119. ふるさと

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師が定年退職を迎える。
大学に通っている時も、社会人になってからもお世話になっていた、大切な恩師だ。

教えていただかないとどこの国のものなのか、何の為に使うのかさっぱりわからない道具が
ところ狭しと置いてある先生の研究室は、見た目はおそろしく乱雑なのだけれど、
そこへ飛び込むとどんな時でも心の底からほっとしたものだった。

先生はたいてい、それまでしていた作業の手を止めて、
お茶を煎れて下さる。

先生が煎れて下さるお茶は本当においしくて、
いつもどうしてこんなにもおいしいのだろう、と不思議でならなかった。

じんわりと心の底から嬉しくなるような、美味しいお茶で、
口に出そうになった日常のささいなぐちや困りごとも、すうっとどこかへ消えていくような気持ちがしたものだった。

今、アトリエの方がいらした時に「まずはお茶をどうぞ」とお茶を差し上げているのは、
少しでも先生の真似をしたいと思ったからだ。

先生の研究室があった校舎は、耐震強度の問題だとかで
すでに数年前に取り壊されて、なくなってしまっている。

退官まであと少し、という時期に引っ越しをしなければならなかった先生は、私のいらない心配をよそに
飄々と、「新しい研究室」を見事なまでに乱雑にしていった。

なじんだ古い道具達や材木を持ち込み、窓際に古畳を一畳敷き、文机を置いて、取り壊された
校舎のがれきから「救出した」元・究室室のドアノブを取り付け、すっかり先生の空間にされていた。

引っ越しお祝いに「新しい研究室」へ伺った時、すごく嬉しい気持ちでそれらを眺めた事を覚えている。

先生の研究室に、ひんぱんに通っていたわけではない。
数年間伺う事ができなかったことだってある。

そんなときでも、わりあいいつでも心の隅で、「自分にはあそこがある」と思っていた。

仕事の合間をぬってはバイクで駆けつけて、
研究室の片付けのお手伝いに伺ってどれくらいになるだろうか。

あと少しで片付けも終わる。

研究室で先生が煎れてくださるお茶も、もう飲めなくなる。

今度こそ本当に、私がお茶を煎れる番なのだろうか。

アトリエも、通われる方の何人かにとって、
「いいさ、アトリエがあるもんね」と思ってもらえるような場所になれるだろうか。

と、つらつら考えつつ、
アトリエの庭に咲いた桜を眺めながら、やっぱり今日も、やかんから直接、お茶をどぼどぼ注いでいる。