126. ふたりの時間

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今日から春だな、と思うときがある。

それは朝アトリエに来て窓を開けた時の空気の香りともいえない香りだったり、
眠そうに間延びした調子の鳥のさえずりだったりする。

「何がどうだから今日から春である」という基準はないけれど、
春だなと感じる瞬間は確かにある。不思議だなあ、と毎年思う。

先日から土曜日の夕方のクラスに
ご夫婦がお二人で制作にいらしている。

アトリエで出会ってご夫婦になり、お二人で通うようになる。。。
といったパターンはわりあいよくあるのだが、
ご夫婦でご見学にいらして、そのまま制作をされているのは今回が初めてだ。

ご主人は人物画を描いておられ、
奥さまは植物をていねいに見て描くデッサンの連作を制作している。

アトリエではご主人、奥さま、といった呼び方はしていない。
お二人ともお名前で呼ばせて頂いている。
たしかにご夫婦なわけなのだけれど、個の肌理がしっかり立っているような、
ひとりの人の隣に、ひとりの人がいる、といったお二人の存在感がそうさせるのかもしれないと思う。

ご主人はしばらく、アトリエのスタッフをモデルに描いたり、
「あまり気を使わなくてよいから」という理由で自画像を制作されたりしていたが、
ある日「妻をモデルにしてもよいでしょうか」と言われた。
やはり気を使わないでよいから、との理由からだ。
奥さまは「じゃあ、あまり大きく動けませんね」と微笑んでいた。

それは気がつかなかった、と私たちは話しながら、イーゼルを並べて立てて、
真ん中にちいさな机を置いた。机には奥さまが選んだモチーフが乗った。

彼女は懐かしいものを見るように、いとおしむようにモチーフを描く。
何度も確かめるようにモチーフの植物を見て、
ていねいに紙の上にそれを再現していく様子を、ご主人が見て、描く。

そこには言葉ではどうしても伝えられない、
とてもよい空間が立ちのぼっているような気がしてならなかった。

純粋に作りたいものを制作するとき、私たちはある部分がむき出しになる。
私たちが普段働かせるある気遣い、
学校や会社、近所での会話ではたらかせるようなある気遣いはそこにはない。

そのように、純粋にそのひとが感じたことが出たものを見た時、
私はいつもすみません、とひれ伏すような気持ちになってしまう。
まるで、そのひとそのものに触れているような気がするからだ。

それは何十時間もの会話や、どこそこで生まれて、だの、どこで働いて、だのといった
自己紹介を飛び越えて、私たちをある親密さに連れていってくれるように思えてならない。

お互いをよく知らない者同士でもそのような空間が出来るのに、
ご夫婦は好きで結婚し、一緒に暮らしているのだ。
こんなにも親しい、濃やかな空間があるだろうか。

デッサンの部屋に行ってお二人の制作を見て来た20代の男性スタッフが、
「うらやましいですね」とうつむいて言った。
「すごく、うらやましい」

今朝アトリエのオープニングのためにバルコニーに出たら空気の香りが変わっていて、
咲き始めた梅の花に2羽のメジロがとまって盛んに花をついばんでいた。
今日から春だな、と思うと同時に、ご夫婦お二人の制作が思い浮かんだ。