021. 新海さん

021
アトリエを始める準備をしていた時
下北沢の本屋さんでアルバイトをしていた。
一年間くらいの間だったと思う。

この時はほかに、学校に通いながら色々なアルバイトをしていたけれど、
私はその本屋さんの仕事が一番好きだった。

本屋さんの店長さんは新海さんという方で、
すごく若く見えた。後で知ったのだが、どうも四十代だったらしい。

新海店長の他は転勤が多いのか、2名前後社員さんが入れ代わりたちかわりつつ、
後はベテランのバイト陣が主力となって
しっかり店を守る、といった感じのお店だった。

みんな無愛想だったけれど、何故かほっとできる所だった。
開店準備でお店に入ると、皆もくもくと自分の作業をしている。
誰もかれもが大抵は一日そうだ。
お店が駅に近いのでお客が割合多く、へらへらしているヒマなんか
なかったのだろう。そのうち「無愛想」じゃなくて、シャイなんだなと
気がついた。

新海店長はとにかくよく怒る人だった。
単に機嫌が悪くて怒っていたり、注文した本が来ないと怒ったり、
バイトの出来がわるいと怒ったり、よくこんなに怒れるなーという感じだった。

かといって、いつもむすっとしているわけではない。
大抵はすかっとした、気分のいい表情をしている。
ミスをしたバイトを怒鳴りつけた後はけろりとして、
「おまえ、睡眠不足だったんじゃねえのか」と、にやっと笑ったりする。

私は、反射神経が足りないのだろう、本当によく怒られた。
よく怒鳴られたけれど、
反省する気になるだけで、全然悲しくも、いやな気分にもならなかった。
そういう怒り方をする店長だった。

ベテランアルバイト陣も印象的な人が多かった。八代さんもそのひとりだ。
「看板娘」とでもいうのだろうか、雑誌の取材で写真が出た時は思わず
その雑誌を買って、サインをお願いしてしまったものだ。

私がアルバイトをはじめたばかりの時、
見習いということで、一緒にレジに立って仕事をしていたら、
急に八代さんが、彼女自身がその日の朝、私に教えてくれた手順と違ったことをした。

その店では当時、たしか、普通は本にカバーをつけるとそのまま手渡しするか、
紙封筒のようなものに入れてお客さまにお渡ししていた。
私はそうしたのだが、八代さんは「ちょっと」と手をのばして、
レジカウンターから手提げのビニール袋を探して、その本を入れたのだ。

レジは混んでいて、長蛇の列が出来ていた時のことだった。

私は必死で下を向いてへたくそなブックカバー付けをしていたのだが、
目を上げると、カウンターの向こうには、ご高齢のおじいさまが杖をついていた。

いつか新海さんのようにすかっと怒れて、八代さんのように気遣えるように
なれたらいいよなと思う。道のりは、長そうだ。

八代さんは今は姓が変わられていると伺った。新海店長は本名で書いて
しまったが、きっと、にやっと笑って許してくれる、と、思う。