113. 南塚先生

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いつも通る川沿いの道は、日が暮れると虫の声がうるさいくらいで、
目をつむると音が身体にしみこんでくるような気がする。

昼間はまだ、思い出したように蝉が鳴いたり、けっこう暑かったりするのだけれど、
夕方にはすっと涼しくなって、空気も香ばしいような独特のにおいがする

秋がきましたね、と思う。

いつもは地縛霊のようにアトリエの近所をぐるぐるまわって暮らしているのだけれど、
今月は色々なところへ出る機会が多かった。

知人の個展が4件と、恩師の個展が2件、
音楽を聴きにいったり落語にいったり、知らない場所や人に触れることも多かった。

新しい場所や人に会うと刺激を受けて元気になる時と、
エネルギーをやたら使って消耗する時があるように思う。
私はどちらかというとずうっと後者のほうだった。

変にしゃっちょこばってしまったり、緊張したりして、無駄に疲れるのだ。
すいすいと出会いを楽しめるようになったのは、ごく最近のことのように思う。

人と会いたくないときというのはあるものなので、無理をすると疲れる。
そういう時期はむりしなければ良かったんだよなあと今になって思うけれど、
過ぎてしまったことなので別にもう構わない。

そんな風ならば、アトリエなんて人と沢山会うことをなんでやるの、という感じなのだが、
アルケミストで出会う人はみな何だか遠い家族のような気がしていて、
まったく平気なのだ。そのあたりの差が自分でもよくわからない。

20代からおつきあいさせていただいている絵本の先生がいて、真鶴まで行って来た。

彼女の絵本との出会いは高校生のころだった。
何かでしょんぼりしている時にふと立ち寄った本屋さんで、
笑わないでいただきたいのだが、ほんのり光ってみえた絵本があった。
お店の照明のせいなのだろうけれど、本当に光っているように見えたのだ。

手に取った「うさぎのくれたバレエシューズ」という本は、ほんとうにきれいな絵で、
その絵本にしんしんとなぐさめられているような気がした。

私はその夜からすっかりその作家さんのファンになってしまった。

その作家さんとお会いしたいなあ。。とぴったり10年思い続けて
ふとしたきっかけで先生のご住所を知る事ができた。
そこで熱いファンレター(?)を送り、南塚先生とのやりとりがはじまったのだ。

その頃わたしはまだ、大学で働いていたのだが、その後数年してアトリエを始めた。

アトリエをはじめて間もない頃は、
開講日以外は赤字埋めのためのアルバイト三昧だったので
、時間の都合は自分でつけることができた。
だから、先生から「佐藤さん、お手伝いして下さる?」とお電話をいただくと、
アルバイトは即放り出し、嬉しくて、どきどきしながら出かけていった。

南塚先生の絵本の挿絵は殆どが銅版画だ。
その刷りのお手伝いや、個展のお手伝いをさせていただくことができたこと、
先生の、信州の工房に泊まりがけでかんづめで仕事をしたことなど

先生の仕事を間近に拝見できて一緒に時間を過ごさせていただけたことは
ものすごく自分にとっては大きなものだと思っている。

真鶴で久しぶりにお会いした先生は、以前よりもさらに少女のようで、
世界に対しての好奇心全開!といった感じで元気いっぱいだった。
ありていな表現で恐縮だが、本当に目がキラキラしていて、こちらまで嬉しくなってしまった。

30年続けた銅版画で絵本をつくることから、
陶器の板に絵付けをする陶板画をあたらしくはじめられたとこのと。
一年ほど前から京都の大学に陶芸を学ぶために東京から新幹線通学の毎日だとは伺っていたけれど、
こんなに新鮮な作品ができているとは。。と驚いた。

しばらくよもやま話をして、退出した。
帰りの電車のなかでも、外の景色を見ながら、
ギャラリーの壁いっぱいに飾られた先生の絵から受けたよい気持ちと、
先生の温泉のような元気の余韻でふわふわしていた。

やはり先生と先生の絵は本当に素敵だなあ。。。。と思った。

帰ったら主人は風邪で寝ていた。
作っておいた主人のリクエストのカレーを二人でゆっくり食べてお茶を飲んだ。