持ち寄りのなべ会をする。

机も全部片付けて、制作部屋を大きな一間にして田舎の島の宴会みたいな雰囲気で過ごしている。

その翌日に、スタッフが出勤して全館を思いっきり大掃除する。
年によってちがうけれど、大抵2~3日はかけると思う。

宴会の後片付けはもちろん、
道具や材料の置き場はこれでいいか、
もっと使いやすくならないか、並べ方や置き方を変えたり
材料の使用状況のチェックをして、足りないものを注文したり、
建物自体の老朽化のチェックをしたり。。。。

カーテンや座布団カバーなどの布を全部洗って干す、電球を替えるなどなど。。。

アトリエならではの内容から、「サザエさん」みたいなご家庭の年末大掃除的内容まで、
やることはつきない。

数日大掃除メンテナンスをすると、その年のアトリエ仕事は終わる。

お休みの、はじめの1日はすごくほっとする。
いつもは会えない友人に連絡したり、夫婦でゆっくり過ごしたりする。

でも数日が過ぎると少し落ち着かなくなって、
クロッキーをしてみたり、「あの子は今どうすごしているのかな」
と思ったりしてしまう。

ついにはホームページの更新をしたくなったり、
もうちょっとメンテナンスをしたくなったり、
ついついアトリエに行きたくなってしまい、ちょこっと作業をしてしまう。
開講日前も日を決めて出勤してメンテナンスはするので、
休むのは公式?休みの半分くらいだと思う。
あと数日でアトリエがはじまる。

はやく始まらないかなー、と思っている。

061. 佐吉くんリバイバル

061
以前アトリエに通ってきていた、さきちくんから電話がきた。

いま通っている学校でポスターの仕事を頼まれ、
アトリエで制作をやりたいとのこと。

さきちくんはアトリエちびっ子部に、一番はじめに来てくれたひとだ。
初めてお会いした時は中学校1年生だったと思う。

6年間アトリエに通って、
引っ越しするのを機にアトリエ卒業となった。
専門学校に通うので、親元を離れて暮らすためだ。

さきちくんは、古株中の古株なので、以前からアトリエにいらしている方は
ちびっ子から大人の方まで、みんなが彼のことを知っている。

決しておしゃべりではないのだけれど、
そのときに感じたことをぽつぽつと話をしてくれるさきちくんは、
自然に誰とでも仲良くなれる不思議な人だ 。

さきちくんは、調子の出ない時は無理をしないし、
自分で満足いくものができたときにも有頂天にはならない。
すごくゆっくりだけれど、勉強をやめないので、
作品も、時間を重ねて密度をあげていく。

なんというか、色々な事をゆっくり受け止めて、
自然に消化するまで待って、自分のものにしていく。。。といった感じだ。

今回は高校卒業以来、はじめてお会いしたのだが、
ゆったりした自然体の雰囲気はまったく変わらずだった。

「さきちくん、変わってませんねー!」と思わず言ってしまった。

外観はおしゃれなお兄さん、になっていて、顔つきも
大人びていたのだが、空気のようなものが変わっていなかったのだ。

しかしその認識が甘かったことはすぐわかった。
さきちくんは、がっつり大人になっていたのだった。

学校のイベントのためのポスター画像を頼まれている、と
てきぱき話すさきちくんは、
私達が知っていたさきちくんより数段パワーアップしたものだった。

頼んだ人(クライアント)との連絡などを横で聞いたり、
案をどう提示して進めていくか相談を受けたり。。

それはもうきっちりした社会人の動き方に近いものがあった。

極力無駄な動きをしないように、進めるところまでは進めて
進捗状況を報告・連絡、指事を待つ、等々のさきちくんの動きをみていると、
ただただ驚いてしまった。

制作の合間に、同じ古株で、今はアトリエ最長老となったしゅん君と話したり、
大人の方と話すさきち君をみると、
はじめたばかりの頃のアトリエの風景を思い出されてなんだかいい感じだった。

基本的には制作のためにアトリエに来てくれたのだけれど、
合間に進路を考え中の高校生の相談にのってくれたり、
逆にお世話になってしまった。

ちょっと楽しい、さきちくんのプチ復活だった。

060. つづく

060
8月にアトリエに通われている皆さんのグループ展を企画した。
はじめてのグループ展だった。

ふだんアトリエで拝見している作品も、すべての曜日の方が一気に同じ場所に
展示することはないので、楽しかったし勉強にもなった。

ひとくちに「展覧会をやる」と言っても、
決めることややることは思ったよりもずっと沢山あって、
自分の個展とは違うのだなあ。。。と改めて思った。

アトリエ展は終わってまるまる一ヶ月ほど経つのだけれど、
予想していなかったおもしろい事は現在も続いている。

展覧会ではじめて「こんな作品もあるんだ!」と知ったことで、ヒントや刺激になったのだろうか、
「会場にあった、あれをやりたい!」というちびっ子や、
「あの作品って、どうやっているのですか?」という大人の方のお問い合わせ?がぐっと増えたのだ。

とくにちびっ子は展示してあった木工作品が心の琴線に触れてしまったひとが多かったようで、
今ちょっとした木工ブームとなってしまっている。

いつもは基本的に、思い思いの作品を作ることが多いのだが、
「会場にあった、あの椅子がつくりたいの!」というひとばかりで、
よっぽどインパクトがあったのだなあ。。。。と思っている。

お当番などで一緒になった初対面の方同士が、「ああ!あの作品の方なのですね」とお話できたり
したのもよかったなあ、と思ったことの1つだ。

展示する、ということがきっかけになって、本当に力を入れて制作して下さったかたも
沢山いらっしゃって、作品締めきり間近はふらふらの人も続出した。
「自分が意外と頑張れるってことがわかりました」とおっしゃった方がいて、
それもすごくうれしかった。

外に向けて発表する、ということがメインで始まった企画だったのだが、
皆さんのこれからの制作にちょっぴり刺激にもなったみたいだ。
よかったなあ。。。と思う。

はじめてづくしですごく沢山の方にお世話になってしまったけれど、
またできたらなあと思っている。

とんでもなくお世話になってしまった建築家の木平さん、高校生の長田くん、
真っ白になるまで働いて下さったメンバーの宇都宮氏、深谷さん、
仕事のご都合をつけてまで駆け付けて下さった社会人チームの山口さん、
高野さん、植田さん、立石さん、
お当番を快諾下さった大学生山田さん、まゆさん、大人チームのさわこさん、ひらさわさん、
ちびっ子クラスお母さまの箱嶋さん、
何より猛暑の中、アトリエ展に足を運んでくださった沢山のみなさま、

この場をお借りしまして、改めて、本当に、ありがとうございました。。。!

059. どうでしょう

059
水曜どうでしょう、という昔の地方番組が大好きだ。

もう何ヶ月も、朝のニュースと水曜どうでしょうのDVDを見るほかはTVをみていないので、
大好きとかをやや通り越してしまっている気もしている。

休日、一人で片付けものをしているときのBGMがわりや、
夫婦で日曜日に夕ご飯を食べるときなどに楽しんでいる。

食事中はTVを見ない約束なので、
夫婦で食事をしながらDVDを見るのはちょっとしたイベントだ。

水曜どうでしょうは北海道の昔の深夜番組だ。
アトリエの大人クラスの方が貸してくださり、すっかりはまってしまった。

基本的には、出演者2名・スタッフ2名の男性4名が色々なところへ行く、という内容で、
言葉にするとこれがどうして面白いのか、自分でもさっぱりわからない。
旅が多いのだが、旅番組ではないと思う。

旅番組は、訪れた場所はこんなに楽しいですよ、ということを紹介するものだと思う。

でも水曜どうでしょうは、たとえばアラスカに行っても、移動中のキャンピングカーで
つくる料理のことばかり撮影していたりする。
夜釣りに行ってもみんな眠ってしまって、画面が真っ暗闇だったりもする。

こう書いてしまうとやっぱりつまらなそうなのだが、私は大好きだ。

4人のやり取りは、まるで修学旅行での仲間同士のグループ行動みたいで
見ていて楽しくなる。そうして最後は、なぜかちょっとだけきゅんとしてしまう。
どうしてそんなに好きなの、と尋ねられたりするけれど、
うまく説明はできない。

人でもものでも、好きの理由は無理にわからなくってもいいと最近思うようになった。
好きだという気持ちをよく味わって、
どっしりしていればそれでいいのでは。。と思っている。

20代後半くらいまではとにかく、色々なことを全部知りたくて、
本や研究会などめったやたらに読んだり参加したりしていた。
そうすればもっと世界が見渡せるはずだ、と思ったからだ。

でも、言葉ですくい取れないものも含めて全部なんだな、
と思ってから気が変わった。
人によると思うけれど、自分は体で理解するほうが性にあっているなあと今は思っている。

とりあえず、たまごの黄身やゆずなど、
丸くって黄色いものは何でもonちゃん(北海道テレビのマスコット) に見えてきているので、
自分のどうでしょう好きはけっこう重症だ、と思っている。

057. 花火

057
花火には特別な思い入れがあって、
毎年1回はどこかしらの花火大会に出かけている。

基本的に暑いのも人が多いのもあまり好きではないのだが、花火大会なら話は全然別だ。

大抵昼過ぎあたりから会場には来ていて、場所を吟味したり
飲み物を買ったりして夜を待つ。

花火が視界に入り切らないほどの近距離が理想で、そのためだったら
手間も時間も惜しまない。

つきあわされる夫が大変かわいそうとも言えるのだが、最近は慣れたようだ。

今年は立川にある昭和記念公園での花火大会に出かけてきた。

沢山の警備員の方が声を枯らしているのはさすがに大変だなあ。。。。と思った。

人ごみの中で、白いシャツを着て、ちょっと動きが違う男性のグループがいた。
(SP。。。にしてはにこにこしているし、
公務員のひと。。にしては雰囲気が。。警察の人かなあ)と色々思ったが、
大きな紙袋を手に下げて互いに談笑している。

紙袋の中身はテッシュだったらしく、それを通行人に配りだした。
どういう人か気になったので、もらってみたら、自衛隊の勧誘だった。

ティッシュには自衛隊に入りませんか、という主旨のチラシが中にはいっていて、
裏は筆文字でメッセージが書いてあった。

予想外にゆるゆるで、おもしろかった。

058. ひとみしり

058
アトリエに通っている方は、人見知りさんが多い。
もちろん、すぐに新しい環境や人に打ち解けるひともいるけれど、
リラックスしてしゃべるのに1年近くかかった。。。なんて人もそれほどめずらしくはない。

今では誰も信じてくれないのだが、私は大変な人見知りだった。
そのくせ引越しは多いほうだったので、引越しの度にとても苦労したのを覚えている。

だから人見知りでどきどきしている方やちびっ子をみていると、
「ああ、わかる、わかるよ-!」と思ってしまう。

何年もアトリエに通ってきている子はすっかりわがもの顔でくつろいでいるし、
そうでないひともわりあいリラックスしてアトリエにいるのだけれど、
新しい子がくる!となると元々の人見知りさんが顔を出して反応が面白くなってしまう。

どきどきしすぎて「新しい子がくるのやだやだ~!」と言ってみたり、
動きが妙にぎくしゃくしたり、急に無口になったり。。。。。

実際に来ると割合熱心にお世話したりするので面白い。

なので、ご見学に見えられる方がいらっしゃるときには、
大抵1週間前には「○○ちゃんという人がアトリエを見に遊びに来るよ」と
インフォメーションするようにしている。
心の準備をしてもらうためだ。

しかし、最近、「今日これから見学を希望します」「今近くにいますので今から行っていいですか」
といったお問い合わせを頂くことが出てきた。
そんなときはその日はお断りして、
1週間時間をずらしていただくようにお願いするようにしている。
すごく迷って、スタッフの間で話し合った結果だ。

アトリエでは、ばらばらの制作をするため、
あちらでのこぎりを使う人がいればこちらで水彩画を描くひともいる。
低学年でも彫刻刀をつかう人だっている。

とくにちびっ子の場合は道具でケガをしない使い方をレクチャーする場合はつきっきりだ。

前もってお知らせ頂ければ、本人と交渉して
「じゃあ、来週○○ちゃんは彫刻刀はちょっとストップして、
彫刻 刀を使わないこちらをやりましょうか」等々都合をつけられるのだが、
当日となるとそうもいかなくなる。彼等は楽しみにしているからだ。

ご見学を希望されるということは、
アトリエに何らかの興味を持って下さったという事だと思う。
だから、できれば誠実に対応したい。やっつけでなくて、きちんとお話をしたいと思う。

お忙しい方で急にしかお休みを取れない方は、あらかじめ連絡して頂いて、
あとはご都合がついた際にメールやお電話をいただければ
そのままいらしてください、とお願いしている。
ご連絡頂いた時点で皆さんにはお話しておくので、心の準備できており、問題ないからだ。

今日来よう!と思っている方に「来週にしてください」とお願いすれば、
がっかりされるだろうなあ、というのは痛いほどわかっている。ご都合だってあるはずだ。
断れるほど偉くないでしょう!!と思ったり、
申し訳なかったり、色々複雑な気持ちで、かなり心は苦しい。

でも制作が好きな人のための場所ということは、アトリエをはじめた時から全く変わらない。

なので、お断りする方に深くお詫びすると共に、どうぞ、ご理解いただければ。。。。
と思っている。

心苦しいのですが、どうぞご理解をお願い申し上げます。

056. 隅田川ブルー

056
アトリエに通われている皆さんの作品展を8月に予定している。

はじめての作品展なのに大きく出てしまい、表参道のギャラリーをかりてしまった。
あと3ヶ月で作品展なので、出品する方も徐々にテンションが上がってきている。

作品も形になりはじめていて、
油彩あり、日本画あり、彫刻あり、アクセサリーありの
かなり広範囲のジャンルにわたる作品がならびそうだ。

中学2年生の男の子は、立方体のキャンドルを沢山作って枠に入れて展示しようとしている。
ちょっと現代アートっぽい仕上がりになりそうだ。

はじめは淡いパステル調の色ばかりつくっていたのだが、
並べていく段階で渋い色も必要だと判断したらしく、
ここ数週間はにごった濁色系統のキャンドルばかりをつくっている。

キャンドルの色をつくる段階で彼は色に名前をつけるのだが、それがとても面白い。

「これは高いようかん」
「これはういろう」
「これは隅田川ブルー」

見てみると確かにダークな川を想像させる色になっている。
実際の隅田川はもう少しクリーンなのかもしれないけれど、
イメージとしてはなるほどなという感じだ。
においまでしてきそうで、面白かった。

他にも、
「東京湾グリーン」
「恩田川ブラウン」
等々ご当地カラーが満載となった。

かなり面白くできたが、実際見ないと面白さが伝わらないかもしれず、
コラムの話題としては不適切かもしれないといま気がついた。

しまったと思う。

055. ふたり

055
アトリエのちびっ子の時間のはじまりは、いつもにぎやかだ。

やることを決めていてすぐに制作にかかる人、
「なにやろう~」と作品が飾ってある戸棚を覗きこむ人、
道具と材料を置いてあるスペースで、ああでもない、こうでもないと考える人。。。

「こういうのやりたいんだけれど、何使うの?」
「あれはどこ?」「これはどうやるの?」等々の質問も飛び交う。

時には「なにをやりたいかわからない~!」という場合だってもちろんある。

そういう時には「絵の気分?それとも工作の気分?」
「工作なら木がいい?それとも粘土?布?」等々、相談しながら制作を決めていく。

制作を決めていくのにも個人差がある。
いつもどんどん自分で進める人と、なかなか決まらない人といるのだけれど、
どんな人にも、性にあうものというものはあるようだ。
それが見つかると後の制作は糸がほぐれるように、するすると進むようになる。

時間がかかっても、色々ためして「性にあう」ものを見つけるって
大事だなあ。。。と思っている。

今、土曜日に来ている二人の女の子もそのような感じだ。
お姉さんと妹さんで制作をしにきている。

はじめは、20分~30分位は、
「なにやるの~?」と聞いてあれこれ迷う、、、といった感じが常だった。

それからどれくらい経ったのだろうか、二人の制作はすっかり様変わりした。

お姉さんは色について感度が高い。
ペーパーフラワーでも布でも絵画でも、
色で迷うと大人の人が「これどうかなあ」とアドバイスを乞う位だ。

妹さんは木彫レリーフと言えば彼女!と言われるくらい正確でかわいらしいものを作ってくる。

今の二人は、アトリエに着くと自分で材料をそろえ、制作をし、適度に休憩を入れ、
皆と話もし、後片付けもして、時間を濃密に過ごして帰っていく。

最近はお姉さんは布の袋、妹さんは手足が動くくまの人形を作っている。

その様は背筋がしゃきっとしている感じで格好いい。

いつもきっちりでなくったっていいと思っているのだが、
今の2人の変化は、なんだかうれしい。

アトリエで何か教えた、というわけではない。

制作の繰り返しのなかで、
彼女達が自分達で、そうなっていったのがすごいのだよなあ。。。と思っている。

ふたり

054. 写真

054
アトリエの写真が増えてきたので、年末に整理をすることにした。
来年8月に予定している、アトリエのグループ展に展示する写真を選ぶためだ。

同じ箱の中に、なぜか捨てたと思っていた
昔の写真の残りまで出てきてかなりびっくりした。

その時は気がつかないけれど、楽しかったな、好きだったな、
と時間が経ってからわかるものはあるようで、
ちょっとにやにやしながら整理整頓をした。

すごくばたばたしていたイベントの写真を眺めていたら、
突然きゅんとした気持ちになった。
ああ、この人好きだったなあ、とその時の気持ちが蘇ったからだ。

普段は比較的、先のことばかり考えていて、
良くも悪くも以前のことはどんどん忘れていってしまうほうなので、
なんだか新鮮だった。

写真は増えてしまうばかりなのでそれらは捨てたけれど、
元同居人の彼女なら 「またそんなに捨てて!
あとでとっておけば良かったって思うんだよ!」と怒るだろうなあと思った。

最近の写真は沢山あるのだが、
アトリエのはじめの頃は作品も制作風景も
撮影する余裕がなかったので、残っている写真はとても少なかった。

今では高校生や中学生になっている人の小学生時代の写真が数枚見つかった。

お酒を飲むくらいの年齢になったら、見せていやがらせをしようと思っている。

053. 理想のアトリエ

053
アトリエをはじめる時、漠然とだけれどいらして下さる方は
女性が多くなるのかな、と思っていた。

予想通り、アトリエをはじめてから2、3年は女の子の園、みたいな感じで、
一緒にお茶を飲んだり、気になる本を貸しあったりしていた。

アトリエの年数が重なるにつれて、男子が少しづつ増えて
今では大人クラスもちびっ子クラスも、
アトリエの男女比はほぼ半々、といったところに落ち着いてきている。

不思議なもので、曜日や時間帯によって集まる人が似てくるので、
女子ばかりのクラスというのもあるのだけれど、最近は男子が増える傾向にある。

とくに土曜日の午後はうっかりすると男子校のようになってしまう。
部屋の手前で中学生、まん中のテーブルで高校生、奥で大人と小学生、と
年齢はばらばらだが全員男子に変わりはない。

貸しあったりする本も、手作り小物の本などに混じって、
男らしく「花の慶次」とか戦国武将ものが出回ったりしているので、なんだか新鮮だ。

(むつかしいかもしれないけれど、できれば男女比は半々くらいで、
年齢も職業もばらばらだと楽しいな。。)と
思っていたので、理想形に近付いている気がしていて嬉しい。

経歴や年齢はばらばらだけれど、制作が好きだということと、
のんきだということは一緒だ、という風になるといいなあと思っている。

052. ゴーヤのその後

052
ゴーヤの研究をしているというコラムを書いて3ヶ月近くも経ってしまったけれど、
ゴーヤは11月現在、まだしんぼう強く生きている。

最近は涼しいを通り過ぎて、やや寒くなっているくらいなので、
暖かい気候で育つ性質のゴーヤは力を失って、日に日に枯れていくのが分かる。

それでも花が咲いて、実をつけているので、すごい生命力だなあ。。と感心している。

種をとって来年も植えようと思ったので、実をとらずにそのまま放置していたら、
実の色が黄色く変わった。

さらに放置して数日後、ある日ゴーヤは爆発していた。

一応、実を放置するとどういった事になるかは調べていた。
だから驚きは少なかったけれど、うーむやっぱり爆発するんだ!と感心してしまった。

中にある、種のまわりは真っ赤に染まっていて、
半分以上が爆発のためにどこかへいってしまっていた。種を遠くに飛ばすためらしい。

綿毛でふわふわ飛んでいく、といったメルヘンな方法ではなく、
爆発というアグレッシブな方法を選ぶのもゴーヤの外見に合っている気がして面白かった。

真っ赤に染まった種の袋をなめてみたら甘かった。
やっぱり感心した。

面白いので、来年も栽培しようと思う。

051. 自由研究

051
小学生のときは、夏休みの宿題はかなりぎりぎりまでためてしまうほうだった。

夏も終わりになってくると、『休みが終わるなあ』という事よりも、
『宿題終わってない、どうしよう。。。』という事で気分が暗くなっていたものだった。

唯一早く終わっていたのが自由研究だ。
工作や植物の採集、自作の天体観測装置などなど、毎年わくわくしながら取り組んでいた。

大人になって、宿題やテストがなくなったのは嬉しいけれど、
自由研究がなくなってしまったのはちょっとさびしかった。

そのせいもあってか、アトリエでは「大人の自由研究会」と称して、
自由参加でいろいろな課外活動をたまにやっている。

それでも夏になると自由研究が恋しいので、
今年は自主的にアトリエのニガウリの観察をすることにした。

本当は、わざわざ観察などしなくても、6月あたりからずっと
アトリエにくるとまずはゴーヤをながめている。
はじめてゴーヤを植えたので、めずらしくて楽しくて仕方ないのだ。

せっかく夏の自由研究なのだから。。と思い、写真をたくさん撮った。
宿題でないので図鑑などで調べたりはしない。ただ撮影するだけだ。

それでもやっぱりわかったことがあって、面白かった。

私はゴーヤは花が咲いたら全部に実がなると思っていたのだが、雄花と雌花があった。
良く見てみると、花のがくのあたりの形がぜんぜん違った。

ゴーヤ
↑こちらが雌花。ゴーヤのもと?のような部分がもう備わっている

ゴーヤ
↑こちらが雄花。がくがひょろっとしている。

ゴーヤ
だんだんおおきくなってきたゴーヤ

 

どれも10cmくらいのかわいいゴーヤだが、せっかくなので食べてみた。

おいしかったけれど、なんか雑草の味がした。

050. 手の記憶

050
月曜日のクラスに、さわこさんという女性がいらしている。
すらりとした姿の、楚々としたひとで、毎週車で通ってこられている。

さわこさんの制作は、アクリルから始まって、
油絵、レリーフ、塑造。。と実に多岐にわたっている。

画材や素材の種類はまちまちだけれど、
どの作品も、すみずみまでぴんと神経が行き渡った感じがして、
ああ、さわこさんの作品だなあ、と思わせる独特の空気がある。

今さわこさんは、ご自宅の犬をモデルにして、塑造を制作されている。
耳がぴょこんと折れている、おすわりした犬の像だ。

塑造は、すごく簡単に言うと粘土を使った彫刻だ。

デッサンをもとに、木材を組み合わせてしゅろ縄でしばり、
心棒と呼ばれる、粘土を支えるための基礎をつくっていく。
その上から粘土で肉付けしていく手順で進んでいくのだけれど、
実際に拝見していると、これがなかなか大変そうな作業だ。

形づくっていくとき、さわこさんは
「なんだかね、手が覚えているの」と言われる。

目を閉じて、粘土の像に触れていくと、
いつも触れている「本人」との細かな違いがわかるのだそうだ。

おなかのすんなりしたくびれや、かがんだ後ろ足の厚みなど、
いつも触れているさわこさんしか分からないことが沢山あるのだろう、
出来上がってきている像には、すごくリアルな実在感がある。
なんというか、一緒に過ごしている時間や、
その子への思いがそのまま形になったような実在感だ。

目を半分閉じて、
指先で何度も形を確かめていくさわこさんを拝見していると、
ああ、この像の子はさわこさんの家族なのだなあ、と思う。
大事な時間を垣間見させていただいているような、
不思議な気持ちになる。

楽しく会話がはずむ時間もいいけれど、
こういう風に、それぞれの世界に潜って制作している
しんとした時間は、すごくいいよな、と思っている。

049. ひろがる

049
先日、アトリエでコサージュやテキスタイルなど、
乙女な制作をしている方がまとまって、新宿の「クラフトマーケット」という
手作り作品市のようなイベントに参加してきた。

アトリエでは、本当に色々な制作をしている方いらっしゃる。
デッサンや油絵や、日本画などの絵はもちろんだけれど、
粘土で像をつくる彫塑や、木を彫る木彫、アクセサリーや布をつくる人だっている。
スカートを縫う人だっている。
今回はテキスタイルやコサージュなどの乙女班が出張で発表してきた感じだ。

販売すると、ダイレクトに自分のつくったものがどのように受け取られるのかを
見ることができる。とても面白かった。

そのクラフトマーケットで、岡山県の雑貨屋さん《tick.tock-Repos-》
オーナーの平井さんという方とお会いした。
アトリエの皆さんの作品が置いていただけることになって、
6月末からお店での販売が始まっている。

作品は、それがどんなジャンルであっても、
誰かに向けてのことばなのかな、と思っている。
その誰かが、自分かもしれないし、他の誰かかもしれないけれど、
言葉にはできないところまで伝えようとする
「ことば」が作品なのかなあ、という気がしている。

だからこそ、外に発表の機会が広がるのは、かなりいいかも!と思ったりしている。
今回は乙女雑貨チームの発表だけれど、
いずれはアトリエでグループ展なんかもいいよなあ、と妄想している。

作品を置いて頂いている《tick.tock-Repos-》さんのホームページを拝見したら、
お店の風景がスナップとして掲載されていて、
「こんな素敵なお店に作品を商品として置いていただけるなんて!」
と皆でかなり色めきたってしまった。

アドレスをリンクのページに載せましたので、ぜひご覧になってみてください。
コラムというか宣伝になってしまいましたが、
岡山に足をお運びの際はぜひ*

048. 長者大作戦

048
アトリエには、わりあい沢山の植物が植わっている。

桜やすみれをはじめ、梅、桃、レンギョウ、キンモクセイ、紫陽花、バラ、
ユキヤナギ、セージにローズマリー、ツツジ、ミント、タイム、シュカイドウ。。。

みんな、季節季節に顔を出してくれるので楽しい。

ちびっ子がよろこぶので、ワイルドストロベリーやグミの木、ポップベリー、
ジューンベリーなど、その場で実をとって食べる事ができる植物も多い。

それぞれ沢山の収穫はない。
でも、お茶をのむ時にちょこっと出たりすると嬉しい感じだ。

毎年ふきのとうはちびっ子がとってフキみそにして、おにぎりにして食べるし、
梅は梅シロップと梅酒になって、夏の飲み物でたまに出る。
ミントを浮かべると涼しそうでよかった。

ハーブ類は茂るので、刈り取ったときはアトリエのドアの前にざるをおいて、
「ご自由にお持ち帰りください」とお願いしている。

季節を感じることって、
制作にもすこしは影響があるのでは。。と思ったりしている。
先日は、月曜日のクラスの女性が「ゴーヤを食べたい」と、
アトリエに苗を二本持ってきて下さった。

なんでも、ゴーヤは上手に育てればものすごく沢山収穫できるとのこと。
みんなでゴーヤ長者になろう!!と意気込んで植えた。
いま水をあげているところだ。

ベリー類は今年はじめて、クワの園芸品種の「ポップベリー」という植物の実が
収穫ができた。コラムの画像がそうなのだが、
黒いくらい赤くて、いかにも甘そうな見た目だ。
わくわくしながら収穫して、立体担当の宇都宮くんと味見をした。
鼻先にもっていくと、期待のもてる甘いにおいがする。

「。。。。。。。。味、ないっすね」
「。。。。。。。。。。」

肥料が足りないのか、味のない実が取れてしまった。
すっぱいとかではなく、味がまったくない。

今年はベリーとゴーヤの長者になれると思っていたが、
やはり長者への道は厳しい。

ゴーヤをがんばろうと思う。

047. さくら

047
桜が好きだ。

桜の入ったお菓子やまぜごはんを食べるのも好きだし、
咲く前の桜も、満開の時も、散り際だって好きだ。

どうしてこんなに好きなのかはわからない。
小さい頃はそんなに好きだったかなあ、と思う。

住んでいるところの近くに小さな公園には、たくさん桜の樹が植わっている。
今、まさに満開に向けてがんばっている感じだ。

朝にいつもその前を通るのだけれど、
自分も含めて、朝の道を行く人はみんな忙しそうで、
前を向いてしゃかしゃかと歩いている。
どの人も知り合いではないけれど、
毎日すれ違うので、顔はなんとなく覚えている。

今日も、桜を見ながら早足で歩いていたら、
あまり見たことのない初老のサラリーマン風の男性が
ゆっくりゆっくり、桜を見ながら歩いてきた。

時々立ち止まって桜を見上げるので、周囲の通行人はどんどんその男性を追いこしていく。

懐かしい人と会うような表情で、ちょっと首をかしげて、
眩しそうに桜を見ていた。

その表情と、桜の風景がとても素敵で、思わず足がとまってしまった。
なんだか映画を見ているような気がしたからだ。

あの男性は、どんなことを思って桜をみていたのだろう。

おなかすいたなー、とかではないことだけは、まちがいなしだ。

046. 高野さん

046
アトリエに、高野さんという女性がいらしている。

高野さんは忙しいので、毎週はいらっしゃらない。
その分だろうか、いらした際は本当に集中して制作していく。

楽しんでいらしているのがこちらにも伝わるので、
私まで楽しくなってしまう感じだ。

アトリエには、本当にいろいろな制作をする方がいるけれど、
高野さんの制作は魔法っぽくておもしろいなあ、といつも思う。

高野さんにかかると、普段は見過ごしてしまうようなものや、
古くて誰からも振り向かれなくなってしまったものが、
一気にいきいきと、魅力的なものに変身するからだ。

古いボタンやお菓子の箱の切れ端を樹脂で固めてアクセサリーにしてみたり、
和服をといてスカートにしてみたり。。。。

どの作品も「リメイクした」といった感じではなくって、
本当に新しく「あ、いいな、うらやましいな」というものになる。

そういう作品を拝見していると、
高野さんから見た世界は、どんなものも無駄でなくって、
きらきらしているのだろうな、と思えてならない。

行動も面白くて、
「今日は自転車できました(ご自宅は結構遠い)」とか、
「これからアトリエ後に、青春18きっぷで那須塩原に行くのです」とか、
「ダイビング講習帰りでもぐってきました」という日もある。

5月は、お神輿を担いでお店や駅に突撃するらしい。
突撃は、大きな声で、なおかつ上品にするのが町内のモットーとのこと。

うーん、やっぱりおもしろい人だ、と思う。

045. コードネームはコマツ

045
昔からの友人がいる。
はじめに働いていた大学で知り合って、よく遊んだ。
遊んでいたといっても、深夜のテレビをずっと見ていたり、
バトミントンをしたりといった感じだ。

仲間うちでよく話題にのぼったのは、
大学の名物先生についてだった。
お笑いのネタのように、あまりにくり返して話題にしすぎたため、
しまいには先生の名前がコードネームのようになってしまった。
相手も自分もコマツと呼ぶし、なんでもコマツでオチをつけてしまう。

その後、みんなそれぞれ千葉や京都や岩手などにちらばって、
何年も冠婚葬祭以外で全員そろったためしはない。
しかし、年賀状の差し出し名はいまだにコマツでくるし、
どうかすると電話も、「もしもし、コマツだけど。」となる。

それとは対照的に、高校生のときの集まりは
頼りになるリーダーがいるので毎年きっちり集まる。
参加しなくても、時期になるとやってくる
お知らせメールはとても心強い。

そろったためしのない友人のほうは、リーダー的存在はいないので、
誰もいいださなければずっとそのままだ。
個人的に、比較的近い千葉の人とたまに会ったりするくらいだろうか。

今回のリニューアルは、その友人に本当にお世話になってしまった。
コードネーム「コマツ」は健在で、
メールのやり取りもコマツだった。
データを作ってもらったりしたときも、
「コマツと学ぶ絵画教室」とマジックで書かれて送られてきた。

打ち合わせ当初よりも大幅増の、
大変な仕事量をすごいスピードでこなしてくださった
コマツ先生には、感謝の言葉もない。

コマツ先生、本当に、ありがとうございました!

定期的に集まったり、電話をしたり、メールや手紙を出したり、
遠い所に住んでいるともだちとやりとりする方法は色々あるけれど、
コードネームはけっこういいと思う。

いま、連絡が途絶えていたって、コードネームがあるとへっちゃらで、
久々の連絡も「コマツ」ではじまるにちがいないからだ。

044. ジンジャーブレッドラテ

044
冬がくると、スターバックスのメニューに
ジンジャーブレットラテという季節の飲み物が加えられる。
スパイスが入った甘いコーヒーで、私は大好きだ。

クリームの上にかかっているナツメグの香りをかぐと、不思議な気分になる。
ああ、クリスマスが近いなぁと思う。
アトリエをはじめたばかりの頃、
近所のスターバックスに行って、よくその飲み物を飲んでいた。
アトリエははじめたけれど、まだ全然形にならなくて、人もいなかった。
貯金で食べながら暮らしていたときだった。

よくぼんやりと、目の前の道を歩く人を窓越しにながめたり、
店内のお客をながめたりしていた。

店内はクリスマスの音楽や飾り付けで華やいでいて、
どのお客さんも、幸せそうに見えた。

先もわからなかったし、
さびしかったけれど、不思議と不幸だなとは感じていなかった。
なんだかすごく自由だなーとぼんやり思っていた。

勤めていたときとは少し違う、さっぱりした気分で、
でもどこかでどきどきしながら毎日を過ごしていた気がする。

何年かたって、人も仲間も増えて今のようになったけれど、
はじめのころの、こういうところにしたいっていう気分はほとんど変わっていない。

ずっと変わらないといいな、と思っている。

043. ことば

043
アトリエでは、どなたかの作品が完成するとたいてい、わらわらと周囲の人が集まってくる。
そうして、その場で「ここが好きだなあ」「どうやってつくったの?」等々、
質疑応答会というか、講評会のようなものがはじまることが多い。
お互いに発見したことを教えあったり、本の情報交換になったりもして、
拝見していると楽しくなる。

ちびっ子がかならずやる、制作時間前の人物クロッキーも、
講評会とまではいかないけれど、お互いに見せっこしあうのが常だ。

人物のクロッキーは、短い時間に集中して、
モデルを鉛筆で描いてもらうというものだ。
繰り返して回数を重ねていくので、慣れるにつれて
どの人も線や対象のとらえ方が刻々と変化していくのがおもしろい。

毎回、「おおーすごいね!」「ここよく見たねえ」
「やばいよこれはー!」等々言いながらクロッキーを見ている。

作品の変化はまさにドラマで、結構興奮してしまう。
おもわず、思った通りの言葉づかいで感想を述べてしまい、
やばいとか熱いとか口走ることになる。

ちびっ子クラスに、とても品のある男の子がいる。
しっかりさんなので、例外的に幼稚園の時から通われている人だ。

彼は、毎回わたしたちの感想を聞いているうち、
日本語を間違って覚えてしまったらしい。

ある日、自分でも納得する仕上がりだったのだろう、
描きあがった自分のクロッキーをにっこり眺めたあと、
とことこと、わたしたちに持って来て見せにきてくれた。

「せんせい、これやばいですかー」

。。。!

自分たちのやばすぎる日本語をどう訂正したものか、今考え中だ。

042. ドロケイ

042
ドロケイ、という遊びをご存じだろうか。

「どろぼうと警察」が正式名称らしい。

陣地とり+缶蹴りのような鬼ごっこの類いで、
名前もルールも、その土地土地でちょっとずつ違いがあるみたいだ。

先日、アトリエにいらしている方のお友達が主宰となってくださり、
アトリエの方、そのお友達、そのご家族などなどが
参加して、横浜の青葉区にある、こどもの国でドロケイをしてきた。

アトリエにいらしている大人の方々は、時々このようにどこかへでかけることがある。

誰が幹事であるとか、誰がメンバーであるとかはなくて、
その時の話の流れでやる事や行き先が決まり、
行きたい人がいく、といったゆるい感じの集まりだ。

「大人の自由研究会」というのだが、
去年は滝に打たれそこなったり、築地でお鮨をたべたりした。

今回は真夏の原っぱで、いい大人がドロケイをするという企画だ。
酷暑がつづくさなか、集まるのかなあと思ったのだが、
日も高い午後2時、こどもの国入り口には、きっちり20名ほどが集まった。

自分で来ておいてなんだが、酔狂な大人ってけっこういるのだな、と嬉しくなった。

特別参加で大人クラスに制作しにきている
小学生の女の子2名+お父さまもいらしてくださって、じゃんけんで
チームを二つに分け、攻守交代制で合計4ゲームほどやった。
片方はピンクのタオルが目印、片方は黄色のゼッケンが目印だ。

やってみると原っぱで全力疾走なんてひさしぶりで、
汗みずくになってゲームをした。
やっぱり現役小学生は強くて、最後までものすごく元気で、
原っぱを軽やかに走っていた。

制作アトリエなので、いつもは静かな動きしか見れないため、
いらしている皆さんの思わぬ面がかい間みれるのも楽しかった。

小学生を相手に先生をしていらっしゃる女性お二人は、やっぱり体が軽い感じで、
フットワークがよかった。お子さんのお父さまのお一人がものすごく強くて、
ロックオンされると誰も逃げられなかったり、優雅な身のこなしの女性が
実は敵を見つけるのが異様に上手だったり。。。
名誉の負傷?をものともせず、の男性もいらっしゃった。

最後には、どろぼうチームの最後の1人となってしまったアトリエの男性が、
何人もの警察をごぼう抜きにかわして缶に迫るシーンがあったりして、
おもわず感動してしまった。

ゲーム後は、島原そうめん木箱入りが勝利チームに配られた。

そうめん片手にソフトクリームを食べて帰る方、
近所の風呂屋にひとっぷろ浴びに出かける方など、ばらばらに帰って行った。

いろいろと連絡をして下さった立石さん、
何からなにまでご準備下さった日野さん、本当に、ありがとうございました!

041. 制作

041
学校で制作をしていると、
「もっと才能があったらなあ」とか、
「オレ(わたし)って絵の才能がないから。。」などという人がいる。

才能ってなに?とたずねられると、困ってしまう。
でも、ひりひりするような制作をする人がいるのは確かだなあと
思うことはある。

以前通っていた学校に、そういった人がいた。
当時は中学一年生だったのだけれど、
他のひとたちの作品づくりとはまったく違っていて、
課題を通り越して、ずっと遠くをみつめているような制作をする人だった。

そのひとが、ある時に、小学校高学年のときにつくった、
夏休みの作品のファイルを見せてくれた。
ウオーホルに刺激を受けたであろうもの、竜安寺を自分で解釈し直したもの、
地図を使ったオブジェ、などなど。。
とても知的で、現代美術に理解の深い作品だったように思う。
感動すると同時に、切なくなってしまった。

ああ、どんなにかこの人はさびしいだろう、と思ったからだ。

おもしろいな、素敵だな、と思ったものを友達や周囲の人と
一緒に楽しみたくなるのは人情だと思う。
でも、あまりに感じるものが人とかけ離れていれば、
「おもしろいねえ」「いいねえ」って言い合えることは少なくなる気がする。
そういうひとは、1人でいることの寂しさも豊かさも味わいつくす
星の下に生まれたのかもな、と思ったりする。

今、アトリエに絵画を制作しに来ている人にもそういう人がいる。
年頃も似ているので、ふと、そのひとを思い出した。

アトリエでは色々なひとがいるので、
楽しんでくれるといいなあ、と思っている。

040. ピタコラスイッチ

040
なかよしの二人の男の子がアトリエに来ている。

中学生になってからは、バスケットとサッカーと、と別々に運動部に入って忙しくなったので、
今は不定期にアトリエに通ってきている。

ふたりとも、作品も発言も、とてもおもしろい。

アトリエにはひとりでくるときもあれば、ふたりで来るときもある。
ふたり揃ったときの会話は絶妙だ。

「わかった、いまオレが欲しいのは、お前のぬくもりだったんだ」
「美ってなんだろうとかって、文化っぽいけど、実はもっとはげしいよね」
「今日おれは美に一歩ちかづいた!」

等々、「面白い」から「深い」まで、じつに幅広い会話が展開されている。

そんな二人も、学校生活は充実していて多忙なようで、
小学生時代には聞かれなかった、試験の話題もちらほら入ってくる。
そういう彼らをみていると、勉強ってとらえ方がむつかしいなあと思ったりする。

その日は二人で、怖い話や美術話などをしつつ、制作が続いていた。
アトリエが終わる時間を過ぎても楽しそうに制作しているので、
ちょっといたずら心を起こして、スタッフも大人の生徒さんも、
全員外に出かけて、二人にアトリエをクローズしてもらうことにした。

アトリエのクローズなので、電気も全て消さなければならない。
夜で、周囲は静かなので、かなりの肝試しだ。

鍵の処理を説明したあと、二人を残して外に出た。
お迎えにいらっしゃるおうちの方には、電話で連絡して、いきさつを説明した。
「脅してくださいね」とお話すると、笑って快諾してくださった。

しばらくして、クローズのチェックのためにアトリエに戻ってみると、
鍵が新聞受けからアトリエ内の奥に入るように、
定規や椅子やらを組み合わせて、からくりっぽい道がつくられていた。

鍵の行き先には、ガラスコップがあって、「ピタコラスイッチ」と書いた紙が貼ってあった。

残念ながら鍵はコップからは外れていた。
肝試しはできたかもしれないが、スイッチは、はいらなかったみたいだ。

(中学生で、しかもしっかりした二人だからできたイベント(?)です。ふだんはスタッフが掃除・火の元・施錠を確認してクローズになります。

039. 家庭の会話

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結婚してもうすぐ3年が経つ。

平日は帰ったら眠るのみ、といったペースの生活なので、
ゆっくり会話をするのは日曜日のみだ。

会話をすると、2人とも興味関心が重なっていないため、
別世界をのぞく思いがしておもしろい。

先日は車の話になった。
私は車はわからないので、おもに聞き役となった。

夫もそれほど詳しくはないとのこと。
でも好みはあるようで、その話となった。

20分程話を聞いただろうか。

その流れで、私が知り合いの学校の先生が車を買いたいらしいが、
何がよいか尋ねられても答えられなかったという話をした。

「じゃあレガシイを薦めたらどうかな。」と夫。

「ふーん・・・?レガシイってどんな車?」

「・・・・・・。」

あまりびっくりした顔をしているので、
何故そんなに驚くのだとたずねると、夫はしばらく黙った後、

「・・・・・・ぼくの車がレガシイだ。」

と言った。

「もしかすると君も乗った事があるかもしれないですよ」

とぽつりと言ったあと、もくもくと夕食を食べる夫を見て、
レガシイだけは覚えようと思った。

セダンが車の種類でレガシイが名前らしい。

本当は未だにわからないが、わかったふりをしている。

038. お茶

038
先日、アトリエでお出しするお茶を買いに出かけて、
新しいお店を見つけた。

お茶が好きなので、色々なところでよく買うのだが、
そのハーブティーのお店ははじめて通りかかった。

チコリやネトル、ジュニパーベリーなど、
色々なハーブが瓶につめられていて棚にならんでいる。

たくさんあるなあ、と思いながら棚の裏側にまわると、
「太陽の贈り物」というネーミングのお茶があった。

隣には「人魚姫の願い」があった。

「ときめきの決断」というお茶もあった。
「初恋の涙」というお茶もあった。
「妖精の宝石箱」というお茶もあった。

だんだん目がくぎづけになってきて、目でガラス瓶を追って行った。

「嫌いな上司に叱られた時に」というお茶があって、その隣には
「ワガママな部下にまいってしまった時に」というお茶があった。
カモミールやラベンダーなどが入っていると書いてある。

「君のヒトミに乾杯したい時に」というお茶の近くには、
「グーチョキパーがつらい時に」というお茶がある。

すごいことになってきたと思った。

「もうコリゴリだと思う時に」というお茶から少し離れると、
「モンローのようにキュッ!となりたい時に」があった。
「クレオパトラになりたい時に」もある。「上を向いて歩きたい時に」の前で考え込んでいたら、
売り場のお姉さんが
「本日のおすすめです」と小さな紙コップに入った
お茶を手わたしてくれた。

「ぷるるんレモン茶ん」というお茶だった。

おいしかった。

ラベンダーを買って帰った。

037. 春一番

037
アトリエの桜のつぼみがふくらみはじめてきた。
雪やなぎはもう満開で、チューリップもつぼみが見えてきている。
クローバーもレンゲも、つぼみが毎日おおきくなっている。

この季節は、街全体がうきうきしているような気がして楽しい。

ひとり暮らしのときは、
咲き始める直前の夜に、あたたかいココアを買って、
近所の公園のベンチで1人お花見をするのが恒例だった。

満開の桜は友だちと楽しみ、
開花直前はひとりで、と何度も同じ桜をみていた。

夜の桜は、全体がほんのり紅色に染まっているように見える。
枝についた沢山のつぼみの色のためだ。

一年に一度の晴れ姿のために、
頬を染めて準備しているイメージが浮かんでしまう。
妄想なのだが、舞台の幕が上がる前の、妖しい感じにすごくきれいな人と
いっしょにお茶を飲んでいるような気分になる。

桜は咲き始めたなと思うともう満開になって、
あっという間に散ってしまう。
散る頃にはもう、小さな新芽が出ているので、
桜はきっともう、次の準備で心がいっぱいで、
咲かしてしまった花のことなんかには興味がないのでは、と思ってしまう。

ひとり暮らしの時みていた公園の桜は、いつのまにかなくなってしまった。
かわりに色々な場所で桜をみるようになった。

毎年桜をみているけれど、ひとりだったり、大勢とだったり、
しょんぼり見上げたり、わくわくした気分だったりとその年によって
思いはまちまちだ。

今年はどんな気持ちで誰と桜をみるのだろうか。
すごく楽しみだ。

036. お礼をいいたい

036
入院をしていた。

アトリエに通われている皆さんや、メンバーの先生方に色々とご迷惑をおかけして、
数週間お休みを頂き、手術をしてきた。

盲腸ではないけれど、盲腸なみに、わりあいよくある婦人科系の手術だった。
おかげさまで成功して、今はすっかり身軽だ。

お休みの間と、かえってきてからはしばらく、ありがたいなあと思うことばかりだった。

アトリエに通われている皆さんには、ご迷惑をおかけしたにもかかわらず、
さまざまな場面でお心遣いいただいてしまった。

講師の宇都宮先生と深谷先生は、
メンバーが一人お休みのアトリエを切り盛りして、通常通り開講してくれた。

木炭デッサンのヘルプに入って下さった宇都宮くん友人の遠藤先生や、
ちびっ子達からのご指名(!)で、急遽ちびっ子クラスに参加して下さった、
大人クラスの後藤さんにも大変にお世話になってしまった。

お問い合わせ下さった方にも、「退院してからで大丈夫ですよ」と
お心遣いがいっぱいのメールを下さる方がいらっしゃったり。。。

アトリエ外で制作している学校でも、ワークショップをしている児童館でも、うちの中でも、
色々な場面でありがたいなぁと思ってばかりだった。

本当に、ありがとうございました。

ほんとうは、ここはコラムを書く場所なのだけれど、
この場をおかりして、あらためて、お礼をもうしあげます。

035. ドラマ

035
高校2年生のひとがデッサンをしに来ている。
アトリエに通いはじめて、1年半くらいだろうか。
はじめはなかなかうまくいかなかった。
そもそも長い間じっと描く、ということが苦手だったくらいだ。

今では、まわりのひとを巻き込んでしまうほどの集中力と熱意で制作をしている。
最近はデッサンだけではなく、人物のクロッキーや、粘土で
ひとの頭部をつくったりもしているのだが、とにかくたのしそうだ。

とくに粘土はすごい。
粘土の制作となると「粘土やべー!止まんねー♪」などと連呼しながら制作をしている。
そのような様子をみていると、こちらまで嬉しくなってしまう。

本当に、楽しんでいるのが分かるからだ。

そのわりには、毎回首をかしげながら帰っていくのだけれど、
それがまた次の制作の「やってやるぜ!」につながっているのだからすごい。

粘り勝ちだよなあ。。と自分を振り返ってみるにつけ、頭がさがるばかりだ。

*************
4~5才のちびっ子もメイクドラマだ。
みんなで机の上で飛びはねていた日々が当たり前になっていたのが、
ある日突然、クロッキーの密度があがったりする。

そんなドラマに立ち会えると、もうほんとうにアトリエ冥利につきます。。。
と思ってしまう。

大人のかたも、1年以上あたためた構想がやっと実を結んで、
テキスタイルの作品が出来たり、
着々と個展に向けた作品を仕上げている方がいたりと、
日々ドラマには事欠かない。

日々の制作の時間を一緒にすごせることは、
かなりぜいたくだなあと思うのはこんなときだ。
ドラマは淡々と続ける日々の制作のなかでふいに起こる。
だから、「ドラマの日」を待てるかどうかもポイントだなと思ったりする。

幸い、アトリエには待つことの大事さを知っている方が多い。
ちびっこのお家の方などもそうだ。
あせって良かったためしはないのに、
私も時には(もっとやったらいいのになあ)などと思ってしまう。
そういう時は、お家のかたのゆったりさに救われることも多い。

ありがたいなあ。

最近よくそう思う。

034. 一杯のお茶

034
大学に勤めていたころ、大好きな工芸の先生がいて、
何かあるごとに研究室にお邪魔していた。

仕事上で困りきったときや、嬉しいことがあったとき、
プライベート上で悩んでしまっているとき、用事がとくにないときも
柿の種をおみやげに、お邪魔していた。

先生は、オイルサーディンと柿の種とミックスナッツなら受け取るが、
他のもの、たとえばケーキなど持って行っても受け取ってくれない。
だから、いつも「もらってくれるおやつ(?)」を
ローテーションで持って行っていた。

困りきって、すっかりしょんぼりして伺う時でも、
うれしいことを報告する時でも、人生相談?のために伺う時でも、
先生の対応はいつでも同じだった。

まずは仕事の手を止めて、鉄瓶にお湯をわかして、緑茶を一杯いれてくださる。
忙しいときでも、ほとんどの時は一時中断して、お茶の時間になる。

あとは、えんえんと先生が、その時興味をもっている事を聞くのだ。
「さとうさん、この道具はしっていますか」
「・・・わかりません」
「デザイン出身は手の仕事を知らな過ぎますね。。これは、装飾用の、のみですよ。
江戸時代からあります。これを使うと木目が美しく出ます」

このような調子で、アジアの農具のルーツだの、名字のルーツだのを聞くはめになる。

相談じみた会話は実はほとんどなかったけれど、
お茶を頂いて、お話を伺っているうちに、
どこかほっとして、がんばろうと思ったり、解決の糸口を思いついたりしたものだ。

大きな湯飲みにつがれた緑茶は、いつでもびっくりするほどおいしかった。

お世辞ではなく、ほんとうにおいしかった。

いつでも、絶妙の温度で、濃さもちょうど良くて、
ただの竹の茶こしで、ふつうのお茶の葉で、むぞうさに出てくるのに、
どうしてこんなにおいしいのだろうと不思議に思ったものだった。
飲むと同時に、心の底からじんわり嬉しくなったものだ。

それから10年近く経っただろうか。
今は、私がお茶を煎れる側になった。

アトリエでは、いらした方に、「まずは一杯」と
お茶をさしあげるようにしているからだ。

人数が多くなってしまった曜日や時間でも、
この「一杯のお茶」だけは欠かしたくないと思っている。

そしていつかは、先生のようなおいしいお茶が、いつも出せるアトリエになりたい・・・
と思いつつ、毎週、やかんから直接お茶をどぼどぼ注いでいる

033. 煉獄玉

033
先日先日アトリエで、とんぼ玉をつくった。

とんぼ玉は、ガラス細工の一種だ。

ガラスの棒をガスバーナーで溶かしてビーズ状にし、表面に模様などを作る。
言葉にするとこんなに簡単なのだが、700度以上の高温のバーナーを
使うため、わりあいに度胸が必要だ。

猛暑のなか、小学生の女の子と高校生の男の子、社会人の男性が制作をした。

アトリエでは誰もとんぼ玉を作った事がなかったので、
まずはメンバーが練習することから始めた。

アトリエでは可能な限り、
いらしている皆さんのやりたい制作を応援したいので、
誰もわからない分野は、まず勉強からはじめるからだ。

調べてみると本やホームページなど、意外にとんぼ玉に関する資料は多くて、
どのページを見ても楽しそうな雰囲気が伝わってくる。

あるホームページなどでは販売もしていて、けっこうきちんとした値段がついている。
メンバーの宇都宮くんとそれを見ながら
「こういうのが○○円もするのかー。ふーん」などと話していた。

道具をそろえ、さあ、やるぞ!
と実行してみたところ、大変だった。値段にも深く納得がいった。

まず、ガスバーナーの音が大迫力で、かなりおびえを誘う。

制作自体も、温度が高すぎても低すぎてもだめで、なかなか玉にならない。
冷ましかたがよくないとひびが入ったりぱきんと割れたりする。

慣れてくると手際よくできるし楽しい。
火を使うせいもあって、ものすごく集中できて雑念がふっとんでいく。
そして、完成品はまごうことなきガラス製品だ。

これは、はまる人ははまるだろうなあ、と思った。

アトリエではじめて小学生で制作をした女の子は、危険も伴うため、
あらかじめお家の方とよく相談した上での参加だった。
彼女はしっかりがんばって、明るいグリーンのとんぼ玉を作り上げた。

練習のかいがあって、
本番?は安全にうまくいったが、練習は実にスリリングだった。
メンバーの宇都宮くんのつぶやきが忘れられない。

「これ・・・とんぼ玉なんてかわいい名前じゃないっすよ絶対・・・
煉獄玉(れんごくだま)っすよ・・・」

私もそう思う。

032. こがねむし

032
先日地下鉄にのって都内に出かけた。
お昼頃だったのだが、サラリーマンの人からマダム風の人、大学生風の人まで色々な人がいた。
表参道駅で、2人連れのサラリーマン風の人が乗ってきた。
30代半ばくらいだろうか、2人とも気合いの入ったおしゃれさんだ。
とくに、1人の人は日焼けをしていて、真っ白なシャツの襟を立てている。
整髪料のきいたクルーカットで胸をぐっと張り、
美女とヨットにのっていそうな感じだ。

目立つので眺めていたら、その人が連れの人と話をするために体の向きを変えたところ、
背中に大きなこがね虫がついていた。
真っ白なおしゃれシャツの背中でもぞもぞ動くみどりの黄金虫は大変目立った。

けっこう目立つ人だし、おこられるかなあとおもったが、
迷ったあげく一応お教えする事にした。

「あのー・・・すみません。

こがね虫がついてます。」

こわごわいうと、
「えっ、ほんとお?!」
と意外と明るい反応が返ってきた。

姿に似合わずかん高い声だった。

勇気をだしてよかったな、と思った。

031. 大人の時間

031
アトリエでの皆さんのやりとりをみていると、興味深いなあといつも思う。

大人のクラスの方は、忙しい方が多いのですれ違いになることも多い。
微妙に重なったりすれ違ったりしている。
皆さん制作が好きなのだろう、気にもせず、アトリエに来て一息いれると
すっと各々の制作へはいっていく。

制作中ずっとしーんとして何も話さないかというと、そう言ったわけでもない。
お互いの作品をのぞきあったり、その週にあったことを話したりしている。

時には制作後のお茶を飲みながら大座談会となったりする時もある。

かといって、べたべたとしている訳でもないし、お茶のみ話がメインのような雰囲気はまったくない。

絶妙な距離感だなあといつも思う。

「大人の自由研究会」と銘打って、大人のクラスの方の有志が集って出かけることもある。
文字どおり「有志」で、参加も不参加もお気に召すまま、といった感じだ。

一度も参加しないからといってなんということもない。
その時参加したい人が楽しんでいる、といった空気だ。

平日は純粋に大人だけの時間が持てるので、じっくり制作し、談笑している。
土曜日は色々な年齢のひとが入り交じっているので、日によってはにぎやかな日もある。

何かの都合でお休みをした方は、次回に長時間制作ができるようにしてあるからだ。
ちびっこが長時間制作している時は、大人のクラスに食い込んだりもする。

先日、この日に運悪く見学があたってしまった方が居て、
さすがにびっくりされていた。悪い事をしてしまったなあと思う。

そんなちびっこが多い日は、大人の方は大変なのではないかなあと思ったりするのだが、さにあらずだ。

奥に静かなスペースがあるので、そこでのんびり制作をされている方もいれば、
話しかけても気がつかないほど集中している方もいる。
ご自分の制作もしつつ、小学生の子と談笑している方もいる。

それぞれ「大人」だからできる技なのだろうか、それとも個々のお人柄なのだろうか。
皆さん自分のペースは崩さずにそれぞれに楽しんでおられる。

こういう雰囲気を見ているにつけ、
なんだか嬉しくなって、このまま、こういった雰囲気でいければいいな、と思う。

030. 縁側談議

030
アトリエを始めようとして一番最後にしたことが、物件探しだった。
物件は探しはじめてから3日で決まった。

縁側と庭に一目惚れしてしまい、即決だったのだ。
自分だけでは一軒家を用意する力はなかったので、
友人にお願いをして、3人でシェアをすることで話は落ち着いた。

住んでみると夏は蚊が多いので、縁側を利用する事はできなかった。
冬も寒いのでNGだ。
秋と今頃、5月前後がいちばん、縁側を満喫できる状態になることがわかった。

先日もアトリエの3時過ぎのクラスの皆で
庭をみながらお茶を飲んだ。
庭を見ながら話をすると、打ち解けた話もするっとできる気がするから不思議だ。

中学校1年生の男の子二人と、社会人の男性との会話は、年齢や役目を超えて
じかに話しているので、聞いていてとても楽しい。

先日は「なぜ戦争が起こるのか」で大討論となっていたし、
UFOと江戸川乱歩の世界の話でも大盛り上がりだった。

しかし中学生の二人は、かなりの確率で天災の話で盛り上がるのは何故なのだろう。
謎だ。

土曜午後チーム縁側にて
土曜午後チーム縁側にて

029. it’s. magic

029
以前授業をしていた中学校の生徒さんが、今は高校一年生になっている。

理系に進む人、オーケストラに打ち込むひと、制作街道まっしぐらの人・・・皆それぞれに
すすんでいるのだなあと折々会う度に思う。

今回は、そんなご縁が発展して、玉川学園にあるころころ児童館という所で、
彼等のうちの1人がマジックショーをすることになった。

中学生の時から、ちょっとした手品をやってみせてくれていたのは知っていたが、
実際に数年たった今、どんなマジックを見せてくれるのかはわからなかった。

現在はクロスカントリークラブの部長と奇術部(!)部長を兼任して
忙しい毎日を送っているとのこと。

どういった経緯でそのような話になったのかはいまひとつ覚えていないのだが、
面白そうだったので児童館と本人に話をしてみたところ、
とんとん拍子で話が決まってしまった。

学校の授業を受け終わった後、そのまま児童館に直行してくれ、当人率いる
つめえりの中学生~高校生の軍団がころころ児童館へ赴くことになった。

アトリエを開講している日だったので、ちょっとだけ抜けて見学に行ったが、
BGMまでついている本格的なものだった。

帰りにアトリエにも寄ってもらい、
夕方アトリエに居た大人チームの方や小学生チームのひと達に
マジックを披露してもらった。
児童館で肩ならし(?)を済ませてきたせいか、素晴らしい出来だった。
大人の方も小学生のひとも感心しきりだった。私もどうして紙に描いたものが
動いたりするのか、不思議でしょうがない。

卒業後もこうやって繋がっていけるのは贅沢なことだなあといつも思う。
アトリエも、このように、輪が広がると面白い事がたくさんできるかもしれないな、と
思ったりして、妄想は広がるばかりだ。

*****************
この学校で以前授業をしていたひとは、
今では最年長で大学一年生になるらしい。びっくりだ。

たしかに彼女は中学生だったはずだが、
いつの間にこんなになったのだろうと年賀状をみると首をかしげてしまう。

まったく時間に追いつけていない。

リアルにマジックだ、といつも思う。

マジックショー@児童館
マジックショー@児童館

028. 伝染する

028
アトリエに、デッサンをしにきている女性がいる。
デッサンの基礎を押さえたいという目標設定だ。期間は大学入学まで。
時間がないのでちょっと詰め込み気味だけれど、がんばってもらっている。

彼女は一日に5~7時間近く一つのものに取り組んでいる。
どこかでひっかかっても、自分で納得するところまでは粘りきっている。

大人のクラスの時間にやってきて、描ききれず夕方の低学年のちびっ子が
中心のクラスまでずれ込むこともしばしばなのだが、それでもペースは崩れない。

本当にすごい集中力だなあと思う。

その日の彼女は質感の違うボールを描いていたのだが、
小学生のクラスの女の子がそんな彼女を見て、「わたしもやりたい」と言い出した。

面白いので、本人に断って、早速となりで描いてもらうことにした。

彼女の本気と集中ぶりがうつったのだろうか、小学生の女の子も、
いつもとは違う表情でもくもくと鉛筆でボールを描いていく。

まわりの子たちも、まったく別の事をしているのだけれど、どこか感じる所はあるのだろうか、
邪魔にならないようになんとなく移動して、場所を空けたりしている。

本気というものは伝染するのだなあ、と思ってなんだか嬉しくなった。

描きあがった2枚のデッサンは、
それぞれのペースでそれぞれに進化していた。
何よりも描き上げた二人の表情がとても素敵だった。

疲れてるけれど、やりきった!という感じ。
やりきったのだけれど、
まだここが満足いかない・・という感じ。

それが次の制作に繋がっていく。いいもの見せてもらったな、と思った。

この表情! “

027. 名前

027
アルケミスト」という名前は覚えづらいらしい。

領収書の宛名に「アトリエ・アルケミストとお願いします」とお願いして、
一発で書いてもらえたためしはない。

「んっと、アトリエ・・アヌケニスト?アム・・・?」
「・・・ええとですね、歩くのアルケ、霧のミストですね」
「あー、アルクミストね。」

それでは歩いてしまう。

「えーっと、アルクミストじゃないので・・紙ありますか?書きます」

このように大抵は、紙に書いたものを写してもらうことになる。
最近は紙に書いたものをお財布に入れて持ち歩くようにしているので、それを見せている。

アトリエ・アルケミストという名前は気に入っているので、
使いづらくても変えるつもりはない。

アルケミストというのは錬金術、という意味の言葉だ。
普通のひとがこのアトリエで何かに出会って、輝く金のように
変わって行く場所になってほしい、という意味を込めている。

出会うものは気の合う友人かもしれないし、しっくりする制作分野かもしれない。
職場や家庭、といったものから離れた第3の自分かもしれない。
それはその人それぞれだと思う。

キーワードは「制作が好き」だ。
アトリエに集まる人は経験あるなしではなく、「制作が好き」で
集まってくるので、小学生から主婦、社会人など、ふだんは話す機会のない
人たちがなんとなく集まってさんまを食べたりお茶を飲んだりすることになる。

年齢や職業を超えたところで情報を交換したり、作品をのぞきあったりするので、
そこからまた新しいアイデアが出たりすることもある。

逆に、ひまつぶし気分でやってくる人は、
小学生だろうが居づらくなってしまうようなので、そこは見ていてとても面白い。

最近では、社会人クラスの方のなかで「大人の自由研究会」というのができた。
制作とは関係ないのが面白い。
なんとなーく日を決めてはどこかへ出かけている。
「いい大人がどれだけあほうな事ができるのか」が一応の研究テーマだ。

第1回は「滝に打たれる」。厚木に結構本格的な滝があるので出かけて行った。
あまりに大きい滝なのであっさり挫折し、小川にちゃぷちゃぷ足をつけて帰ってしまった。

第2回は「大人になる」。新年の築地市場を覗いたあとに寿司を食べ、
銀座をぶらつき、落語鑑賞で締めるという実に粋なスケジュールだ。
私も参加したのだが時間の都合で落語を見れず、とても惜しい思いをした。

小学生の間にも色々な輪が出来つつある様子。

今後が楽しみだなあ、と思っている。

←差し入れのさんまを皆で食す”””

026. BOOKSOUL

026
小さいころから本が大好きだった。
図書館へ行くだけで大変ゴージャスな気持ちになるし、
ていねいに集めたことがわかる本屋さんの本棚は、側にいるだけで心底ほっとする。
飲酒をあまりしないのでわからないが、たぶんお酒好きの人にとっての
お酒のようなものなのではないかと思う。

手元にあると読んでしまうし、常に読みかけがないと落ちつかない。

うっかり旅行で文庫本を忘れると恐怖だ。
都内の移動ならそこらの古本屋さんにかけこめばいいけれど、
新幹線移動の時に文庫切れを起こした時は本当に困った。

その駅のキオスクにはなぜかアダルトな本と「こち亀」しか置いていなく、
究極の選択で「こち亀」を買った。
久々に見た両さんは相変わらずまゆげがつながっていて、北極で氷づけになっていた。

***********
本の中では、骨が太い文章のものが好きだ。
内容が高尚とか、ジャンルとかではなく、骨が太いもの。

どのあたりが骨にあたるのかと問われると困るのだが、
きっと単に好みで、盆栽好きならわかるよ、みたいな感覚なのだろう。

最近おもしろかったのは5代目古今亭志ん生のエッセイと、田畑文士村、という本だ。
「すいか大全」というのもおもしろかった。農林水産試験場の人が全力で
すいかについて語っている。

お気に入りの古本屋さんは、品揃えが素晴らしすぎて、
行くとあるったけ買ってしまいそうなのであまり行けない。
入ると本のヒーロー大集合!!といった趣で、くらくらする。

ジャバーウオックさん、という古本屋さんなのだが、
アトリエからもリンクさせていただいている本屋さんだ。
本好きのかたは、一度行くと楽しいと思う。

年末の宣伝になってしまった・・・
セールはしない本屋さんですので、どうぞご理解を。

025. ロマンスグレー

025
最近、見学にいらした方が同じような発言をされる。

「もっと年上で、ロマンスグレーのおじさまが主宰されているのかと思っていました」
私は白髪はまだかろうじてないので、不思議でしかたがない。
ホームページには私の写真も載せてあるのだが、どうもそこは
通過されてしまうらしい。

どうしてなんだろうと、
アトリエにお手伝いにきてくれている二人の先生とも話をしたがわからない。

アトリエをはじめたばかりの頃も同じような感じで、
私がドアをあけると、「先生いらっしゃいますか?」と聞く人が圧倒的に多かった。

「・・・すみません、私が主宰しているのですが・・・」
と言うと、えっと絶句されてしまう。

立派な「偉い人」のオーラが出てないんだろうなあと思うが、
立派感のないことを、自分では気に入っている。
このまま歳をかさねられたらなあと思う。

センセイと呼ばれるのはどうも苦手だ。
今までも苦手だったし、きっとこれからも苦手だと思う。

どちらかというと
「一緒に制作しましょう、知っていることであれば喜んで対応しますし、
わからない分野なら一緒に勉強しましょう」
といったスタンスだからだと思う。
制作はいつまでも修行の身だと思っている。

小学生の人にとってのオトナは、「センセイ、家族、近所のヒト、知らないヒト」
といった分類が普通らしく、名字では呼びづらい事がわかったので、
ちびっ子のクラスでは先生で通してしまっている。
かわりに大人のクラスでは「なるべく名字でお願いします」とお願いをしている。

いずれにしても、見学にいらしてくださった方を
驚かせるのはやっぱり申し訳ない気がしている。
やはりここは、ロマンスグレーなかつらを買おうかどうしようか・・・。

そのあたりは要検討だと、けっこうまじめに思っている。

024. ふたりでお茶を

024
結婚をした。

困るのは、周囲の誰も信じてくれなかったということだ。
無理もない。

仕事(教職)→制作→アトリエの繰り返しばかりで来たものだから、
そのような麗しい話はみじんもなかったからだ。

妻としては、アトリエの生徒さんは先輩が多いし、
アトリエちびっこクラスのお母様がたは当然、大先輩になる。

また、アトリエにいらした当時は幼稚園の先生だった方が
妊婦さんに変化したりと、先輩には事欠かないので、
色々と教わりながら過ごして行こうと思っている。

アトリエを継続することだけは決まっている。

「ここにくると、なせか大丈夫な気がするんです」と言ってくれる
方がいたりして、そういうのを聞くと、どんな形でも続けよう!と
ふんどしを絞め直すような気分になる。

あとは、自然の流れに任せようかな~・・と、
深く考えずにのんびり構えている。

そんな折、中学校時代の幼なじみが、突然お茶を送ってくれた。
虫が知らせたのかもしれない。

お湯をいれると、ふんわりお花のようにひらく、
美しいお茶だった。

夫と二人で飲んだが、とてもおいしかった。

アトリエの方とにぎやかにお茶を飲むのは大好きだ。

でも、こんなふうにお茶を飲むのは、皆と飲むのとは少し違う感じで、
不思議なおいしい感じだった。

こういう感じで私生活も、アトリエも過ごせて行ったらいいなあと
思っている。<

023. 大掃除

023
昨年末の話だが、とつぜん、昔の書類の大整理をした。
探し物があったか何かがきっかけで整理し始め、止まらなくなってしまったのだ。

普段はしまいこんでほとんど見ない書類、絵などの下書きや手紙類、日用品から服まで、
捨てるものと捨てないものを分け、どんどん整理していった。

中学生や高校生の時に書いた文章や、日記のようなもの、
覚え書きなどが入ったダンボール箱まであった。
箱をあけるのが怖さに整理できず、捨てそびれていたものだ。

今はない、昔のファンタグレープの柄のダンボールで年月を感じた。
えいやっと箱を開け、数ページめくって読んでみたが、
立ちくらみがするような気持ちになって先に進めず、全部捨てた。
昔の論文のメモなども捨てた。

捨てるたびにすっきりし、体まで軽くなる気がした。

捨てたもののなかには、中学生時分に書いたと思われる演劇の脚本のようなものや、
童話風のお話が途中で終わっているもの、詩のようなものもあった。

十代後半の覚え書きには「挿絵を描き、アトリエをやりたい」といったようなことを書いてあり、
いつごろまでにどういった方向に動くといった人生妄想予定表のようなものまであった。

十数年後のいま、「予定表」とはけっこう違った経緯を辿ったとはいえ、
幸い、最終目標にはあたらずとも遠からずといったところだ。

己の実力をまったく無視した当時の予定表を読んでいると、愉快な気分になった。
当時の自分がもし隣に居たら、肩のひとつもたたいてやりたい気持ちだ。

同居人は「おばあちゃんになったときなんかに、とっておけばよかったなあと思うかもよ」
と言っていた。そういうものかもしれないなあとも思ったが、
今後十年は後悔しないこと請け合いだ。

022. ネタと善意

022
今アトリエには、善意でお手伝いに来てくれている方が2人いる。
それぞれ曜日は別々で、ほとんど丸一日、皆さんと制作してくれている。

アトリエの「仕事」はじつは意外に細々とした裏方作業が多く、
それぞれがとても地味なものだ。

でも、それがいらして下さっている皆さんが
リラックスできたり、制作に取り組みやすい環境に繋がっているので、
のんびりが身上のアトリエといえど、そこは手を抜く事はできない。

なによりありがたいのは、お手伝いにきてくれている
彼等がそれらを淡々と行い、むしろ楽しそうに過ごしてくれていることだ。

なんだかうれしいなあ・・・と常々思っている。

二人とも、私とは専門が別で、彫刻出身の方なので、
私にも、皆さんにも勉強になるし、彼等にとっても「勉強になる」らしいので、
いいことづくめだ。

アトリエではいつもお茶とお菓子がでて、まずは一息ついてから
それぞれの制作にはいるのだけれど、いらして下さっているかたが
お茶菓子を持って来てくださる事も多い。
お願いしたわけでなく、だんだん自然にそうなった。

手作りだったり、おもしろお菓子だったり、コンビニの袋菓子だったり
色々だけれど、うれしさに変わりはない。みんなでわいわい言いながら
食べている。

他にもたとえば、
新しく入られてちょっぴり緊張している方に、そっと声をかける方がいたり、
元気のない子がいるとまわりの子が一生懸命盛り上げようとしていたり、
あたりまえの事なのかもしれないけれど、そういうことを見ていると、
アトリエやっててよかったなーと思ったりする。

ある先生に、「現実離れしたところだ」
と言われたことがあるが、別にいいではないか、と思っている。
世の中せち辛いばっかりじゃないもんね、と思ったりしている。

実際に、集まってくる方は何故か地味に面白い方が多い。
毎週おもしろエピソードが満載だ。
毎回ネタの宝庫。

それがアトリエアルケミストなのかなあ、と最近は思っている。

021. 新海さん

021
アトリエを始める準備をしていた時
下北沢の本屋さんでアルバイトをしていた。
一年間くらいの間だったと思う。

この時はほかに、学校に通いながら色々なアルバイトをしていたけれど、
私はその本屋さんの仕事が一番好きだった。

本屋さんの店長さんは新海さんという方で、
すごく若く見えた。後で知ったのだが、どうも四十代だったらしい。

新海店長の他は転勤が多いのか、2名前後社員さんが入れ代わりたちかわりつつ、
後はベテランのバイト陣が主力となって
しっかり店を守る、といった感じのお店だった。

みんな無愛想だったけれど、何故かほっとできる所だった。
開店準備でお店に入ると、皆もくもくと自分の作業をしている。
誰もかれもが大抵は一日そうだ。
お店が駅に近いのでお客が割合多く、へらへらしているヒマなんか
なかったのだろう。そのうち「無愛想」じゃなくて、シャイなんだなと
気がついた。

新海店長はとにかくよく怒る人だった。
単に機嫌が悪くて怒っていたり、注文した本が来ないと怒ったり、
バイトの出来がわるいと怒ったり、よくこんなに怒れるなーという感じだった。

かといって、いつもむすっとしているわけではない。
大抵はすかっとした、気分のいい表情をしている。
ミスをしたバイトを怒鳴りつけた後はけろりとして、
「おまえ、睡眠不足だったんじゃねえのか」と、にやっと笑ったりする。

私は、反射神経が足りないのだろう、本当によく怒られた。
よく怒鳴られたけれど、
反省する気になるだけで、全然悲しくも、いやな気分にもならなかった。
そういう怒り方をする店長だった。

ベテランアルバイト陣も印象的な人が多かった。八代さんもそのひとりだ。
「看板娘」とでもいうのだろうか、雑誌の取材で写真が出た時は思わず
その雑誌を買って、サインをお願いしてしまったものだ。

私がアルバイトをはじめたばかりの時、
見習いということで、一緒にレジに立って仕事をしていたら、
急に八代さんが、彼女自身がその日の朝、私に教えてくれた手順と違ったことをした。

その店では当時、たしか、普通は本にカバーをつけるとそのまま手渡しするか、
紙封筒のようなものに入れてお客さまにお渡ししていた。
私はそうしたのだが、八代さんは「ちょっと」と手をのばして、
レジカウンターから手提げのビニール袋を探して、その本を入れたのだ。

レジは混んでいて、長蛇の列が出来ていた時のことだった。

私は必死で下を向いてへたくそなブックカバー付けをしていたのだが、
目を上げると、カウンターの向こうには、ご高齢のおじいさまが杖をついていた。

いつか新海さんのようにすかっと怒れて、八代さんのように気遣えるように
なれたらいいよなと思う。道のりは、長そうだ。

八代さんは今は姓が変わられていると伺った。新海店長は本名で書いて
しまったが、きっと、にやっと笑って許してくれる、と、思う。

020. G3よ永遠に

020
昨年9月から、アトリエのパソコンの体調が悪くなった。
大変古い機種なので、老衰だったのではと思う。

アトリエで使っていたパソコンは、マッキントッシュG3(ジースリー)というものだ。
パソコンに明るくない方は、今だ現役で、
スーパーファミコンでゲームをやっていたと思っていただければ
雰囲気がお分かりになるのではと思う。

私はゲームをしたことがほとんどないので、
イメージしづらいが、アトリエにいらしている方に伺ったところ、
その比喩が一番近いとのこと。

パソコンの体調が悪くなってから、一番困ったのは、ホームページの更新が
できなくなってしまった事だった。
仕方がないので新しいパソコンを買うことに決めた。

新しいものを買うためにパソコン貯金をし、やっと買えたと思ったら、
手持ちのソフトが買ったパソコンについていけないことが分かった。
仕方がないのでソフト貯金に入った。
ソフトはなんとか揃ったら、モデムがおかしいことが分かり交換した。

そんなこんなでやっとフルセット揃って、さあ!更新だ!!
と作業したらうまくいかなかった。プロバイダーに問い合わせたら
「回線が不安定になっていますね」とのこと。

・・・・・・・・。

以上のような様々な苦難を乗り越え、本日ようやく更新の至りとなった。
まだ「回線は不安定」らしいが、もう知った事ではない。

そもそも、G3はインターネット環境に不具合が起こったから
買い替えただけで、老いていながらも他は割合うごく。
人もモノも、必要とされて働いていれば幸せ、ということがあると思う。
アトリエのG3はそのタイプだと思ったので、動けなくなるまで働いてもらうことにした。

G3は、今はアトリエ2階のリビングで、同居人の作品制作用パソコンとして
第二の人生を送っている。

以上、ず~っと更新が遅れていました言い訳です。

019. ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら

019
古本屋さんで、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」という本を買った。

ティル・オイレンシュピーゲルといういたずら者が、
とんちの効いた悪さの限りをつくして村々を渡り歩くというお話だ。
ティルは、ドイツでは知らない人はないという、昔ながらのお話上の人物とのこと。
日本でいう『きっちょむさん』や『一休さん』のやんちゃ版みたいなものだと思う。

この本は、主人公ティルのいたずらごとにいくつもの短いお話が連なっている。
いたずらのむちゃくちゃさ加減が痛快で、おもしろく読んでいくと、
一瞬思考が止まる文章が目に止まった。

「・・・ティル・オイレンシュピーゲルに、花嫁のばばがご機嫌をとろうと、
ひらりと鮮やかなジャブを繰り返しました・・」(第67話より)

(??おばあさんがジャブ・・・そんなまさか)と思ったが、
頭の中にはおばあさんが、鮮やかなジャブを繰り出す姿が浮かんだ。

(むかしのドイツはすごいなー)と思いながら読み返すと、

『・・・ティル・オイレンシュピーゲルが花嫁のばばのご機嫌をとろうと、
ひらりと鮮やかなジャンプを繰り返しました・・』だった。

やはり読み間違いで、
主人公がおばあさんを面白がらせようとジャンプをしただけだった。

やっぱりなあ。

しかしあまり面白い読み間違いなので、笑ってしまった。

018. 一歩

018
アトリエに人が増えてきた。

といっても、マイナーなちびアトリエなので、人数はたかがしれている。
ほんとうにゆっくり時間をかけて、少しづつ増えてきた感じだ。

不思議なのだけれど、アトリエにこられる方には驚くほど共通するものがある。
それは年齢や職業や、性別とは関係がない共通点だ。

見学に来られた方のなかには、半年以上も迷って迷って、ようやくメールしました、
といった方も少なくない。
そうだろうなあ、と思う。ホームページやチラシだけで、知らない人に連絡するのは、
かなり勇気が必要だと思うからだ。

それに、アトリエ・アルケミストにくるひとは、やりたいことを持ってくるひとが多い。
そのため、連絡をするために、ご自分で一種のふんぎりをつける事が必要になる人もいるからだ。

これをやりたいな、こうなりたいなと思っている気持ちが真剣であればあるほど、
勇気がたくさん必要になる時もあると思う。

思い描いているだけのときは何でもうまくいくし、予想外のことも起こらないけれど、
ひとたび動き始めてしまえばそうはいかない。
良い意味でも悪い意味でも予想外の出来事だらけになると思う。

実際に始めてしまったら、想像していたことがほんとうは自分には不可能で、
まったくあきらめなくてはいけないことだったらどうしよう・・・

そんなふうに考えてしまえば、踏み出すのは怖くなるはずだ。

だからアトリエでは、見学にいらした方には
「いったんお家に戻られて、よく考えて、それからやってみたいなと思ったらまたご連絡ください」
と言うようにしている。

自宅に戻って、良さそうなところがあれば他のアトリエを見学してみてもいい。
じっくり選んだ上で決めて欲しいと思うからだ。

ちいさな一歩を踏み出すために、たくさん勇気が必要だったひとであればあるほど、
「ここでならできるかも」と思えた場所で始めて欲しいと思う。

せっかくはじめるわけですし、ね。

017. 耳をたたむ

017
先日恩師の個展に行ってきた。
一年ぶりに恩師に会い、大学時代の友人2人とも会えた。
個展の会場でひとしきり皆の近況報告が終わり、先生の作品も見終えた後、
友人の子育ての話から、なぜか互いの眠るときの姿勢の話になった。

一人の友人は普通に横向きに眠るといい、
私はいつも左足に右足をのせ、足をクロスした状態で眠ってしまうと話した。

最後の友人は次のように言った。
「私は天井とか見てると迫ってきそうでいやだから、横向いて、耳をたたんで眠るの」

「?」「?」

「え、みんなは耳とか、たたまないの?」

彼女の説明によると、横向きの姿勢で下になる側の耳たぶを
折り曲げて、耳たぶで耳の穴をふさぐような格好にして
眠るのが「耳をたたんで眠る」ということらしい。

友人は意外そうに、
「○○さん(ご主人の名前)に話したときは、
『俺は、耳の外側を耳の穴にもってくる感じで折り曲げて眠る』
って言ってたけど。。。」
と言った。

大勢いる人の中で、耳をたたんで眠る人はけっこう少ないのではないかと思う。
そんな二人が出会い、夫婦になる確率はどれだけあるのだろうか。

それはもう運命の出会いとしかいいようがないのではないか、
あなたと○○さんはなるべくしてなった夫婦なのだよきっと、
といって話は終わった。

後日念のため、アトリエに通われている皆さんに眠るときに耳をたたむかを伺ってみた。
やはり皆さん「・・?」といった」表情で、耳はたたんで眠らない、とのこと。

やっぱりなぁ。
彼らは運命の二人なのだ。

016. 遠いともだち

016
中学生のひとで、制作が大好きなひとがいる。
こつこつと制作しては美術室にやってきて、作品を見せてくれる。

その人が昼休みに美術室にやってきて、こんな話をしてくれた。

ある作家の作品集を見ていたら、
先日自分が制作した作品と、ほぼ同じものがあった。
自分の作品はまったく自分のアイデアで制作したし、
作品集にあった作品を、過去に見た事もなかった。
それなのに二つの作品は発想も方法もほとんど一緒だった。
こんなことってあるのだろうか・・・。

実は私も、同じような経験がある。

小学生の頃、家で描いていた絵とそっくりの絵を、
ずこし後になってから学校の授業で見た事があったのだ。
その絵は一度も見たことはなかったはずだし、画家の絵のほうがずっと昔に描かれていたはずなのに、
どうしてこんなにそっくりなんだろうと、不思議な気持ちでどきどきしたのを覚えている。

こんなことがあると、私はやっぱり妄想をしてしまう。

きっと作品や、アイデアにはもとのようなものがあって、それらはどこかで繋がっていて、
制作する人は、それをそれぞれのやりかたで作品にするのではないだろうか。
きっと中学生のひととその作家さんは、生きた時間も場所も違うけれど、同じ回路を通って
作品を作ったのではないだろうか・・・。

そんなことを考えたのは、
自分の絵を画家の絵として出会いなおした時の気持ちが印象的だったからなのだと思う。
遠い場所で親しい友達に会えたような、同じ言葉を話す同郷のひとと出会えたような、
うれしくてどきどきする感じだったからだ。

昔の哲学者じゃあるまいし、全くの妄想なんだろうけれど、
そう考えるのはやっぱりたのしいよなと思う。

015. セクシー

015
久しぶりに休みをとって、伊勢と京都に行って来た。

三重県にある伊勢神宮には、お土産やさんが軒をつらねた横町がある。
新幹線等で販売しているあんこのお餅「赤福」の本店や、伊勢うどんなどの
食べ物のお店もならんでいる。

昼食をとろうと思い飲食店を探したが、
表通りは、舞台セットのようにきれいすぎるお店が立ち並んでいて、どこも気が引けて入れなかった。

そのままぶらついていると、落ちついたたたずまいの、悪く言えば
古い食堂があったので、そこに入った。

初老の女性が3人と、高校生くらいの年頃の女の子ひとりの、
計4人の女性が立ち働いていた。
天井が高く、ところどころ増築したらしいトタンの屋根部分から光が降り注いでいる。
ウナギの寝床のように奥に長いつくりの店内をおばあちゃん達が颯爽と行き来していた。

おばあちゃん達は土地の言葉で大声でおしゃべりしながら働いている。
大変元気だ。
「○番テーブルにうどんおひとつ」というような業務連絡から
「近所の○○がどうたらこうたら」といった世間話までおなじ調子で
しゃべりながら働いている。

お店をぐるりと見回してすぐ、
私は3人のうちの一人のおばあさんに目が釘付けになった。

超ミニスカートで、フランスの女優のような大きなつばにフレアのきいた
ピンクの帽子をかぶっている。ブラウスもひらひらだ。
表情は普通の、ノーメイクの、きりりとした細面のおばあさんといった風情。

結構目立つと思うのだが、
お客も普通に食事をしており周りのおばあさん達も普通に一緒に仕事をしている。
驚いている私が変なのかもしれないと感じたが、やはり目が吸い寄せられてしまう。

蝶々のようないでたちで、スチールの机を拭いたり、ちょっとかがむと
階段を上がる女子高生を見上げてはいけない、とような、そういった感じになる。
不気味ではなく、堂々とセクシーだった。

私は伊勢うどんの素うどんを頼んだ。
お約束のように丼に親指が入って出されて来たので、ちょっと面白かった。
麺は大変のびていた。

お勘定を払ってお店を出ると、白昼夢から覚めたような気分になった。
いい外食したなと思った。

014. くせ

014
ひとと話をしていて、すごく興味を覚えるもののなかに、
個人的なくせの話がある。

「困った時に頭をかく」
「うそをつくとまばたきが増える」

といったような類いの、よくあるくせではない。
もっと個人的な、もののとらえ方の「くせ」の話だ。

ある人と話をしていて、方向をイメージで覚えているという話になった。
その人にとっては、「右側は明るくて、正しい感じ」
「左は暗くて間違った感じ」なのだそうだ。
例えば、棚にある小物の場所を訊ねて「右の上にあるよ」と言われたら、
(ええっと、明るい方の、上ね・・)と思って探すということだ。

他の人の話で面白かったのは、「偶数は丸くて、奇数は三角っぽい」というとらえかただ。
たとえば、人の年令を、28なら「まるくて20代」と覚えるということだ。
細かい数字を忘れると、「あれ?あの人22だっけ、24だっけ、26だっけ・・?」
となってしまうらしい。

近所の児童館で月に一度の工作教室を一緒にやってもらっている学生さんは、
昔から、児童館や小学校にいくと「何かが始まる感じ」がして、わくわくするのだそうだ。
私は大学以外の学校は、割と好きだったのにもかかわらず、
いつもうっすら圧迫感を感じていた方なので、新鮮な驚きを感じた。
その学生さんは小学校教師を志望しているとのこと。ぴったりだと思う。

私の場合は、人の体の大きさを、印象によって極端にデフォルメしてしまうくせがあるようだ。
たたずまいのようなものを感じた人は大きく印象に残り、その逆だと小さく感じる。

数カ月に一度くらいしか会わない女性の知人がいるのだが、会うたびに「小さくなった?」と聞いてしまう。
その人は、会わない間に私のイメージの中でどうしても大きくなってしまい、
本物とイメージとの間に10cm近くの身長差ができてしまうのだ。

こういう「くせ」を聞いていると、それ自身は全く理解出来なくても、
その人を垣間見れた気がして楽しい気分になる。

皆さんはこういった「くせ」、ありませんか。

013. 大きくなったら

013
小学生くらいの頃、「おおきくなったら」と思うことがよくあった。
今は小さくて無理だけれど、大きくなったらきっとできるんだ、
早く大人になりたいなあと思っていた。

一方で、大人になったら何になりたい?という質問は大の苦手だった。
どんなふうになりたいのか漠然としたイメージはあったけれど、
それが具体的にどういった職業になり、
どのような言葉になるのかわからなかったのだ。

「おおきくなったらやってみたい事」のなかで簡単なものは、サラリーマンの時に次々とやった。

たとえば、「ホールのケーキをまるごと一人で食べてみる」。
類似の案件に「すいかを丸ごと一個、一人でスプーンで食べる」もあったが、
これはお腹がいっぱいになり実現できなかった。
その他には築地でさんまを仕入れ七輪で焼いて食べる等のマニアックなものもあったが、
簡単なものは大概、何かを買うとか、どこかに行くなどということが多かったようだ。

むつかしい「おおきくなったらやってみたい事」は、たとえば「こんな大人になりたい」とか
「こういう事をして暮らしたい」等で、これは幸運なことに、少しずづつだが近付きつつある。

気がつくと、私は今でもよく(おおきくなったら・・)と考えている。

(大きくなったらこの全集を買いたいなあ)とか、
(大きくなったらこの人に恩返ししたい)とか、
(大きくなったらこれがわかるようになるのだろうか)等々だ。

先日、お気に入りの古本屋さんで文庫を一冊買った際に、
ある小説家が好きであるという話になった。
すると、「これ、あげる」と、その作家さん本人のサイン入りの自選集を
文庫の「おまけ」で頂いてしまった。昔の立派な皮張りの表紙の本だ。

店で眠っているよりも好きな人に大事にされたほうが良いから、との事だが、
あまりの事に固辞すると「受け取らねば縁を切る」との弁。
嬉しいやら申し訳ないやら、切ない気持ちで、
(おおきくなったら、お店の売り上げに役に立つ人になります)
と思い、店を出た。

どうしたらおおきくなれるのだろう。ご飯を沢山食べればよいのだろうか。

012. リニューアル

012
ようやくリニューアルが一段落ついた。
遅かった。半年以上かかってしまった。

専門の方にお願いしたりしなかったり、
アトリエの皆さんに写真を撮らせていただいたり、
そばを食べたり麦茶を飲んだりしてるうちに日が過ぎてしまった。

リニューアルに関しては、大学の先輩である岡本さんに大変にお世話になった。
四方八方どしゃめしゃを乗り切ってリニューアルできたのも、岡本さんのお陰だ。
本当にありがとうございました。

写真に関しては、アトリエのみなさんが写真撮影を快諾して下さったお陰で、
沢山の画像を用意する事ができた。ありがとうございました。

撮影に関しては一部を友人の浅見くんにご協力頂いた。HPのなかのすてきな写真は浅見君の手によるものだ。
撮る人が違うとこんなに違うと実感した撮影だった。ありがとうございました!

それにしても、制作中に写真を撮るのは気が進まない作業だった。

私自身が写真に撮られるのが苦手だから、勝手にそう感じるのかもしれないけれど、
大事な空気を乱しているような、ずいぶん乱暴なことをしているような気分になる。

そんなアトリエでのひとこま。

「皆さんのプライベートのことを考えつつ、画像は工夫して撮りますね」
「では目のあたりに黒い帯とかどうでしょうか」
「モザイクとか・・」
「いっそのこと目鼻をシャッフルすると言うのはどうでしょうか?」
「目と鼻が私で、輪郭だけさいき君とか・・」
「あははは」
「それで、さて本当はどれ?!って」
「わはははー」

さすが、皆さん太っ腹だ。

011. とかげまつり

011
コロコロ児童館は、去年できたばかりのかわいらしい児童館だ。

アトリエでは、4月からこの児童館で、小学生低学年を中心に月に一度工作講座をしている。
「自由工作」というタイトルで、おおまかなテーマだけ用意して、
あとは何をやっても自由だよ、というスタイルの講座だ。
児童館の地元にある玉川大学の卒業生の方に先生役をお願いし、にぎやかに進めている。

第一回目のテーマは「春」だった。
模造紙いっぱいの大きさの木を用意して、たくさんの花を咲かせたり、生き物をあそばせて、
コロコロ児童館の魔法の木をつくろう!ということにした。春だし、満開の桜をイメージしての案だった。

工作の当日、皆に、この木を飾って、花や、虫や鳥でいっぱいのにぎやかな木をつくろう!と持ちかけると、
「ほんとになんでもいいの?」と聞かれた。
「そう、魔法の木だからいろんな花が咲いたり、いろんな生き物がいたりするんです。」
「花じゃなくても?」
「そう、なんでも。」

その子はしばらく考えて、3センチ四方くらいの紙片を、茶色いクレパスで塗ったものを持ってきた。

「・・・これは?」
「みつ」
「?」
「カブトムシとかが、なめるじゃん」
「・・ああー、蜜ね!」

その男の子はうれしそうに、木の幹に蜜を配置した。

そこから祭りは始まった。

「じゃあ蜜たべにきたミツバチ」
「オレむかで」
「かぶとむし」
「じゃあむかでを食べに来たとかげ」
「あっいいなあ、じゃ私もとかげ」
「オレオレヒトカゲ!」

花がいくつも咲かないうちに、コロコロ児童館の魔法の木にはトカゲが大集合した。
空には真っ黒い戦闘機も飛んだ。

「おおーかっこいい!これいいねー、先生!」
「・・・・・・・・・。」

最終的には花も増え、動植物とりまぜて生き物満載の木となったが、
とかげの集合していく過程はとてもおもしろかった。

いやあ、何が起こるかわかりません。

ころころ児童館、恐るべし。

010. 家族

010
大学時代の恩師の個展に行ってきた。

大学時代の友人ご夫婦と、1歳になるお嬢さんと一緒に絵をみた。

友人夫婦は高校生からの付き合いで結婚したカップルだ。
お茶を飲みながら、お嬢さんのことを世話する二人をみて、ああ、二人は家族になったのだ・・と感動した。

家族というと私は、自分の家族の他にいつも思い出すメンバーがいる。
サラリーマンを辞める前後によく一緒に過ごした。一時期は共同生活に近かったんじゃないかと思う。

何をしていたかというと、くだらないテレビまんがのビデオを明け方まで見たり、
バトミントンをしたり、延々と落書きをしながらばかばなしをしたりと、ひまな小学生のようにすごしていた。
終電がなくなってしまうと、足がくさいとか布団が足らないとか文句をいいながらざこ寝をした。

この3人とは、とにかくよく一緒にものを食べた。

お金はないのでもちろん自炊で、焼きそばとかなべとかお好み焼きとかばかりだ。
その後は皆ばらばらに、一人は岩手の新聞社に、一人は東京の広告会社に、
一人は京都のゲーム会社に行った。私は学校を受験した。

自分が生まれた生家のほうはあたりまえすぎて意識できないのかもしれない。
家族という言葉で思い出すのはなぜかこちらの三人だ。

おもしろいもので、今一緒に住んでいる二人には家族と言う感覚はない。お互いそうだろうと思う。
昔からの知り合いの、仲の良い同居人、といった感覚だ。

おそらく、一緒にものを食べていないからだろうと思う。

こうだといいな、というアトリエの雰囲気の基準はいつも、ひまな小学生のようにすごした、
4人で過ごした時の空気だ。

今もわりあいに成功してるとおもうけれど、
もっとそういうところになっていったら楽しいだろうな、と妄想している。

009. アクセス・・

009
アトリエはアクセスが悪い。
アトリエと事務所が離れているのがこまる。

電話の音がきこえてアトリエからダッシュしても、受話器を手にするあたりで大体が切られてしまう。
リビングに居た時などは、部屋とアトリエとの距離がありすぎて、電話の音自体が聞こえない。

それなら、と事務所にかかった電話が携帯電話に転送されるようにしてみた。
すると、ファックスを送りたい人まで携帯につながり、ファックスできない!と怒られてしまった。

そのうえ、携帯電話をもってアトリエに居ると、携帯電話も留守モードになってしまうことがわかった。
なんとこのアトリエは、立地の関係か何かで、アトリエ部分に居ると、ラジオや携帯電話の電波が入りにくいのだ。
留守モードになった携帯電話は「着信あり」と記録がのこるばかりなので、連絡が返せない。

留守番電話にメッセージを頂いたり、メールでお問い合わせを頂いた場合は確実にお返事できるのでうれしいが、
知らない人間にメールや留守電を入れるのは、けっこう気合のいる作業だ。
だから、こういうアクセスをして頂いたときは、ありがたいよなーと思う。

しかしまだ安心はできない。

先日の夕方、アトリエ事務所の電話にメッセージが入っていた。
少しためらいがちに、でも紳士的に順を追ってメッセージが入っている。

「私、そちら(アトリエ)に入会したい者なのですが。。。」
「まずは見学させていただきたいと思いまして。。」
「私の携帯電話を申し上げますので、できれば折り返しご連絡いただければと思います。。」
「私の電話番号は、090。。。ピーッ」

録音時間切れで、メッセージはそこで途切れていた。

わたくし、090の後が知りとうございます。

暗がりに点滅する留守電ランプに向かってつぶやいてしまった。

ここまでアクセスが悪いのは良くないにきまってるだろう!と思うが、
家を改造するわけにも行かないので仕方がない。切なさはつのるばかりだ。

今アトリエに通っている人は皆、これらの試練をくぐり抜けてきた猛者たちだ。
ちなみに件の090の方も、自力で再連絡してくださり、元気よく3月より通われることになった。

よかったよかった。

008. アトリエにくるひと

008
武者小路実篤の小説に、「真理先生」っていう作品があるのだけれど、私はけっこう好きな話だ。
へんてこな先生と、そのまわりの人々との会話が中心のお話だ。
その先生がこんなことを言う。

「歯医者には歯のわるいひとがあつまり、目医者には目の悪い人が集まる。
物質的に得をしたいひとは得のできる処に集まる。
私の処にくる人は私と話すことで心が嬉しくなる人だけががあつまる。
そのほかのひとにとっては私はゼロような人間だ」

アトリエアルケミストに訪れるひとは、何かやりたいことをもってくる人が多い。
ひまつぶしの集会所がわりって人はいなくて、のんきに地味に楽しんでる人が多いみたいだ。

○展入選じゃなきゃ意味ないよって人とか、入って3日後に、ウチの子に個性のある創造力がつきましたかしら?
な~んてきいたりする人は、うちにはこない。

そういう人にとっては、ここはきっとゼロのようなアトリエなんだと思う。
だから色々なひとが集まってくるけれど、制作が好きで、その時間を楽しむっていうつながりで楽しく過ごせる。

そして、こんなホームページで来てくれるせいか、のんきなわりに、どこかしら根性もある、
ということにも繋がっているようだ。

お問い合わせは4歳から60才代までとすごい幅広さなのに、
のんびりしている、というのは不思議とみんな共通している。

のんびりしているところにはのんびり好きが集まる。

どうも、そういうことみたいだ。

007. 昼休み

007
中学生の皆さんと制作をしている。学校の授業は、沢山のひとと会えるからいいよなと思う。
50分の授業で、10分休み。10分の間にめまぐるしく人が入れ替わる。40人が、4回。160人との制作だ。

お昼の時間はお昼は食べない。おにぎりをかじる程度で済ます。
あとは美術室にいて、ごみだらけで阿鼻叫喚状態の床をはき掃除したり、
時間外にやってきた学生さんとおしゃべりしている。

なにかをつくったりするのに、50分はあまりに短い。
作業の説明や後片付けだってあるから、実際は30分あるかないかだ。
一週間に30分の制作!! ないよりましだけど、っていう程度の長さだと思う。
もうちょっとやりたいってひとはやっぱりいるし、べつにほんとは制作したいわけじゃないけれど、
ちょっとおしゃべりしに美術室にくる人もいる。

だから、昼休みや放課後がすごく大事な時間になる。

先週も、学生さんが昼休みと放課後にやってきた。
不要材を用いた彫刻をつくる、という課題で、その人はパンダを作り、今回はさらに、その仲間を作りたいとのこと。
はじめにつくったパンダは、表情はかわいいのだけれど、塗料で表面を溶かしてしまって、
お岩さんのようになってしまった。話のなかでついたタイトルが「さだパンダ」。
その人はさだパンダの仲間を、いくつかの発泡スチロールを組み合わせて作ろうとしていた。

「先生これどうかな」
「いいんじゃないですか。しかし大きいですねえ・・。
なんというかおなかが割れて中からオートバイとか出てきそうですね」
「なにそれ」
「ライディーンです。知りませんか」
「・・・?・・どうでもいいけどこの真ん中、どうつけたらいいと思います?」
「うーん、そうですねえ・・(と言って作品を持ち上げる)」
「あ・・」
「あ・・・・・・!」

私が持った拍子に、まだ接着しきっていなかったパーツが落ち、パンダは大破してしまった。

「~。。何すんですか先生!あーあー。。もお。。。」
「うわすみません、ほんとごめん!せっかくのさだパンダの親が・・」
「親じゃなくて仲間だし・・・。あのさあ、先生、教えてんの?邪魔してんの?人の話きいてます?」
「・・・・・・。」

こんな風に、昼休みは毎回楽しく過ぎていく。

私は楽しいが、彼らが楽しいかは微妙だとちょっと思う。

006. オシャレの限界

006
同居人が高知に行き、お土産にいもけんぴを買ってきてくれた。
いもけんぴは、さつまいもでできた甘い揚げ菓子だ。
同居人いわく、「これを見たとき、おみやげはこれしかないと思った」とのこと。
私が、楽しいデザインのものに弱いのを知っていたので、買ってきてくれたのだろう。
袋に、白い筆文字でさらりと「いもけんぴ」。そのわきに、河童に似た生き物が
中腰で芋をひきずっている。

顔は昔の少女雑誌の挿絵のような真っ赤なおちょぼ口をしている。
河童はくちばしで、おちょぼ口ではないはずだが、背中は甲羅をしょっているので河童なのかと思う。
しかし、あたまには皿でなくどんぶりをかぶっており、やっぱり何の生き物なのかわからない。
ひきずっている芋のさきには、どことなく不二家のぺこちゃん調の少年が、満面の笑みでつるにまたがっている。
少年は芋のサイズから考えると体長約20センチ。すごく小さい。

芋が出てくるという以外、ほとんど脈絡のない絵柄は、すごく魅力的だった。
高知っていいところだなーと思ってしまう。

洗練に洗練を重ねたデザインは、いいなあと思う。
無駄をそぎおとしたデザインも、装飾的なものも、優れたデザインとされているものには、
吟味しぬかれた厳しさがあると思う。
作り手の意図や美的な感覚、思想などを、できるだけまっすぐ形にとかしこんだもの。
そういった厳しさや強さがよさを支えるのだと思う。

でもそういったお話とはぜんぜん違うところで生まれたデザインも、私は大好きだ。

洗練、といった意味での強度はぜんぜんない。へなちょこだ。
でも意識した吟味がない分、無意識のわけのわからない感じがストレートに見えて、人間のつかみきれない、
へんてこさみたいなものの強さがある気がする。

なんというか見ていて脱力するけど、野太くっていいと思う。

005. 出会う

005
大人と子どもってなにが違うのだろうとよく考える。
生きている年数が違う。体の大きさが違う。社会的に、扶養する側と扶養される側。
違いは数えあげればきりがない。

でもやっぱり、「なにがちがうのだろう」と考えてしまう。

小学生や、中学生、あるいは大人など、様々な年頃のひとの作品をみていると、
どうしても考えてしまうのだ。

画面にあらわれる、響きのある色、激しさ、調和、不安、イメージ・・・。
手法になれていないが故の現れにくさや、おぼつかなさ、ちゃんとやらなくっちゃ、という気持ちからくる
ある型の踏襲などを差し引くと、そこには、生きた年数を超えたその人のなにかがかならず見え隠れする。
そういうものを感じると、すみませんとひれ伏すような気分になってしまう。
同時に、すごくどきどきする。

まるで、そのひとそのものに触れているような感じがするからだ。

ナイーブすぎる考え方かもしれないけれど、表現したものをまん中にして、
何十時間もの会話、たくさんのその人の「おはなし」を飛び越えて、互いに出会う事は可能だとおもってしまう。

そういう出会いかたは、たとえば、一瞬の間の目配せに似ている気がする。
一言も話さないけれど伝わる、あの感じだ。

自分をモデムのようにして、キュルキュルっと作品の雑味をすりぬけて、
出会いにでかけるのは、実際は動かないけれど、ちょっとあなたの世界までお出かけ、
といった感じの楽しいアクションだ。

だから何度でも出会いに出かけて行きたい。
はじめてデートしにいくみたいに、どきどきしながら。

004. アクアフレッシュ

004
郵便ポストが不思議だと思っていた。なぜ手紙が重なりすぎて曲がったりしないのだろう。
私はよく、大事な書類を折ったり曲げたりしてひんしゅくをかうので、
沢山かさなった紙類が曲がらないのが不思議でしかたがない。
割合に、新しい友人が出来るたびに聞いたりしているのだが、しくみを教えてもらえたことはまだない。

アクアフレッシュも、しぼってもしぼっても、どうしてストライプなのか不思議だった。
あまりに不思議だったので、高校生のころ一度、新品を冷凍庫で凍らせ、包丁でまっぷたつに切ってみたことがある。
チューブの太さでアクアフレッシュ柄になっていた。
なるほど!と一瞬わかったような気になったが、よく考えると、なぜしぼっても同じようになるのかは結局わからない。

学生だった頃は、知ることで世界をわかることができると思っていた。

算数や国語や社会や英語を勉強して、沢山覚えて、そうすれば、
今はわからないことだってなんでもわかる、かっこいい大人になれると信じていた。

大人になった今は、毎日がわからないことだらけで、かっこいい大人になれたかというとかなり微妙だ。
色々な事もやっぱり不思議なままだけれど、
ただ、学生の頃の自分がおもっていたより、世界はずっと面白いんじゃないかって思っている。

社会人になって、サラリーマンをしていた時、仕事帰りにふと思いついて、
使い捨てのコンタクトレンズを電子レンジにかけてみたことがある。
部屋に戻った夜中、電子レンジが低い音をたてて、コンタクトレンズをあたためていく。

今思うとけっこうシュールな光景だなと思うけれど、そのときはぼんやり見ていただけだった。
コンタクトレンズは透明なきくらげのようにぱりぱりになって、指で押したらぺきん、と割れた。

これは別に不思議だったわけではない。

ま、ちょっとやってみたかっただけだ。

003. 妄想癖

003
家族の者からいつも、「あんたは小さいころからちょっとだけ地面から浮いていた」
と言われていた。
ほんとうに浮いてたわけではないけれど、
きっといつも、どこか地に足がついてないというか、うわのそらだったのだろう。

小学生の頃は、夜、タオルケットにくるまって、
小人がタオルの洞窟に住んでいる話をつくって連日連夜興奮していたし、
飼っていた鳥とは、努力すれば話せるようになるんじゃないかと真剣に考えていた。

鳥と話せたらいいな、ならまだわかるが、
話そうと苦心していたのだから、想像というより妄想だと思う。

大人になってもその癖はあまり抜けず、20代前半の妄想はアトリエについてだった。
建物の見取り図まで描いて友人に見せていた。
友人も迷惑だったと思うので、わるいことしたなと思っている。

一番最近では、本から妄想した。

好きな作家の古本を手に入れ、わくわくしながら読了した。
あとがきまで全部読み終わり、ふう、と表紙を見返したところ、訳者の名前をみて、驚いた。
その訳者は、小さいころから大事にしていた本の著者だったからだ。

これを知りたい、あれが好きだな、と地味に思っていると、
不思議とそれらは思いもよらないところで繋がったり、必要なパーツがころがりこんだりすることがある。

誰かがちょっとずつヒントを落としていったみたいだと思う。
そんなふうに考えると、まわりの生活がなぞなぞ遊びのように思えたりする。

こういう妄想はけっこう楽しいので、やっぱり妄想はやめられない。

002. 斎木君

002

斎木君は、アトリエを手伝ってくれている男の子だ。
今年の12月には、アトリエのメンバーになる。

斎木君と会ったのは電車の中だ。気がついたのはいっしょにいた山崎さんのほうだった。
彼は私が勤めていた大学の卒業生だったのだが、私は忘れていた。

同居人の山崎さんは、同じ学科に勤める先輩だった。
彼女は記憶力がとてもいいので、斎木くんを覚えていたのだ。

「最近どうしてる?」と聞くと、服の学校にいっています、とのこと。
ああ、そうなの、わたしは最近アトリエはじめたから、よかったら遊びにおいでよ、
といったようなことを話して、名刺を渡して、別れた。10分くらいのことだったと思う。

しばらくして、斎木君はほんとうにアトリエにたずねてきた。
かるい世間話のつもりだったので、ほんとに来るとは思っていなかった。

それから斎木君は、毎週アトリエにやってきた。

斎木君が大学院で勉強していること、本が好きで、書店で長く働いていること、
論文を書いていることなどを知ったのはそれからけっこう後になってからだ。

コラムからは想像しにくいかもしれないけれど、斎木君は、まっとうで優しい、ちょっと変な好青年だ。
いつもは落ち着きがないが、酒をのむと普通になる。

斎木君とはあまり個人的な話はしない。ついついどうでもいいくだらない話ばかりしてしまう。

でも、そういうなかで感じる人柄は、どこそこに勤めていて、とか、
どこそこの学校に行っていて、とかいうおはなしよりずっとその人そのものだよ、という気もする。

最近の私の流行は、斎木君と一緒に住んでいる彼女のことを不意に話題にすることだ。
本人はけして自分から話そうとはしない。すごく大切にしているのだろうな、と思う。
だから、ごくときたま、不意をついて話題にするのがポイントだ。

ものすごく照れて動揺し、その辺をうろうろしたりするのでおもしろい。

001. 変わる

001
ヴィレッジヴァンガード、という本屋が大好きだ。
今は、全国に100ケ所以上あるけれど、初めて出会った時は本当に衝撃だった。
薄暗い店内には、マンガ、サブカルチャーもの、
古今東西の名著と呼ばれるもの、CD、グッズからお菓子にいたるまでがぎっちり
つまっていて、まさにおもちゃ箱をひっくりかえしたみたいな世界がそこにあった。

ガジェット、という言葉がある。
「いらないもの、むだなもの」という意味なんだけれど、無駄だからこそ語れる、
そういうものって、あると思う。

私はもやもやと思い描いていた、夢のアトリエって、どこに行けばあるんだろーなーと
いろんな研究会や、会社や、学校や、集まりの周りをやたらめったらにうろついていた。

そういうときヴィレッジヴァンガードを見つけて、これだ!と思った。
働きたくて頼んだけど空振りだった。
それから場所を探して、みつけて、むりやり友人に一緒に住んでもらい
えいやっと始めたのが、アトリエアルケミストだ。

あっというまにかわるなー!と思う。

アトリエの塾生さんは今5人だ。
去年の11月くらいから地味に募集を始めた。
くる人は、年令も、住んでいるところもすごくばらばらで楽しい。
ついでにいえば、アトリエに来る日もばらばらで、週に一回の人もいれば、月に一度のひともいる。
こういう芸当ができるのが、マイナーな塾の良さなんだよ、と思う。

先日、ひさしぶりにヴィレッジヴァンガードのホームページを開いたら、
すっかり会社らしくなったホームページになっていた。

『僕らはヴィレッジ・ヴァンガード。名古屋の片隅で盛り上がっていたら、
いつのまにかこんなになってしまった・・・』

そういうせりふのかわりに「決算報告」の文字が光っていて、
ちょっと、好きな子が変わってくのを指をくわえて見てるみたいな気分になった。
でもやっぱりヴィレッジは、大好きな本屋のひとつだ。